木村天山  日々徒然 バックナンバー  

 日々徒然38

 この度、日教組の長に就任したお方のインタビュー記事を、毎日新聞で見て、仰天した。 曰く、愛国心教育の強制に断固反対すると言うのだ。つづけて、愛国心は、強制されてなるものではないと言う。

 この人は、教育ということを、何も理解していないと判断した。

 教育とは、平たく言えば、強制である。国語、数学、科学、社会、英語等々、教えることで強制しているではないか。

 愛国心教育は、しっかりしている、今更、文部科学省に言われる筋合いはないと言うなら解るが、いったいこの人は、何を言っているのかというのが、私の感想である。

 日教組は、学校の先生の組合いではないか。それが、愛国心の教育を、強制するものではないと言う。いったい、教えられないで、成るものがあるのか。

 義務教育のない時代なら、まだしも、今は学校ですべてを習うのである。愛国心も教えられなければ、得られるものではない。

 国を愛する心を教えられないのなら、教師を辞めるべきである。

 あなたは、どこの国いて生きているのかと、私は問いたい。どこの国の恩恵を受けて生きているのか。

 もし、この人が、真面目に真剣にそう言うならば、即刻、辞めるべきである。

 またこの人の言う言葉が日教組の考え方なら、日教組は、すぐに解散すべきである。教育の根本を知らない。教育の何たるかを知らない。

 教えるということが、強制であることを、心底知るべきである。

 愛国心と同じに他の教科も強制しないというなら、学校に行くことはない。

 学校教育そのものが、強制ではないか。人生の一時期、強制、絶対服従する時期が必要なのである。それが、義務教育なのである。日本の伝統文化の伝承の仕方を見ても、それは強制から始まるのである。

 何も知らない子供は、大人の良き伝統を強制されるから、成長するのである。それが野放しになったら、どうなるのか。今の教育の問題が、それではないか。今まで、日教組がしてきた、その結果が、この教育の荒廃、質の低下ではないか。

 自己を反省することなくして、成長することは出来ない。多いに反省してもらいたい。

 さて、私が言う愛国心について言う。日本の素晴らしさを教える教育をすべきなのである。それの端的な教科は、国語と、歴史教育である。それこそ、愛国心を強制せずとも、国を愛する心を培うものである。

 愛国心教育の強制に断固反対するなら、愛国心教育の方法を語るべきである。単に、政府や文部科学省に対抗するために物を言うなら、それは、教育者にあるまじきことである。政府や文部科学省が、教師の相手ではない。教師の相手は、生徒なのである。ただ、ただ生徒のことを考えて行動する。子供のことを考えて行動する。日教組の組織のことを主に行動するなどは、論外である。

 胸に手を当てて、とくと反省して欲しい。日教組よ、あなたがたのやってきた結果が、歴然として見えているではないか。これが結果であるという、今の教育の行き詰まりの原因は、あなたがたの偏狭な思想のせいではないか。

 国を愛する教育が出来ないならば、即座に教師を辞めるがいい。政治が、主権在民であるように、教育は、生徒が主権である。愛国心を学ぶ権利がある。

 日教組よ、教師になっている者は、崇高な理想を胸に教師になっているのか。生活の糧を得るために、ようやく教師になっているのではないか。それらを束ねて、あたかも、崇高な理想を行うが如くに何かを言うのではないか。今の教育の行き詰まりを反省すべきだ。