木村天山旅日記

  何故バリ島か
  
平成21年5月 

 

第2話 

成田空港に、予定より早く、八時半頃に到着した。

 

新型インフルエンザのことで、心配していたが、なーんだ、少しの人が、マスクをしている程度。

 

私も、マスクはしない。

機内でも、しなかった。

 

搭乗手続きである。

問題なし。

ただし、荷物の分量が、三人で、60キロである。それが、65キロを超えた。

 

結局、60,4キロまで、落とした。つまり、機内に、持ち込むことにした。

それでも、60キロをオーバーしたが、受付のお姉さんが、大丈夫と言う。

 

機内持ち込みは、ぬいぐるみのバッグと、小さめの、バッグである。

 

もし、受付のお姉さんが、固い人物なら、とても、苦労することになったと、思う。絶対、オーバーは、駄目という、公務員のような人がいるのである。

 

三人で、何と、八個のバッグである。

 

ガルーダーインドネシア航空を使った、格安ツアーであり、更に、早割りであるから、国内旅行より、安い、八日間である。

 

ちなみに、ガルーダーインドネシアは、テロ対策不十分と言われて、他の航空会社との、提携が無いのである。

 

この、ガルーダーの飛行機は、落ちないことになっていると知る人は少ない。

それは、もう随分前のことである。

 

何度か、落ちた。

バリ島にも、落ちた。

 

そこで、バリ島の霊能者、祈祷師、ルックンパパという、御方に、ガルーダーが、落ちないようにと、お願いした。

それ以来、一度も、落ちていない。

 

その御方が、亡くなられたら、どうなるか、解らないが、生きている間は、落ちないことになっている。

 

飛行機が、落ちると、利用者が、ガタンと、落ちる。

タイの、ワンツーゴーが、そうである。

プーケットで、落ちて、百名以上が、死んだ。

それ以来、乗る人が、激減した。

 

さて、テロ対策不十分な、ガルーダーの良さは、まだある。

特に、連休明けは、空いているのである。

 

つまり、席が空く。

すると、体を横にして、眠ることが出来る。

 

私たち、三名、コータと、辻友子は、飛行機の扉が、閉まった段階で、すぐさま、空いている、席に移動した。

 

そして、のんびり、ゆったりと、三人分から、四人分の席を使用する。

一人分の、料金で、四人分の席である。

 

ビジネスクラスに乗るより、いい。

帰国の時も、同じく。

 

それに、ガルーダーの乗務員は、適当に、親切なので、気が楽。

あまり、干渉しないのがいい。

 

あと少しで、着陸しますよー、などと、アナウンスが、流れるが、煩く、着陸の態勢指導に来ない。

勿論、最低限の、指導はする。

 

何となく、適当なのが、非常によろしいのだ。

 

それに、機内サービスは、抜群である。

他の、航空会社よりも、物を多く出すような気がする。

 

私は、最初に貰った、ピーナッツが美味しいので、トイレに立った時に、あの、ピーナッツありますかと、言うと、すぐに、二袋くれた。

 

さて、私たち三人は、別々の席で、バリ島に向かった。

 

不思議なことに、機内サービスの頃になると、目覚めるのである。といより、そのように、暗示を掛ける。

貰える物を、貰わなかった時は、非常に残念である。

 

私は、朝、お握りを、六個作ってきた。

コータと、辻友子は、成田行きのバス中で、二個づつ食べた。

私は、空港で食べようと、思ったが、一個だけ蕎麦を食べる時に、食べて、機内に持参した。

 

旅の朝に、お握りを作るという、私は、実に、マメである。

 

私の、お握りは、とても、美味しい。

今回は、明太子のお握りである。

更に、十穀米の、ご飯である。

 

大切に、一個を取っておいたが、バリ島、最後の日まで、食べずに、最後に、捨ててきたのが、悲しい。

冷蔵庫に入れて、最後の最後まで、共にしていたのである。

 

ストリートチルドレンに、これが、日本のお握りだよと、何故、渡さなかったのかと、悔やまれる。

 

ガルーダーインドネシアは、矢張り、落ちることなく、無事に、バリ島、デンパサール空港に、到着した。

 

現地時間で、夕方の五時過ぎである。

日本時間では、六時過ぎになる。

 

バリ島は、雨が降っていた。

スコールというより、梅雨時期のような雨だった。