木村天山旅日記

  何故バリ島か
  
平成21年5月 

 

第4話 

ビーチの様子を見るために、バッグ二つを持って、出掛けた。

私は、タイパンツ姿で、コータも、辻友子も、浴衣ではない。

 

慰霊をする場所も、確認したかった。

 

サヌールビーチは、ホテルが、プライベートビーチとしていて、中々、道が見つからない。ホテルを、通り抜けると、簡単なのだが・・・

 

ようやく探して、ビーチに出た。

 

美しい海である。

 

等間隔で、ビーチに張り出している、防波堤が、また、良い。

そこで、魚釣りをしている、人、子供達。泳いでいる子供達もいる。

 

物売り、マッサージのおばさんたちから、声を掛けられる。

どこも、ビーチは、稼ぐ場所なのである。

 

一つの、防波堤に出た。

 

子供達がいる。

一人の男の子に、しゃがんで、シャツは、必要かと、尋ねる。

男の子は、シャイで、もたもたしていると、隣の友人である、少年が、背中を押すのである。

 

そこで、私は、シャツを取り出した。

すると、子供達が、一斉に、集まり出す。

穴の開いたシャツを、来ていた男の子にも、渡すと、何と、彼は、その場で、着替えをはじめた。

 

次々に、少年、少女が、やって来た。

 

私は、辻友子に、ぬいぐるのバッグを開くように言った。

 

すると、少年も少女も、皆、ぬいぐるみを、欲しがるのである。

あっという間の出来事であった。

 

このような、支援の状態が、初めての辻友子も、驚いていた。

 

男の子も、欲しがるなんて・・・

日本では、こんな、モノ、見向きもされないのに・・・

 

辻友子の、普通の感想である。

 

結局、そこで、ぬいぐるみが、すべて、無くなった。

見事に、無くなったので、辻友子も、唖然である。

 

あらっー、全部出してしまったのーーーと、私。

明日、浴衣を着て、日本人であることを、知らせてと、思っていたが・・・

 

そして、写真を撮り、砂浜に戻ると、今度は、おばさんたちが、私たちにも、必要と、言う。

 

私は、それでは、明日の朝、もう一度来ますよ、その時、差し上げますと、言った。

続々と、おばさんたちが、集ってきたのも、驚いた。

 

ちなみに、ビーチで働ける人は、経済的には、良い人たちである。

ビーチにも、出られない貧しい人々がいる。

 

だが、暮らしは、楽ではない。

その訳は、後で、書く。

 

辻友子が、顔を、紅潮させて、こんなんですか、いつも、と尋くので、そうなのーと、答える。

 

一度、ホテルに戻った。

 

そして、明日の朝の、慰霊と、支援のための、準備をする。

 

早速、日の丸を出して、ホテルの部屋の前に、掲げてみた。

すると、従業員が、一々、ナントカコントカと、話しかけてくる。

 

日本にいても、国旗を見ることは、稀の稀である。

 

更に、バリ島に、国旗を持って来た日本人は、いないと思う。

それに対して、彼らは、感激しているのである。

 

だから、朝、日の丸を掲げて、歩くと、道々、皆から、声援を受けた。

更に、三人の浴衣姿である。

 

キモノ、キモノと、連呼された。

 

昨日の、防波堤に出て、天に昇る太陽に向かい、慰霊の儀を、執り行う。

 

釣りの、おじさん達も、凝視している。

 

バリ島では、祈る生活が、主たる生活の核であるから、何の違和感も無い。

 

神呼びをして、祝詞を献上する。

そして、この地で、亡くなった方々、更に、バリ島にて、戦争犠牲になった方々に、深く哀悼の意を示す。黙祷である。

祈りの、最高の形が、黙祷である。

 

そして、祓い清めを、行う。

道端で、手折った、枝に、大麻を、つけて、私の場合は、普通の紙であるが、それで十分通じるのである。

 

四方を清め、祓う。

 

三人で、二度、日拝をする。

神送りの、音霊で、お送りする。

 

今回は、バリ島の香も、焚いた。

 

日の丸と、御幣で、祓いたまえ、清めたまえと、唱える。

 

一通り終わると、おじさんたちが、ありがとう、と言う。

そのように、聞える。

一人の、おじさんは、終わった私たちの所に来た。

一緒に写真を撮った。

それを、帰国して、見ると、おじさんは、白いパンツ一貫である。

 

さて、次に、支援物資である。

一人の人に、差し上げると、すぐに、人が集うので、しゃがんで、一人の女性に、差し上げた。

すると、次から次と、現われる。

 

今回、女性の物は、辻友子が、担当して、どんな物があるかは、辻友子が、知っている。

辻友子に、任せたが、人が大勢で、私も、加わった。

 

昨日、約束した女性が、何と、私たちの所に、最初に来なかったと、嘆くのである。

 

一人一枚と、言いつつ、渡すが、一枚受け取ると、それを、置いて、また、貰いに来るという、おばさんもいた。

 

結局、終わって、皆さんが、私たちが、差し上げたものを、掲げて、ありがとう、と言う。それを、見て、あらー、あのおばさん、三枚も、持っているよ、何度も来たんだと、私たちは、その素直な、行為に、笑った。

 

しかし、衣服は、足りなかった。

渡すことの出来ない人も、大勢いたのである。

ホテルに戻れば、まだ、あるが、それは、海がめの島と、クタの子供達の分である。

 

差し上げる行為というのは、短時間であるが、実に、疲れる。

汗だくになるのである。

 

それは、気の交換をするからだと、思う。

 

更に、ビーチに出られない、奥地の人にも、持って行かなければならないと、思ったし、また、次の時は、そうしたいと、決めた。

 

サヌールでの、慰霊の儀と、衣服支援は、終わった。