木村天山  日々徒然 バックナンバー  

 

 日々徒然12

 朝、太陽を拝する。どんなに厚い雲がかかっていても、太陽があるという安心感が、人生を信じられる気持ちに変容させる。

 私はカトリックの洗礼を受け、諸派の仏教を学び、神道に行き着いた。

 宗教は人それぞれの波動に合わせて、各人が好きな波動の宗教を信ずる。それは何の問題もない。何が正しく、何が本当であるかというものはなく、絶対というものもない。すべが正しく、すべてが本当である。

 私は、その宗教の発祥の大本である、太陽信仰に気づいたということである。

 どの地域でも、最初の信仰形態は、太陽崇拝から始まった。そしてそれは正しい。太陽は神の化身である。つまり、太陽そのものを神として崇めてもよい。

 各地の太陽信仰が、その後、その風土、民族等々によって、次第に人格神を生み出してゆく。それはまた、戦いの歴史でもあった。自分たちの神を、他民族に拝ませることによって支配するというものである。

 古代の歴史を見れば、戦いに勝った国は、負けた国の神を破壊して、自分たちの神を祀り、拝ませるのである。そうして統一させた。

 人格神は、民族の集合意識によって生まれた。神の誕生である。集合意識が、神を作り出したのである。それは四次元以上の霊界にも、場を作り出した。

 また、巨大宗教も信者の集合意識によって、霊界に、その場を作り出した。

 その国の上空には、民族神の霊界が広がり、その上に、巨大宗教の霊界が広がる。そして、その上に、ヒマラヤ神界、高天の原神界がある。

 勿論、まだまだ霊界は複雑であるが、簡単に言うと、こうである。

 上に広がる霊界もあれば、下に広がる霊界もある。地球の内部にある霊界である。

 宇宙を天とすれば、地球は地である。地は、天と共鳴して命を生み出す。壮大なドラマを演じている。

 私の言いたいことは、天と地は、感謝の思いによって成り立ち、宇宙の惑星も感謝によって、共鳴して成り立っているということである。

 一人の人間が生きるということは、そのすべての宇宙の働きがあってのことであるから、それを私は、太陽に感謝するという行為で、昇華する。

 太陽系の宇宙は、他の太陽系の宇宙とも感謝し、共鳴して成り立っている。太陽系の主は、太陽である。つまり神であるから、私は太陽を拝するのである。

 最も大切なことは、民族神の戦いによる不幸を、太陽神によって治めてもらいたいと思っている。もう、その段階に進化してもいい時代である。

 民族と宗教が起こす戦いによって、世界は、いつも紛争と戦争が続く。他民族、他宗教との共存が正しいものであることを、訴える。つまり、それらは一民族神であり、大本は太陽であるから、何も争いすることなどないのである。風土や民族の体質を認め合い、共存共生する。それぞれの違いを楽しむのである。

 そして実際的な平和を望むならば、分かち合いの精神を持ち、不足のあるところに、過剰なところから、贈るのである。そこまで人間が進化してもいい。この世界に特別な民族や、特別な神はいない。太陽の前に、民族も人格神もみな平等にある。

 人格神である神々も、人に拝まれて進化するという真実。

 太陽信仰に気づくこと、立ち戻ることである。