みたび日々徒然 64

木村天山    

 この世は、何ひとつ絶対なものはない。

 宗教、哲学、思想、主義主張、何一つ絶対ではない。それでは、相対的であるかと言えば、そうでもない。この世は、人生は実相の影である。

 一次元は二次元に含まれてあり、三次元に含まれる。この世は三次元である。しかし、時間軸を加えると四次元である。そして、五次元も、六次元も在る。知らないだけである。 聞こえる音は、聞こえない音に支えられてある。見える物は、見えない物に支えられてある。それを知ることで、実相の世界の入り口となる。

 太陽エネルギーのニュートリノは、目に見えずこの地に降り注ぐ。すべの動物、植物、鉱物等々、生かされて生きる。それが実相の入り口である。

 目に見えない物は信じないと言うならば、風邪のウイルスも通常の視力では見えない。実に唯物思想なるものは、愚かであり、哀れである。何百万人を平気で殺すような思想に、まだ、かぶれている者がいるから、また哀れである。

 学問の世界は、科学と哲学に大別される。それに倫理的思想の儒学を加え、さらに仏教の教学を加える。教学は、行学でもある。つまり行動の学問である。しかし、未だに、学問と言えば、科学と哲学であり、その枠の中でくくる。

 倫理と、教学がなければ、人間にはなれない。その証拠が、今までの学問を修了した者を見れば解る。人間になっていない。魔物か、それに準じた者になっている。彼らの激しい所有欲を見れば解る。例えば、官僚などは、公金を平気で得て私腹を肥やす。

 倫理と教学、行学を知らないのである。

 未熟で未分化な科学と哲学でしか、物を考えないから、世界は崩壊へ向かう。

 この宇宙は、心的世界が根底に在り、それが低次元の物質界を創り、両者が結合して、生物界を生み出しているということを知らない。知らないことは無いことである。

 ただ、それを知るのも縁であるから、裁きはしない。ただ、哀れである。

 世の中は、そういう人が主流であるから、どんどん悪くなる。当然である。事の本質を知らない者が主流なのであるから、当然である。

 行為により、事の本質を学ぼうとする人が少ない、故に、そういう真っ当な人間が少ないのであり、私はそれを真人間が少ないと言う。

 ブラックホールに吸い込まれるように、どんどん人間が、魔物化しているので、事態は、重大である。魔物は、自分が魔物であることなど知らない。

 十人いれば一人、百人いれば十人の真人間によって、かろうじて世の中は成り立つ。そのうちに、魔物だけになると、この世はブラックホールに飲み込まれて終わる。

 大和民族は、理屈ではなく、行為によって学んだ。しかし、西洋の未熟な哲学を取り入れ、信奉して、理屈まみれになり、それを善しとするようになり、民族の伝統を失いつつあり、今、崩壊の危機である。その危機にさえも気づかずに、まだ西洋哲学の罠に嵌まって、何事か言う。

 言葉によって説くことを主にする西洋哲学には、言葉の本質である言霊の真実を知らない。実に、未熟な学問である。しかし、それが今の、アカデミズムに蔓延しているから、救いようがない。哀れである。言霊は、行為により、言葉は現実化するのである。それを日本は伝統として得ていた。それを、今は誰も知らない世界になった。

 人間の最大の発見である言葉の本質を知ることが急務である。

 

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