フィリピン ネグロス島タリサイ〜シライ追悼慰霊
Talisay-Silay, Negros, Philippines,Memorial service for war victims page2
平成23年1月13日
日本語の話せる現地の方が、ガイドをかって出て下さいました。
その方のご好意により、バコロドからタリサイ、シライ、ギンバラオンの慰霊に同行していただくことになりました。
その後、山のふもとの農村の衣服支援も手伝っていただくことに。
まずは、タリサイの追悼慰霊の様子からご覧下さい。
その日はタリサイで週に一度の市場のたつ日だった。日本統治時代からある古い屋敷の前で慰霊した
タリサイとシライには歴史的建造物が多数存在する.この建物も日本軍占領時代からあるもの
マンダラガンの山から流れてくる川.この橋の上で追悼慰霊の儀をはじめる
山の中に敗走し、つぎつぎに亡くなった日本兵の遺骨が流れてきたことだろう
いまは静かな砂糖きび畑に囲まれている
現地人支援者の方にも協力をお願いした
私たちの行為をどこまで理解してくれたかはわからないが、一緒に祈ってくれた
川に流すつもりだった御幣だが、中洲にひっかかってしまった.少し残念だった
途中、運転手が財布ごと免許証を失くすというアクシデントに見舞われ、長く足止めをくった
その後交代した運転手に、マンダラガンの山の見えるところまで車をとばしてもらう。やっと民家が少なくなり、慰霊ポイントに来た
日本兵の逃げ込んだマンダラガンの3連山は、厚い雲に覆われていた
照りつける日光の中での慰霊だった
前回島の南端のドマゲッテにしか行けなかったわれわれには、念願かなってのバコロド慰霊だ
この道のずっと奥に、さらなる僻地の村々があるという.3時間1000ペソで車を借りていることもあり、今回行くのははあきらめた
周りは貧しい農家である.豚や鳥を飼っている.シライ空港の裏手に当たる
念願かなっての、マンダラガンの3連山へ向けた慰霊でした。
いまだに山の密林の奥深くに眠る英霊の方々に、祈りが届けばよいと思いました。
慰霊はこれで済んだつもりだったのですが、その日のさいごに、たいへん驚くべきものに出会うのです。
それはのちに紹介します。
いよいよ近くの農村での衣服支援です。→つづきは
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