みたび日々徒然 97

木村天山   

 

 「猫に小判」「豚に真珠」というのは、理解出来ない人に、有意義な言葉を伝えても通じないということである。

 通じない人を軽蔑する人は多くいても、哀れに思う人は少ない。

 私は哀れに思う。

 前世の因縁が悪くて、理解出来ないのだろう。すると、前世なるものに対して、是か非かと問うことになる。

 前世と言うと、仏教の転生輪廻を描く人がいるが、少し意識のはっきりしている人は、転生輪廻の考え方を言わずとも、納得する。それは、また、前世の因縁である。つまり、解らない人は、どうしたって解らないということなのである。

 何も証拠が無くても、解る人は、解るというのは、実は、遺伝子にある。

 遺伝子を扱う人は、科学者が多いが、その中でも解る人と、そうではない人いる。

 科学は一面的な世界であることを知らずに、すべてであると思う愚かさである。

 科学的と言うと、通用すると思うアホ振りである。

 知らないことの多さを理解するのが、科学者の学者たるところであるが、如何せん、権威という物を嵩に着て、物申す者のいのであるから、哀れである。

 私は、彼らが霊界に戻った時に、どんな言い訳をするのかが、楽しみである。

 勿論、彼らの中には、霊界に帰ったことを知らない、というか悟らない者もいるであろうが、それにしても、哀れである。

 まあ、霊界にも、いろいろな段階があるから、知らないでいることを知らない者もいるであろう。知らないで、また転生したら、同じ過ちを犯すのである。

 そうして、何万年も、無常迅速を生きている者もいる。

 科学は、今の段階で解ること、それのみである。つまり、それ以上は解らないのであるという謙虚さが、科学を発展させる。立派な科学者には、そういう無知の自覚がある。だから、仮説を立てて、研究に取り組む。その過程を人は理解出来ない。結果をのみ信じるのである。私は、仮説を立てて研究する科学者を信じる。

 目に見えない、霊子というものを、早く科学が見いだすべきであると思っている。

 太陽のニュートリノが、地中深くまでも到達するということから、天孫降臨を事実であると考えた神道家がいる。

 霊体ならば、楽々と降臨出来ると観た。

 今の知識で計れないことがあると思う心から、科学が発達する。

 解らないことに謙虚な科学者、医学者、化学者が、多くの発見、発明を成す。三流の科学者は、人の発見したものを、得意になって解説する。

 私の知人に、世界の五本の指に入るという心臓外科医がいる。彼の、目に見えないものに対する姿勢は、実に意味深い。

 私も多くの相談を受けるが、その謙虚さに、頭が下がる。

 知る者は、知らないことを多さを知るものである。自分の知ることが、いかに偏狭なものであるかを知る。それが、知恵の始めである。

 旧約聖書に「知恵の始めは神を恐れることである」とあるが、目に見えない、知らないことの多さを知ることが、知恵であるということである。

 多くの知識を持ち、得意満面になっているというのは、自己意識拡大の妄想狂といえる。

TOP PAGE   各種エッセイ目次  みたび日々徒然 目次