木村天山  日々徒然 バックナンバー  

 日々徒然21

 横浜市の地下鉄が、全席を優先席とした。一年間のテストケースを経て、それを続行させると言う。それを見て、私は絶望感に満ち溢れた。

 全席を優先席にしなければならない程、道徳が退廃しているのかと。

 お年寄り、体の不自由な方を優先的に座らせるという主旨に、何ら問題はない。しかし、若者だって、時に具合が悪くて座らざるを得ない時があるだろう。そういう時は、年寄りでも、若者を座らせるだろう。

 それは、自発的に行われることなのである。道徳とは、臨機応変に物事に対処出来ることを教えるものである。それが廃れて、決められなければ事がならないという、それは、心の崩壊である。

 おかしなことを平気でするようになった。例えば、運動会で、順位をつけないというアホな考え方である。戦って順位をつけることから、人は多くのことを学ぶ者であることを忘れた人々である。

 こうして、日本が歪んでくる。

 自由と平等の思想を、変形して受け取ってしまったとしか、言えない。

 これは教育の退廃である。そして、その方向性が見えないのである。問題は、どこにあるのか。

 愛国心を教育しようとすると、アホな連中が、片寄った思想教育をするなと言う。愛国心の教育の、どこが片寄っているのか、私には理解出来ない。

 日本の国を辱める者が、教育の現場にいるのである。日本の歴史、伝統、文化的行為を、他国より劣るものだとする、アホである。

 そういう連中が、のうのうとして、日本に暮らしている。この日本の平和を享受して、なお、日本を卑下しているのである。信じられないことである。

 全席を優先席にして、何を求めるのだろうか。それを考えついた、愚かな人。人を思いやる心を育てる教育をしないで、規則で人を縛り付けようとする時、社会は、不毛地帯社会になる。

 犯罪が多いアメリカの町で、落書きを消すことから始めて、五年後、犯罪が激減した。道徳教育の最もたる方法である。

 道徳教育とは、歴史を基にした伝統的な礼儀作法を教えることである。

 唐の名君と言われた二代目皇帝太宗は、徹底的に道徳教育を民にして、戸締まりのいらない国を目指した。

 自由と平等を掲げた教育が、今、瀕死の状態に陥っている。自由と平等は、不自由と不平等から成り立つことを、誰も教えない。

 人生を絵空事のように教える教育のあり方が、今、まさに問われている。

 全席優先席として、平然として、誰も物を言わない社会は、狂っている。

 ここまで、社会が変質してしまったのかと、私は、絶望するのである。

 善意を強制することの恐ろしさを知らない人が考えついた、非常に稚拙で未熟な方法であることを、知るべきである。

 お年寄り、体の不自由な人を大切にするという考え方が、自然に身につくことが、最高の人としての道であること。それを教える人が、先生である。

 この国が、どこへ向かっているのかと言えば、滅亡へと向かっている。自滅するのである。豊かになって、たかだか50年程で、民が狂った。

 今までの歴史にはない幸福な時代を生きている。しかし、その幸福の中で、非常に大切なものを失ってしまったということも事実である。

 せめて気づきのある人は、自分の心に問いかけて、自己道徳教育をすることである。人のことより、自分が、まず目覚めることである。

 個人が目覚めて、自己道徳教育をして、日本の滅亡を防ぐしかない。

 ささやかながら、私は、縁ある人に、これを提唱する。