一日ごとに、予定をこなして、最後の予定である、コンサートは、四日目である。
雨季の終わりであるが、雨には、当たらなかった。
支援の日、少しばかりの雨だったが、すぐに、止んだ。
コンサート当日も、晴れである。
矢張り、緊張感がある。
海外での、コンサートは、なんと言っても、体調である。
不調では、声が出ない。
私は、日本でのコンサートを、半分以下にして、いずれ、消滅させようと思っていた。
もう、必要無い。
テラの会、告知コンサートである。
そんなことをしなくても、テラの会は、知られるようになる。
コンサートは、私を含めて、三名が出演する。
辻友子、千葉真康である。
第一部は、私が、辻さんの伴奏と、千葉君の伴奏で、歌う。
第二部は、辻さんのステージである。
千葉君のソロ演奏が、間に入る。
スタッフは、受付、写真を撮り、更に、音響である。
一人で、何でもする。
実際、私も、受付に立った。
小西さんの、奥さんや、慧燈財団の事務局の方も、お手伝いに来てくれた。
第三回の、長い紙の看板が、舞台の後ろに、掲げられた。
それは、チェンマイ在住の、書家の方が、書いて下さったものである。
私たちは、4:30から、会場となるホールに入り、即、リハーサルである。
兎に角、辻さんが、歌う時の、伴奏カラオケが、入るのかが、問題だった。
前回は、CDに入れた伴奏が入らなかった。スタッフが、気を利かせて、テープにしていたので、その難を、クリアした。
今回も、二つ用意していたのである。
反響のスピーカが無いので、歌う者は、大変である。
私などは、伴奏と、歌と、ズレてしまい、苦し紛れに、この歌は、ズレるところが、聴きどころです、なんて、話したりして・・・
辻さんの、リハーサルが、上手くゆけば、上々である。
私は、何度も、千葉君とやっているので、歌詞の一番だけで、十分。
ただ、辻さんの、伴奏は、互いに、その時の、ムードであるから、緊張感あり。
案の定、私が、ああモンテンルパの夜は更けて、の、説明をして、歌いだすと、伴奏が無い。
さあ、どこから、入ってくるのかと、歌いながら、待つ。
モンテンルパの夜は更けて
募る思いにやるせない
遠い故郷偲びつつ
涙に曇る月影に
やさしい母の夢をみる
私の、語りを、そのままに、歌に移行して、最初は、アカペラを聴かせ、そして、涙に曇る月影、に、入ると、伴奏が鳴り出した。
すると、今度は、伴奏と、歌の、駆け引きである。
即興の、面白さである。
二番の歌詞に、すぐ入った。
次第に、伴奏が、激しくなる。
三番に入る前に、少し、間合いを、置く。
辻さんの、適当な合間の演奏が入り、さて、どこから、三番を歌いだすか・・・
三番は、聴かせどころ、である。
いつもより、控え目な、伴奏で、ある。
モンテンルパに朝がくりゃ
昇る心の太陽を
胸に抱いて今日もまた
強く生きよう倒れまい
日本の土を踏みまでは
思いっきり、歌い、最後の伴奏は、とても、言い表しえない、強さだった。
まとめ、である。
ちなみに、タイでコンサートをする場合は、まず最初に、王様賛歌の、歌を流し、全員起立である。
これ、常識である。
そして、君が代の、合唱である。
最初の音を、私が、高くしたものだから、とんでもなく、高い音の、君が代、になってしまった。
さらに、ちみなにである。
君が代は、きいみいがああよおおはあ、である。
とても、難しい歌である。
古今集、読み人知らずの歌であり、大切な人の、長寿を願い、祝う歌である。
それが、日本の古典歌の、様々な形で、歌われていたもの。
それを、明治に、国歌として、採用した。
その、メロディーは、薩摩琵琶からとられたものである。
君が代は
天皇のことではなかった。
天皇は、大君であり、君ではない。
しかし、これ以上は、省略する。
結局、難なく、無事にコンサートが、終わった。
特に、印象的だったのは、辻さんが歌った、私の作詞である、帰り来ぬ風、116万人遺骨戻らぬ悲しみの歌、である。
ただ今、ユーチューウブで、聴く事ができる。
私は、楽屋、舞台の後ろで、聴いていたが、感動だった。
かの南の島に吹く風はやさしい
一筋の突風が吹き
無念の思いが満ちる
故国への思い深く
そこに佇む魂
会場には、南の島で、兄が戦死したという方もいて、涙を流したという。
更に、終わって、玄関で、見送りをしていると、一人の男性に声を掛けられた。
何と、モンテンルパの世は更けてを、作曲した、伊藤さんを知っているというのである。
今年、六月に、亡くなられた。
こちらも、驚く。
しばし、伊藤さんのお話を、伺った。
コンサート終了である。
私たちは、疲れもあり、そのまま、ホテルに戻った。
そして、後始末を終えた、小西さん夫妻と、ホテルの、レストランで、ささやかに、打ち上げをしたのである。
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