みたび日々徒然 94
木村天山
人の価値観は多様である。そのいずれにしても、誰も裁くことは出来ない。また、裁けるものでもない。それを前提に言う。
32歳で20億円を得た男がいる。アメリカ式の証券取引で得た金である。彼は、胃潰瘍で胃を取り除く手術をした。ガンであろうが、本人は胃潰瘍だと思っている。友人に、20億円の管理を頼んだ。月5万円でということらしい。他の管理会社に頼めば、100万円はかかるだろう。けちなのである。友人は、断った。
税金に6億円を支払っても14億円を手にする。彼は、家族親族にも、そのことを知らせたくないと言う。もし死んだら、棺桶に現金を入れて欲しいと言う。
ある人が、300億円金が余っていると言う。その金を世の中のために、雑誌刊行のために使ってくれと、編集者に頼んだ。
いずれも、本当の話である。
人の価値観を善悪等で裁くことは出来ないと言った。人それぞれなのである。
同じ金でも、使う人によって、雲泥の差がある。
金の話だけではない。
ある男が、女に妊娠させて、堕胎を勧める。そして、また付き合いたいと言う。セックスの相手として女を扱うのみであるが、平気でいる。勿論、女は別れたが、後味が悪い。成長出来ない男は、女に妊娠させても結婚は考えない。
ある男は、結婚を考えている女がいたが、別の女と遊んで妊娠させた。それで悩む。女は生むと言う。セックスを楽しむ関係の女だと思っていた。それが、一転、妊娠によって、女は結婚を迫る。男の責任であろうが、男は、別に結婚したい女がいる。
私は、誰も裁くことは出来ない。ただ、人生は因果応報、自業自得であることを言う。
そして価値観というものに関して言う。
実は、価値観と思い込んでいるだけで、本当は価値観と言うほどのものを持ち合わせていないのであると。その価値観なるものは相対的なもので、確固たる価値観などないのである。これが、実は、不幸なことである。
確固たる価値観を持てないのには、訳がある。つまり、知らないのである。人生が何によって成るのかを知らない。
この世は情報に溢れているが、肝腎要の情報が無いのである。
それは私が言う霊学である。宗教ではない。霊学である。宗教は教義、教理等々、お勉強をさせる。それは知識である。知識から、霊学に進むことはない。
伝統宗教、新興宗教を観ても、拘りと捕らわれを持つだけで、何のことはない、宗教団体の盛況を誇るものである。
人間が霊的存在であることを知らない不幸は、余りある。霊的存在であることを認識する脳を持っていることを忘れている。何故、脳の一部のみが活動しているのか。全開すれば、人間を超えるのである。そういう存在であるるとを知るべきである。それが、私の霊学である。脳の側頭部には、魂の波動を受ける場所がある。脳の前頭葉には、胸の辺りに宿る心が波動を与える。脳からは微量な脳波である電流が流れる。
目に見えない世界の中で行われることが霊学の分野である。肉体に付随している時を、生きているというが、死によって肉体を離れてからも、魂、心は無になることはない。
ちなみに精神とは、脳によって成る思考形態である。精神とは言葉の世界である。