みたび日々徒然 81

木村天山   

 

 共産主義と、その愛好家、同好会、政党などは、実に、おかしなものにである。

 日本では一時期、赤狩りと称して、共産主義者を迫害したことがある。国家転覆を計る者ということでの、迫害だった。若いころ、私は、そういう迫害に対して憤慨し、受難にあった人に敬意を称した。いまも、敬意を称する者であるが、それは彼らが真実を知らないからであると思うからだ。

 共産主義とは、宗教に似ている。限りなく似ている。ところが、共産主義は「宗教はアヘンである」と言う。

 彼らは、共産と言うが、そこには共感も共有も無い。不思議である。あるのはドグマに似た、また信仰に似た、妄想である。

 また、共産主義を奉じる人々が、どんなことをやったのかという歴史を見ない。知らないのか、知りたくないのか、よく解らない。

 ソ連の、レーニンやスターリンが、どんなことを行ったのか、知らないはずはないと思うが、知らない振りをする。民族や、国を共産化するために、どれ程の人の命を奪ったか知れない。また、主義のために、多くの人の命を犠牲にしても平気である。同胞に対しても同様であるから、驚嘆する。

 マルクスという人が、膨大な哲学を成して共産主義を説くが、あれはウソである。本人も、ウソであると知ってのことである。撹乱させるために書いたものである。何を撹乱させるかと言えば、世界の撹乱である。そして、選ばれた人のみが、世界を支配出来るというものである。それは、共産主義者のことではない。全く逆の主義を持つ者の企みであろうと私は思うが、言わないでおく。

 さて、共産主義というものにだけ言う。アヘンであると言う宗教と同じく、主義と、その幹部、代表が教祖となる、全く宗教に似たものである。主義を奉じている。そして主義は、人間より大切、大事なものなのである。この世に、人間より大切なものはない。いや、生きる物すべてが大切であり、主義ではない。至極、簡単なことである。

 民族を捨て、国を捨てて、主義に生きる人などいない。ところが、いると想定しているのが、共産主義者である。

 日本は言論の自由があるから言うが、彼らは国家権力を否定するが、その国家権力を最大限に利用するという、深い矛盾がある。

 日本の共産党の愛好者は、警察を国家権力と非難するが、最も警察を利用するのも、彼らである。これは比喩として書いている。そういうことである。

 私が、中学、高校の時に、先生に共産主義者が多かった。今思えば、彼らが気の毒である。彼らは何も知らなかったのである。理想として、共産の思想を奉じていた。

 この世に理想などある訳がないと私は知っている。この世は現実なのであり、理想はない。桃源郷は、お話である。そして、それでよい。

 どこまで行っても、この世は現実であり、理想ではない。民主主義も同じである。どこまでも過程である。理想を思い描くことは大切なことであるが、子供を脱して行った時に、現実を知る。知らなければならない。子供が理想を言う時に、それを真剣に聞くのは、いずれ解ることだからである。あらゆることの理想は、打ち砕かれる。勿論、簡単、短絡的な理想は叶うが、それは理想ではなく、単なる現実の延長線にある、希望である。それを理想とは言わない。理想は高い次元の世界にあり、この世には無い。


 

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