木村天山旅日記
 ゴールデントライアングルへ
 
平成20年
 10月
 

 第4話

31日、朝、9時半にホテルを出る。

子供たちと、11時頃に、橋の上で逢う約束をした。

ところが、ミャンマー時間は、タイ時間より、20分早いのである。

どちらの、時間になっているのかを、知らない。

 

兎に角、昨日の橋の下に行き、慰霊をすることにした。

流れの速い川を見つめて、すぐに、近くの木の枝を折った。

それに、白紙をつけて、御幣の出来上がりである。

 

空は、薄曇りである。

東の空に、拍手を打ち、川に向かって、祝詞を献上する。

幣帛に、神々を御呼びする。

ひとまず、川を清め祓いし、それを持って、国境を越える。

 

橋の上に上がり、タイ側のイミグレーションを通る。スタンプを押されて、次は、ミャンマー側に向かうが、そのまま、通らない。

まず、タイと、ミャンマーの真ん中に、立つ。

旗が、タイからミャンマーに、変わる場所である。

 

人の目があるが、気にしない。しかし、即座に、事を行う。

まず、日本兵の霊位を、御呼びする。

この、依り代に、来たまえと、念じる。そして、迎えに来ました、私と共に、橋を渡りますと、やや命令口調で、言挙げする。

 

霊位が動きやすいように、言霊、音霊を、小さく唱える。

霊位は、音に乗る。

 

その間、周囲の人の、動きが、制止しているように感じた。

スタッフに後で聞くと、皆、注視していたという。

特に、坊さんは、じっと目を凝らして見つめていた。

ある者は、スタッフに、何をしているのかと、問い掛けた。そこで、簡単に説明すると、納得したという。

 

感応したことにより、私は、四方を清め祓いした。

この橋を渡れないという、兵士の想念を、祓うのである。

 

この橋を渡りたまえ。

そして、故郷にお帰りください。

 

祓い給え、清め給えと、四度唱えて、早々にして終わる。

 

気がつくと、皆が、私を見つめている。

御幣を川に投げ入れて、即座に、ミャンマー側のイミグレーションに向かった。

 

一人、10ドルを払い、写真を撮られる。

パスポートを預けて、略式通行証を貰う。

昨年来た時とは、雰囲気が違う。

昨年は、丁度、日本人ジャーナリストが、軍に殺害されて、ビリビリしているようだった。

今回は、比較的、和やかで、のんびりしている様子。

 

スムーズに抜けて、タチレクの街中に入る。

私たちは、昨年衣服支援をした、川沿いの、スラムに向かった。

 

ところが、風景が違う。

川沿いに、ホテルが建っていた。

その場所には、家があったはず。

そして、私が四人の子供に、衣服を差し上げた家は、本屋になっていて、あの時の子供たちの姿がない。

 

更に、スラムの一角を、警護していた、おじいさんもいない。

別な、おじいさんに、尋ねた。

すると、皆散り散りになったという。

今は、シャン族の人たちが、住むというから、驚いた。

 

私たちは、日本から、子供の服を持って来ていますが、必要でかと、尋ねると、子供たちは沢山いるとのこと。

中に入ってもいいですか。

いいよ、いいよ、と、おじいさんが言う。

 

サワディーと、タイ語の挨拶をして、中に入った。

二階建ての、集合アパートのようである。

日本のアパートを想像しては、違う。

地震などきたら、一気に崩れる建物である。

 

数人の女性たちがいた。

そして、バッグを広げて、衣服を取り出すと、次から次と、部屋から、人が出て来た。

汗だくになりながら、一人一人に手渡す。

今、学校に行っているが、三人の男の子がいますという、母親に、三人分の、衣服を差し上げる。

大きさを、確認しつつ、手渡す。

 

一通り終わると、先のおじいさんも、傍に来て、私にも、何か下さいと言う。

丁度、細いマフラーがあり、二本、おじいさんの肩に掛けた。

すると、皆から、歓声が上がった。

この、おじいさんは、皆の、まとめ役のようである。

 

汗だくの私を見かねてか、一人の母親が、私たちに、水を持ってきた。

ポットから、コップに、並々と注いだ。

それを、差し出されて、さてと、二人で見合わせた。

その水を飲むことは、非常な危険である。

生水は、命取りになる。

菌に当たると、一日寝ていなければならないし、もっと悪い場合は、病院行きである。

 

しかし、私は、一気に飲み干した。

スタッフも、飲んだ。

 

彼らが、私たちに、持て成すことが出来るのは、水だけなのである。

それを、拒む理由は、生水であるということだけ。

私は、水ではなく、好意を頂いた。

好意を、飲む。

 

皆、笑顔で、私たちが飲むのを見ていた。

それで、知り合いになった。

 

おじいさんが、今度は、いつ来ると、尋ねるので、来年来ますと答える。

今度は、前のホテルに泊まりますと、余計なことまで、言ってしまった。

 

皆の歓声に、送られて、私たちは、そこを出て、大きな通りに出た。

折角だからと、一件の食堂に入り、コーヒーを注文した。

ブラックかと、訊かれて、頷く。

出て来たコーヒーを飲んで、びっくり。

ミルクと砂糖の、インスタントコーヒーである。

これが、ブラックとすると、普通のコーヒーは、どんなものかと、話し合った。

それには、お菓子が着いてきた。

パリパリとした、薄い煎餅のようなものである。

そして、それに着けて食べるのだろう、小皿に、よく解らないタレが出て来た。

 

その店主と、スタッフが、英語で、話した。

この、タチレクには、空港があるという。

私たちが、これから、ヤンゴンに向かうと、思っていたようである。

 

空港があるなどとは、知らなかった。

ここから、ヤンゴンや、マンダーレに行くことが出来るのである。

 

店主は、地図を指しながら、説明する。

 

その時、私は、児童買春が出来るところを、尋ねたい衝動に駆られた。

しかし、店員たちが、昼の食事の用意をはじめているし、尋ねることが、ためらわれた。

 

この街の、どこかに、あるはずである。

微妙な話題でから、矢張り、訊きそびれた。

 

時間を見て、そろそろ橋に向かうべきだと、スタッフを促した。

二人で、30バーツを払った。

タチレクでは、タイバーツが使える。

 

残りの衣服を抱えて、国境の橋に向かう。

大きめの衣服が、残り、丁度良い具合である。

 

ただ、私は、汗が引かず、顔から、汗が噴出す。

着物は、汗で、搾れるほどである。

この紗の着物は、仕立ててから、着るのは、二度目である。

帰国して、すぐに、丸洗いに出さなければならないと、思う。

汗は、形になり、残るのである。