木村天山旅日記

 フィリピンへ
 
平成21年
 1月
 

 第13話

この角に

比日英米

死せる人

柱にすれば

天超える数

 

フィリピンを象徴する、マニラは、悪夢の街である。

更に、浄化していない霊的存在の、溜まり場である。

その、想念の、烈しいものは、今までに無いものであった。

 

私は、レイテ島に慰霊に行き、その旅日記で、戦禍について、書くことにしていたが、今回は、マニラで足止めされて、戦禍と共に、未浄化の霊位の存在を、見事に、感得してしまったのである。

 

更に言う。

フィリピンは、カトリックの国であると、いわる。

しかし、その堕落は、甚だしく、話にならない。その、有様を、書くことも、必要としない。

 

霊的所作は、マニラ湾でも、行ったが、矢張り、御幣は、海に沈んだ。

見事に沈んだのだ。

 

その時、私は、御幣の木の枝を、流れやすいようにと、三分割して、投げ入れたのである。しかし、流れない。沈む。

 

教会は、清め祓いが、出来ない。

言うならば、ペタン、ペタンと、上塗りするだけである。

聖水を掛けても、清められるどころか、怨念となって、漂うという、仰天である。

 

彼らの天国とは、教会の上空であるから、教会の傍が、もっとも、霊的に、汚れているといえる。

 

太平洋戦争の、最大の激戦地であった、フィリピンの追悼慰霊は、誰がするのか。

 

誰もしない。

 

勿論、日本人の個人的な慰霊により、日本に戻られる、日本兵の霊位は、ある。

しかし、多くの霊位は、そのまま、留まるのである。

 

スペイン統治時代からの、地元民の虐殺からはじまり、死者は、累々と、蓄積され、その上に、更に、霊位が、蓄積された。

 

教会は、怨念の溜まり場と化して、役に立たないのである。

 

その私は、教会を、回っている。

その、聖堂に入り、跪き、祈りを上げた。

祈りは、上昇するが、マニラの教会では、祈りが、ぐるぐると、回るだけである。

 

エルミタ教会の、サントニーニョのお祭りを見た。

これは、幼きイエズスのお祭りである。

道を踊りつつ、練り歩く。

子供達は、裸足で、踊っていた。

何故、子供達が、真っ黒に、色づけしているのかと、不思議に思った。

 

途端に、気づいた。

カトリックが、壊した、現地民の文化の、名残であると。

誰も、それに気づかないが、誰かが、カトリックの文化の中に、名残を留めたのである。

それが、唯一の抵抗である。

 

今は、皆、熱心なカトリック教徒として、生活しているが、潜在的に、もっている、元からの、信仰形態があるのだ。

 

だが、カトリック教会は、貧民、路上生活の人々に、何か手を差し伸べているのかと言えば、大半のカトリックのボランティア活動は、海外のカトリック教徒たちである。

 

現在は、イスラムの、モスクも、建てられて、イスラムの信仰を維持することも、出来るようになっている。

私は、そのモスクに出掛けようとも、思ったが、今回は、遠慮した。

 

モスク周辺は、大変危険であることを、聞いている。また、行くなら、昼間であるとも、言われた。

 

ミンダナオ島での、イスラム教の反政府軍が、活動していることを、日本では、テロ行為として、考えていたが、違う。

彼らは、元からの、信仰を持ち続けて、本国からの、分離独立を、目指しているのである。

それは、フィリピンの現状を、見れば、納得できた。

 

このままでは、いつまでも、一部の人たちの、利益のために、使用される存在なのである。

本国の政治に、期待できないのである。

当然であると、思った。

 

更に、共産ゲリラの活動も、である。

つまり、フィリピンに、革命を、なのである。

それ程、フィリピンは、混迷している。政治的に、経済的に、である。

 

三代の

路上生活

板につき

ダンボール造り

寝屋を指すのか

 

物溢れ

物無き所

それぞれに

悲しきことの

多かりきかな

 

物売りの

物乞いの

必死なる

形相にある

生きるということ

 

夜に立つ

女・女装者

男娼と

生きんがための

命の戦

 

裸でも

悲しと思う

こともなき

貧しと思う

こともなき子ら

 

マニラは、悪夢である。

その、悪夢の国に、戻りたいと、思うフィリピン人は少ない。

日本にて、不法滞在をしている、フィリピン人の気持がよく解る。

 

夕暮れの

空にかかれる

雲までも

マニラの雲と

成り果てたしや

 

上には、上の、極みというものがあるが、下には、下の、極みというものがない。ということは、世界には、もっと、凄い、マニラを越える街、街、街があるということである。

 

夕日にも

適わぬものは

白月の

マニラの空の

あはれなるかな

 

夕暮れの

マニラの空の

果て無きを

この人の世の

意味無きを観る

 

これ以上、詮索しても、無意味であろう。

いずれ、フィリピンの戦禍について、書くことにする。