木村天山旅日記
 ゴールデントライアングルへ
 
平成20年
 10月
 

 タイ北部巡礼の旅

タイ北部 巡礼の旅

タイ・ビルマ戦線、つまり、インパール作戦により、戦病死した、日本兵の、追悼慰霊碑を、中心にした、地域の、巡礼である。

 

まず、最初は、チェンマイ県、バンカート村にある、バンカート学校敷地内の、慧燈財団の、追悼慰霊碑と、梵鐘である。

 

バンコクから、チェンマイに、行き、チェンマイから、車で、一時間程の、場所である。

ちなみに、チェンマイは、国際空港であり、チェンマイに直接乗り入れる飛行機もある。

 

チェンマイを基点にして、行動すると、次は、チェンマイから飛行機で、30分の、メーホンソーンである。

メーホンソーンの市内から、車をチャーターして、トーペー寺を目指す。

その途中に、山道に、追悼慰霊碑がある。

注意深くして、行かないと、見失う。

そして、更に、山に入り、クンユアム旧日本軍博物館がある。

 

その建物の、前に、追悼慰霊碑がある。

その道の、反対側に、旧日本軍の病院跡があり、そこにも、いくつかの、追悼慰霊碑がある。

現在は、お寺になっている。

 

そして、車を走らせて、ターペー寺に向かう。

お寺が、建てた、慰霊塔と、慧燈財団の慰霊碑がある。

 

そして、私の個人的、慰霊は、タイ北部、国境の町、メーサイである。

チェンライから、車で、一時間半である。

ミャンマー側の町は、タチレクである。

 

慰霊は、国境の橋の下で、行う。

慰霊碑も、それに関するものも、何も無い。

 

タイ側に、国境の碑が建てられてある。

 

そして、最期が、ゴールデントライアングルといわれる、タイ、ミャンマー、ラオスの国境が、交わる、ソップ・ルアク村である。

メコン河と、ルアク河が、交わる場所である。

そのまま、メコン河沿いを、行くと、チェンセーンという町に至る。

 

ソップ・ルアク村にも、宿泊施設はあるが、私は、チェンセヘーンの町に宿泊した。

車で、30程度である。

 

トライアングルには、慰霊碑は無い。

トライアングルの、記念碑と、大きな仏像が、建てられてある。

 

その、山に登り、頂上の寺の敷地内に、三基の追悼慰霊碑が、建てられてある。

 

私は、そこを、最期に慰霊した。

 

北部の、慰霊の旅は、以上である。

 

それぞれの、町を楽しみつつ、慰霊を行う旅というものを、提唱する。

 

ただし、すべてを、回るには、10日以上の日程が必要である。

私は、何度かに分けて、行った。

 

ミャンマー国境の、メーサイに行くには、チェンマイから、バスか、バンコクから、チェンライまで、飛行機に乗り、チェンライから、バスか、車である。

 

バスの種類が、多いので、どれを選ぶかは、それぞれの、好みである。

地元の人が利用する、普通バスから、一等エアコンバス、そして、VIPバスなどてある。

 

チェンセーンから、一時間半のチェンライ行き、普通バスに乗ったが、それが、限界だった。車酔いになるほどの、揺れである。

ただし、地元の人の生活が、垣間見られるという、利点がある。

 

追悼慰霊碑に対しては、それぞれの、宗教行為で、対処するとよい。

もし、宗教が無いというならば、黙祷である。

 

祈りの、理想は、黙祷である。

 

番外編としては、バンコクから、車、バスで、一時間半の、カンチャナブリである。

戦場にかける橋という、映画で、有名になった、泰緬鉄道である。

 

日本鉄道が、建てた、慰霊碑がある。

更に、連合軍墓地である。

それは、二つあるが、最も多いな墓地が、市内にある。

バンコクから向かうと、その墓地の横を通り、市内に入るので、解る。

 

タイ・ビル戦線の慰霊碑は、ミャンマーの、マンダーレにある。

私が、次に向かう場所である。

 

そこでは、慰霊碑の取り壊しが、行われはじめている。

つまり、日本側の人が建てた、慰霊碑の管理が出来ないという理由である。

 

戦友会はじめ、遺族が建てた、慰霊碑である。

放置しておくには、哀れである。

そうかといって、そのままでは、地元の人に、申し訳ないということである。

 

私に、何が出来るのか解らないが、追悼慰霊には、出掛ける。

私が、生きている限り、年に一度は、慰霊を行うということで、管理を引き受けたいとも、考えている。

 

インド・インパールから、ビルマを通り、タイへ向かった、兵士たちである。

その道には、未だに、遺骨が、晒されている道もあるはずである。

 

すべての、霊位に、心から、哀悼の意を、捧げる。