みたび日々徒然 57

木村天山    

自己陶酔破滅型の人間と逢った。その根底には、自己顕示欲があり、その元には、頭の悪さがある。頭の悪さは、生まれつきのものであり、如何ともしがたい。学歴のことではない。学歴が高くても、頭の悪い人は大勢いる。

 自己陶酔系の人間は、まず自分のことしか頭にない。話すことは、自分のことばかりである。そして言う。自分の事ばかり話していると。やめましょう、こういう話しはと言いつつ、少したてば、また自分の話をしている。その繰り返しをする。要するに、人のことなど眼中にない。自分のことばかりなのである。そういう人間に不幸が襲うと、それはそれは大変なことになる。周囲の人間は、その延々とした苦労、苦悩話を聞かされる。何せ、自己陶酔なのであるから、不幸の闇にある自分を粉飾し、誰かれ見境なく口にして、自分が最大の人生の不幸を負い、誰も、それを理解することは出来ないと信じている。そして泣く。誰もが皆、自分に同情するであろうと思う。

 面白いことに、そういう人には、不幸がまた押し寄せることになる。自分で引き寄せていることを知らない。そしてどんどんと、不幸の不幸に陥る。つまり、破滅するのである。その底にあるのは自己顕示であり、そしてアホさである。

 若い日に、ちやほやされたアホに多い。

 だが、人生は甘くない。誰もが辿る老いを迎える。そうすると万事休すである。老いたアホの話を聞く者は少ない。誰も相手にしなくなる。それでも、気づかずに生きる人もいる。アホの上塗りである。

 そういう救いようのない人間が、この世に確実にいる。哀れであるが、どうしょうもないのである。

 せいぜい新興宗教に入信して、少しはましになるしかない。新興宗教は、そういう人のためにもある。簡単明瞭に教えを説くから、頭が悪くても、なんとかなる。

 耳触りの良い教えは、自己陶酔系の人間には、適当である。何とかそれで破滅を免れることがある。

 手軽な宗教に入信することは、破滅を免れるのであるが、すでに破滅していて、それを破滅と気づかないためにあることもある。

 頭の悪い人や、愚かな人は、実は救いはない。

 試しに、頭の悪い人や、愚かな人に、頭が悪い、愚かだと言うと、怒りを露にするだろう。本当のことだからだ。賢い人や、頭の良い人は、そういわれると、喜ぶ。その通りだという。頭の良い人は、人から頭が良いとか、賢いと言われることを嫌う。つまり、それを人に言われるということが、どんなことか知っているからだ。

 さて、もう少し言えば、賢い人も、若気の至りで、恋などして失恋すると、自己陶酔系の人間に似た行動を一時的にすることがある。が、破滅はしない。失恋ごときで、破滅していたら、体が幾つあっても足りない。賢い人は、好きになっても、好きになったことを喜ぶようになる。しかし、アホは、相手も自分を好きになってくれないと、苦しむ。そして陶酔する。賢い人は、人を愛するという自分を信じるが、アホは、相手に愛されて始めて安心する。が、この世に永続などあり得ないということを知らない。

 自分が人を愛して納得する人は、賢い。相手の問題ではないからだ。賢い人は、人を愛し続けることが出来る。このことを解らないと、私が言う、賢いということを理解出来ない。主体は私なのである、人生は。それを知る人は賢い。

 

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