天山旅日記
ベトムへ
平成20
10月
 

第4話

私は、ホテルの部屋で、ゆっくりと、眠れるタイプである。

よく、人には、不思議がられるが、ホテルでは、何も無いからである。

電話も無い。今は、携帯があるが・・・海外では、無用である。

本も読まない、書くことも無い。要するに、眠ることしかない、空間になるのだ。

 

ゆっくり寝るためには、ホテルが一番であると言うことは、旅寝が良いということである。

 

最初の日は、夜九時に寝た。

ただ、いつもより早いため、深夜二時頃に目が覚めて、しょうがなく、缶ビールを飲んだ。

それから、また、寝て、朝五時過ぎに、目覚める。

 

ホーチミンの朝は、早く、五時過ぎから、人が動き出している。

朝の屋台の、準備である。

そして、お客は、六時を過ぎると、やってくるという。

 

七時頃に行くと、すでに、混雑している状態である。

 

まず私は、ホテル並びの、レストランに入り、コーヒーを注文した。

濃いコーヒーをお湯で割り、砂糖を入れず、ブラックで、味わいを楽しむ。しかし、慣れていないせいか、胃に負担が大きい。

 

屋台の朝食は、明日からにしようと、そこで、サンドイッチを頼む。

屋台の値段に比べると、五倍程、高いのである。

 

ある程度のレストランだと、英語が出来るウエイトレスがいる。

そこで、少しばかり、色々なことを尋ねた。

 

日本から、少し衣服を持ってきている。必要な人はいるかと、尋ねると、沢山いると言う。

どの辺りに持って行けばいいかと、また、尋く。

地図で、私たちの泊まるホテルから近い、大きな通りの辺りを指し、ここに沢山の人が住んでいて、衣服の必要な人は、いるという。

 

こんな、街中でも、と、思った。

もっと、郊外になるのではないかと、思えたが、違った。

本当は、車をチャーターして、町を抜けて、村村に、行くつもりだったが、ホーチミンの街中で、衣服を渡せるとは、と、ウーンと、考えた。

 

しかし、街中を歩けば、貧しい人こそ、街中にいて、暮らしていると、知る。

 

町を抜けて、村に向かえば、ほとんどは、農業をしている人々である。

後で、ベトナムの、経済政策について書くが、農業に従事する人々は、今、大変な状況にある。

 

兎も角、それでは、ホーチミンの街中を歩いてみることにした。

 

その前に、チェックアウトが、正午なので、二泊するホテルを、探すべく、付近を歩くことにした。

 

ホテルの状態を知りたいということもあり、手当たり次第に、アタックした。

そして、それぞれの部屋を見せて貰う。

 

ホテル料金は、すべて、ドルである。

20ドル前後が、相場である。

30ドルも出すと、高級感がある。

つまり、三千円程度で、良い部屋に泊まれるのである。

ただし、高級ホテルは、200ドルを平気で、超える。二万円である。まあ、日本では、普通の料金である。

 

私には、興味の無いホテルである。

 

別に、貧乏旅行を、気取る訳ではないが、安くて、良いホテル、ゲストハウスに泊まるということが、楽しいのである。

高級ホテルにはない、現地の人との、交流がある。

それは、追々書いてゆく。

 

一時間以上も、回ってみた。それも、一丁角である。

随分とホテルがある。

 

その中で、一泊、15ドルの部屋があるという、ホテルに着いた。

早速、部屋を見せてもらうが、その前に、受付の女の子が、一人用ですと、言った。

一人用なら駄目かと、二人で話していると、女の子が、一人用でも、二人で、泊まれますと、言う。

 

変な話であるが、日本のように、一人一泊、幾らではない。部屋、一つについて、幾らなのである。

だから、三人で、泊まっても、15ドルなのである。

 

さて、私たちは、部屋に案内された。

ところが、一階から、二階、そして、三階と上がるが、階段が長いのである。

えー、まだ、上るの。

 

その部屋は、四階にあった。

ホテルは、五階建てである。

 

私は、息を切らせていた。

 

広くて良い部屋である。

古いが、設備も整っている。つまり、ホットシャワーであり、エアコンもあり。

大きな、ベッドが、どんと、置いてある。

天井が高く、一面窓で、開放感に溢れる。

 

天井が高いということは、階段が長いということ。

いちいち、あの、長い階段を上るということになる。

しかし、15ドルは、安い。

 

いい、いい、とは、言いつつ、スタッフが、私に、大丈夫と、尋く。

階段のことである。

エレベーターが無いということが、致命的である。

しかし、もし、若ければ・・・勿論、私も若いが、即決まりである。

 

フロントに、戻り、後で来ると言って、一度、ホテルに戻ることにする。

 

その間に、二件のホテルを見たが、矢張り、四階のホテルの部屋が、一番安い。

 

面白いのは、日本人だと知ると、まず、一番高い部屋を紹介される。

それで、決まりだと、相手が、思いこむ。

金持ちに見られるのである。

 

22ドルの、小奇麗なホテルの部屋に戻り、さて、どうすると、二人で、相談する。

問題は、ただ、階段である。

ただ、それだけでである。

それなら、問題はないということになった。

最後の私の、答えは、運動になる、という結論である。

 

二泊で、30ドルは、安い。

三千円である。

あの、ホテルに決めた。

 

早速、荷造りをして、チェックアウトの準備である。

 

支援物資を運んで、あの四階を上るというのが、難だったが、閃いた。フロントに、支援の衣服の二つのバッグを、預けるのだ。

ああ、これは良いアイディアだった。

 

最初のホテルに、泊まり続けると、余計に、12ドルかかる。その金額は、それからの、すべての食費分である。

 

私は、荷物を持って、意気揚々と、次のホテルに向かった。

歩いて、五分もかからない、場所である。

 

ホテル探しのお蔭で、その辺りの地図が頭に入った。

 

午前十一時前でも、部屋が空いていれば、チェックイン出来るのである。

 

中小路を、見下ろせる、大きな窓から、辺りの風景を、眺めて、満足した。

バスタオル二枚のみの、シンプルな備品。

歯ブラシも、二本セットがあった。シャンプー、リンスの、使いきりのもの、それぞれ、一つ。

これで、十分である。

 

昔、私は、日本で言うところの、高級ホテルに、泊まった経験は多いが、何故か、今の方が楽しいのである。

何故か。

根っからの貧乏好きなのであろうと、思う。

それで、今は、イメージが貧乏なので、貧乏なのである。

だが、それを、楽しめるというのは、傲慢であることを、知っている。

ホーチミンの人に、私は貧乏ですなど言えば、軽蔑されるだろう。

 

貧乏人が、ベトナムになど、来れるものではない。

意識を認識し、それを判断するということは、実に、難しいものである。