みたび日々徒然 92

木村天山   

 

 日本経団連が会員企業に対して、中央省庁幹部経験者が民間企業に再就職する「天下り」を受け入れないように要請する方向で検討していると7月2日の夕刊に載った。

 橋梁談合事件に関連しての処置である。日本道路公団発注による「官製談合」そして天下った元公団理事が調整役となっていたことなどから、天下りの受け入れを止めることが、談合根絶の手段の一つになるということである。

 私は、この手の話にエッセイを書くことは止めにしていた。悪いことをやった者を、改めてエッセイに書く必要がないと、感じたからだ。もう言う言葉がないのである。

 事は、単純である。お勉強をして良い大学に入り、官僚を目指して、うまい話に乗り、お金を得ることが、一番大切で立派なことであるという教えを受けてのことである。

 各省庁のキャリアになると、30を過ぎると、天下りの良い話が、どんどんある。30過ぎて、年収が一億というのも驚くに当たらない。要するに、そういうことである。

 明治以来、日本は官僚の質の高さで、国家を創ってきた。立派な官僚が多かったのである。そして、その官僚の行く先が、こういうことであろとは、当時の官僚は気づくこともなく、世を去った。あの、国を創るという気概の心意気。今では、夢のまた夢である。

 もうこれ以上言う言葉はない。

 お金は必要不可欠なものである。現実を生きるということは、お金を得るということである。だれもそれには反論しないだろう。だが、しかし、何事も、お金で買えるという根性が気に入らない。と、これは私の感情論である。

 お金は魔物であるから、魔界が支配する。お金を得たいと思えば、魔界と結託すればいい。つまり、この世は、魔界が支配すると私は考える。

 だから、お金を目的にすることは出来ない。お金は、あくまで手段として扱う。つまり、魔物の手の内に入らない。

 魔界に支配される人に対して、何を言わんやである。

 そのままにしておけば、子々孫々の宝になる山や川でも、金になると思えば、破壊するという行為を、私は、ただ呆然として観る。

 たった一人の人間がお金を得るために、そうして愚行を繰り返すのである。そして、これを書く私は、単なる僻み根性のある者の如くに思われて、これを書く。

 お金があるというだけで、架空の権威を持つ。いつからそうなったのか。日本では権威というと、お金では買えないものであり、それは、大切な伝統に属するものや、築き上げるもの、技芸等々を言った。

 例えば、御家芸の家元なども、権威あるものであった。しかるに、彼らもまた、金を元ろるようになって、権威から堕落した。あらゆることを商売として、堕落させた。商売が堕落なのではない。商売とは別世界のものが、商売の世界に入るから、権威を失う。そのことに気づいていないという悲劇である。

 お金を権威にした民族は滅びること必死である。どこの国とは言わないが、すでに滅びている国々が多い。国体が宙に浮いて、あるかの如くに国というものがあるのみ。

 そして、日本。誇れる権威を、金に替えて、その先のことを考えない者共が跋扈する。子々孫々に残すものを残せずに、金のみに執着した、その姿は、あまりに哀れであり、嘆きである。金しか残せないと考える、その思考の稚拙さに、私は愕然として、言葉を失う。天下国家のために生きる気概のある者がいない国は、土台が砂の上にある国である。

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