みたび日々徒然 55

木村天山    

 政党について言う。

 衰退の一途を辿る共産党が、どの政党よりも立派なビルを建てた。それだけで、共産党の程度が知れる。結局、国民のための政党ではなく、共産党のための政治活動なのであろう。ましてや、共産主義という思想は、すでに崩壊し、昔語りになっているのにである。時代錯誤甚だしいアホの集まりと言える。

 少なくとも、私の知っていた共産主義に殉ずる活動家は、今の共産党のアホとは違う。主義に命をかけた。今は、主義に命をかけられないであろう。

 主義とは、信じるものである。それも知らないアホ振りである。

 私は、支持政党などないから言うが、政党とは、何かということである。その主義を掲げて、民を幸福に導くという活動であろう。しかし、今の政党は、政党のための政党であり、民は二の次三の次なのである。推して知るべし。

 国家権力を批判して、国家権力を利用するという共産党の矛盾を彼らは知らない。庶民の党などとアホなことを言うが、庶民の味方になったことがあるのか。主義のための活動であり、庶民のための活動など、出来ないであろう。

 劣等意識と、選民意識に寝ぼけているのであるから、役立たずなのであるが、それを知らない不幸である。

 さて言う。巨大なビルを建てるということ自体に、すでに政党活動など、二の次三の次であることが解る。建物を建てる組織に、ロクな集まりはない。つまり建物が無ければ、威信を示すことが出来ないと、アホな頭で考えている。

 事、政治は、人である。人以外の何物でもない。主義とは、人である。

 立派な建物を建てて、意気揚々としているなら、死んだ方がましである。例えば、王宮、宮殿等々、皆、威信の何物でもない。自分の威信を見せるために建物を必要とする。

 古来、偉人は、その行為によって威信を示した。誰も建物によって威信を示すことがなかった。ちなみに、建物を建てた者共は、すべて滅びている。唯一、エンペラーとして滅びていない天皇家は、強大な建物を建てることがなかった。その存在に威信があるのであるから、威信を示す建物は必要なかったのである。

 重箱の隅をほじくるような政治活動をして政党とは笑わせる。共産党よ、恥を知れ。と言っても、恥という意識もないであろう。

 立派な建物を残して、崩壊するみのになった。すべて万事休すである。

 

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