私は、ホテルの部屋で、ゆっくりと、眠れるタイプである。
よく、人には、不思議がられるが、ホテルでは、何も無いからである。
電話も無い。今は、携帯があるが・・・海外では、無用である。
本も読まない、書くことも無い。要するに、眠ることしかない、空間になるのだ。
ゆっくり寝るためには、ホテルが一番であると言うことは、旅寝が良いということである。
最初の日は、夜九時に寝た。
ただ、いつもより早いため、深夜二時頃に目が覚めて、しょうがなく、缶ビールを飲んだ。
それから、また、寝て、朝五時過ぎに、目覚める。
ホーチミンの朝は、早く、五時過ぎから、人が動き出している。
朝の屋台の、準備である。
そして、お客は、六時を過ぎると、やってくるという。
七時頃に行くと、すでに、混雑している状態である。
まず私は、ホテル並びの、レストランに入り、コーヒーを注文した。
濃いコーヒーをお湯で割り、砂糖を入れず、ブラックで、味わいを楽しむ。しかし、慣れていないせいか、胃に負担が大きい。
屋台の朝食は、明日からにしようと、そこで、サンドイッチを頼む。
屋台の値段に比べると、五倍程、高いのである。
ある程度のレストランだと、英語が出来るウエイトレスがいる。
そこで、少しばかり、色々なことを尋ねた。
日本から、少し衣服を持ってきている。必要な人はいるかと、尋ねると、沢山いると言う。
どの辺りに持って行けばいいかと、また、尋く。
地図で、私たちの泊まるホテルから近い、大きな通りの辺りを指し、ここに沢山の人が住んでいて、衣服の必要な人は、いるという。
こんな、街中でも、と、思った。
もっと、郊外になるのではないかと、思えたが、違った。
本当は、車をチャーターして、町を抜けて、村村に、行くつもりだったが、ホーチミンの街中で、衣服を渡せるとは、と、ウーンと、考えた。
しかし、街中を歩けば、貧しい人こそ、街中にいて、暮らしていると、知る。
町を抜けて、村に向かえば、ほとんどは、農業をしている人々である。
後で、ベトナムの、経済政策について書くが、農業に従事する人々は、今、大変な状況にある。
兎も角、それでは、ホーチミンの街中を歩いてみることにした。
その前に、チェックアウトが、正午なので、二泊するホテルを、探すべく、付近を歩くことにした。
ホテルの状態を知りたいということもあり、手当たり次第に、アタックした。
そして、それぞれの部屋を見せて貰う。
ホテル料金は、すべて、ドルである。
20ドル前後が、相場である。
30ドルも出すと、高級感がある。
つまり、三千円程度で、良い部屋に泊まれるのである。
ただし、高級ホテルは、200ドルを平気で、超える。二万円である。まあ、日本では、普通の料金である。
私には、興味の無いホテルである。
別に、貧乏旅行を、気取る訳ではないが、安くて、良いホテル、ゲストハウスに泊まるということが、楽しいのである。
高級ホテルにはない、現地の人との、交流がある。
それは、追々書いてゆく。
一時間以上も、回ってみた。それも、一丁角である。
随分とホテルがある。
その中で、一泊、15ドルの部屋があるという、ホテルに着いた。
早速、部屋を見せてもらうが、その前に、受付の女の子が、一人用ですと、言った。
一人用なら駄目かと、二人で話していると、女の子が、一人用でも、二人で、泊まれますと、言う。
変な話であるが、日本のように、一人一泊、幾らではない。部屋、一つについて、幾らなのである。
だから、三人で、泊まっても、15ドルなのである。
さて、私たちは、部屋に案内された。
ところが、一階から、二階、そして、三階と上がるが、階段が長いのである。
えー、まだ、上るの。
その部屋は、四階にあった。
ホテルは、五階建てである。
私は、息を切らせていた。
広くて良い部屋である。
古いが、設備も整っている。つまり、ホットシャワーであり、エアコンもあり。
大きな、ベッドが、どんと、置いてある。
天井が高く、一面窓で、開放感に溢れる。
天井が高いということは、階段が長いということ。
いちいち、あの、長い階段を上るということになる。
しかし、15ドルは、安い。
いい、いい、とは、言いつつ、スタッフが、私に、大丈夫と、尋く。
階段のことである。
エレベーターが無いということが、致命的である。
しかし、もし、若ければ・・・勿論、私も若いが、即決まりである。
フロントに、戻り、後で来ると言って、一度、ホテルに戻ることにする。
その間に、二件のホテルを見たが、矢張り、四階のホテルの部屋が、一番安い。
面白いのは、日本人だと知ると、まず、一番高い部屋を紹介される。
それで、決まりだと、相手が、思いこむ。
金持ちに見られるのである。
22ドルの、小奇麗なホテルの部屋に戻り、さて、どうすると、二人で、相談する。
問題は、ただ、階段である。
ただ、それだけでである。
それなら、問題はないということになった。
最後の私の、答えは、運動になる、という結論である。
二泊で、30ドルは、安い。
三千円である。
あの、ホテルに決めた。
早速、荷造りをして、チェックアウトの準備である。
支援物資を運んで、あの四階を上るというのが、難だったが、閃いた。フロントに、支援の衣服の二つのバッグを、預けるのだ。
ああ、これは良いアイディアだった。
最初のホテルに、泊まり続けると、余計に、12ドルかかる。その金額は、それからの、すべての食費分である。
私は、荷物を持って、意気揚々と、次のホテルに向かった。
歩いて、五分もかからない、場所である。
ホテル探しのお蔭で、その辺りの地図が頭に入った。
午前十一時前でも、部屋が空いていれば、チェックイン出来るのである。
中小路を、見下ろせる、大きな窓から、辺りの風景を、眺めて、満足した。
バスタオル二枚のみの、シンプルな備品。
歯ブラシも、二本セットがあった。シャンプー、リンスの、使いきりのもの、それぞれ、一つ。
これで、十分である。
昔、私は、日本で言うところの、高級ホテルに、泊まった経験は多いが、何故か、今の方が楽しいのである。
何故か。
根っからの貧乏好きなのであろうと、思う。
それで、今は、イメージが貧乏なので、貧乏なのである。
だが、それを、楽しめるというのは、傲慢であることを、知っている。
ホーチミンの人に、私は貧乏ですなど言えば、軽蔑されるだろう。
貧乏人が、ベトナムになど、来れるものではない。
意識を認識し、それを判断するということは、実に、難しいものである。
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