木村天山  日々徒然 バックナンバー  

 日々徒然 41

 靖国神社の問題である。各地で、総理大臣の靖国参拝が違法であるとの判決を受けた。公人として靖国を参拝するのが違法であるという、その判決自体が違法であると私は思う。信教の自由を憲法で認めているのである。

 訴えている人が、宗教団体、戦没者の遺族である。

 国家宗教を認めないというのも、憲法で言われている。今更、昔の国家神道が復活して、再び、日本が戦争国家になると言うのではないだろう。もし、そう思っているとしたら、それは妄想である。

 素朴な疑問として、総理大臣は、どの宗教を信じてもいけないということになるのか。それとも、靖国だけが駄目なのか。

 A級戦犯が合祀されているから、駄目なのか。戦争を起こした者が合祀されている。それは、戦争を肯定していることだと言うのであろうか。アジア侵略を善しとしていると考えてのことか。実は、これは日本のマスコミが、囃し立てたことから始まる。中国も韓国も、そんなことを問題にしていなかったのである。ところが、ある新聞が、ことさらそれを問題にして騒ぎ立てたことから、このような自体になった。日本の中に、この問題があることに、気づくべきだ。靖国参拝を、ことさら嫌がる者が日本にいるのである。

 さて、日本の伝統は、どんな悪人に対しても、死者を祭るという伝統がある。

 それは宗教ではない。伝統なのである。

 国家としての宗教を持たないというのだから、総理大臣が靖国を参拝しようが、個人のことであろうと、私は考えるが、そうではないらしい。その心は何か、そうとうに、考え過ぎか、妄想していると、思われるのだ。

 総理大臣が靖国を参拝するということで、他国が干渉することも腑に落ちない

 焦点はA級戦犯が合祀されているということであろう。しかし、何故、それを非難するのだろうか。相手は、死刑になって死んだ人である。死者の霊に手を合わせることを、何故干渉するのか。それを干渉する方に、問題があると、私は考える。

 ましてそれによって、大切な国同士の関係まで悪化するなどという愚行をするということが、理解出来ない。

 何度も言うが、日本には国家宗教はないのである。それを前提して話をしなければならない。総理大臣が靖国を参拝するのは、極めて個人的な他がそれを犯すことの出来ない情緒である。公人であろうが、私人であろうが同じこと。

 そしてこれを突き詰めてゆけば、天皇制に至る。天皇は、神道の司祭であるから。だが、これも、日本の伝統なのである。

 ちなみに、国家神道として、戦争に利用された神道であるが、神道自体は、何も干渉することなく、どの宗教も寛容に受け入れ、他を排斥することがないという事実を言う。

 私に言わせれば、神道ほど平和的な宗教はないのだ。

 宗教とは言わなければ、日本の伝統と言ってよい。他国で言うところの宗教なるものと、神道は、全く違うのである。死者を祭る古来からの伝統である。他国から、この伝統と慣習について、干渉される必要はないのである。

 キリスト教系の人々も、違法であると声を上げているが、カトリック、プロテスタント共に、どれ程の悪事を世界でしてきたのか、よくよく思い起こして欲しいものである。宗教戦争の様は、仰天するほどのことをしてきた。自分たちが国家宗教になれば、排他的で、非寛容になるのだから、それを土台に、神道に警戒するのであろうか。それならば、妄想である。神道は、一切排斥する事なく、寛容である。その教えに、他宗教を排斥するというものはない。すべてを包容しているからである。

 仏教系も同じく、神道に、どれほどお世話になったか思い起こして欲しい。仏の守護までするという神道の神々を、思い起こして欲しいものだ。

 勝手に思い込み、妄想して、総理大臣の靖国参拝は違法であると言う面々の、歴史の認識が、戦争時代のみで、それ以前の歴史を見ない愚かさである。

 だが、言論の自由である日本の素晴らしさを、こういう自体からも、感嘆する。