木村天山  日々徒然 バックナンバー  

 日々徒然 36

 ニューヨークの9,11から、世界でのテロ行為が、益々盛んになっている。これを、私の霊学から、分析する。

 テロ行為の大元は、積み重なった憎悪の念が、一つの大きな霊体となって、憎悪の感情を持つ一団の人々によって表現されている。

 思い起こせば、日本以外の国は、支配する、されるという繰り返しで、有史以来、戦いの歴史だった。民族、宗教の戦いである。そこで負けた民族、滅ぼされた民族、宗教の怨念が渦巻いている。

 中世、カトリックの十字軍は、異教徒イスラムへの戦いをした。極めて遺憾ながら、同じ神を奉ずる者同士が、戦ったと言える。キリスト教とイスラム教は、今の今でも戦うという、愚かさ。キリスト教を奉ずるアメリカが、世界の警察になっているのだから、イスラム教は、おもしろくないだろう。そこに、石油の利権も絡んで、イスラムはアメリカを目の敵にする。支配されているということが、おもしろくない。

 というように、一つを見ても、この通りである。それに、怨念の固まりの霊団が関与して、テロは終わることがない。

 イスラム圏では、テロを支援する者もいる。終わる訳がない。

 このテロの行為を鎮めるためには、一つの方法しかない。それは、祈りである。

 怨念の固まりの霊団を鎮める祈りである。

 怨念を散らしてしまう、祈りの力である。

 今こそ、宗教が立つべき時なのである。すべての宗教が、世界の平和を祈ることが、急務である。宗教争いをしている暇はない。

 さあ、どうするのか。するのか、しないのか。きっと、出来ないであろう。未熟だから。 私は、世界平和を真実祈ることが出来る宗教は、神道以外にないと思っている。他は、あまりに毒されているからである。自己浄化出来ないほど、未熟なのだ。

 他宗を異端として排斥し、非寛容で排他的な宗教は、祈りも力無く、神に届かない。神が聞く訳もない。宗教とは名ばかりで、偏狭な思想と、教義に毒されているからである。それらに期待していると、テロは終わることがない。

 ならば、神道よ、立て、と言いたい。神道こそ、寛容で排他的ではない宗教はない。当然、神に祈りが受け入れられる。

 ところが、この神道の宗教家は、居眠りをして、のうのうとしている。つまり平和ボケをかましているから、終わっている。では、どうするのか。宗教に関係のない人々が、心を合わせて、神に祈ることである。

 神は、地域も、人種も、まして宗教にも関係がない。それらに関係する神なるものは、神へと進化している神に似た存在である。つまり地域の神様。霊界で言うと、天使たちの部類である。便宜上、神と名乗っているだけである。

 テロ行為を止めるために祈れとは、現実的ではないと言われることであろうが、では、テロ行為を止める、最上の方法を、誰か知っているか。誰も知らない。

 つまり怨念というエネルギーを政治的行為や経済的行為で、解除出来ないのである。唯一の方法が、祈りであるという私の考えを、どう思うか。

 神の波動が一番乗っていのは、太陽光線である。太陽を通して、神に祈ることが、一番早い方法である。朝の太陽に、世界平和を祈ることで、誰も損をしない。

 私は言う。太陽に祈れと。有史以来重ねてきた、怨念の歴史を祓い清めたまえと祈る。そういう人々が増えることが、間違いなく、テロ行為を止める、一番の方法である。

 これ以上に方法があると言う人は、一刻も早く、その方法を行ずるべきである。