木村天山  日々徒然 バックナンバー  

 日々徒然49

 イラクの人質三人、そして、二人が解放された。安堵した。殺されても文句が言えない状況だった。本当に良かった。

 このことで見えたことは、イラクの日本人に対する態度である。五人は、皆、アメリカに組する者ではないという理由での解放だったが、イラクの人は、日本を友人だと信じていることだ。それは、日本がアメリカから最大のテロ、原爆を投下されたと言うことだ。アメリカを敵に回しても当然の国であると見ている。

 多くの人のイラクからの報告を見ても、イラクの人は日本人に親和をもって望む。

 それは色々な意味合いがあるが、大きな特徴の一つに、宗教があると私は思っている。キリスト教ではないということが、大きな意味だ。日本は、宗教色のない国なのである。そして、自分たちを援助してくれる、豊かな島国であると。

 あのイスラムの人から友人とされるとは、大変な事である。何せ、一神教の場合は、その他は、人ではないという程に排他的である。非寛容である。それが、日本を受け入れている。これは画期的なことだ。

 平和的解決を求めるのであれば、日本が仲立ちするのが、一番適役であると思う。

 以前にも書いたが、根強い問題として宗教がある。元は同じ神であるが、それだから、尚更、嫌悪の情が強く出る。

 日本は仏教国と言われるが、それは仮の姿である。仏教と言っても、大きくねじ曲がった仏教である。実は、本当に仏教と言っていいのやら・・・仏教の経典を利用して、新しい宗教を創作したとも言える。新興宗教を見てもそうだが、実は、鎌倉仏教も、新興宗教なのである。

 さて、それはともかくとして、日本は、神道の国である。ところが、神道は無定形の宗教であるから、日常生活に生きているが、それを神道と意識することがない。日本には、宗教がないという人もいるが、確かに、欧米の意味で言うところの宗教は無いのである。世界に唯一である、無定形の宗教とは。

 世界の人が日本を見る時、そういう安心感がある。イラクの人も、宗教的に対立することのない日本に親和的感情を抱くということが、理解出来る。そして、日本は、プラスになるものばかりである。与えてくれる国なのである。それに甘えられる国である。

 いつか、もっと具体的に書くが、唯一、日本は世界の平和を指揮することが出来る国なのである。民族的対立もない。一時期、アジアの国に対して誤ったことをした。しかしその後、日本は多くの保証と援助を行い、友好に努めた。それを具体的に、両国の国民が知らないだけである。

 今もって、あの時代の日本を許さない、怨念、憎悪を言うが、今の日本は、当時の日本と違うのである。あの当時の清算として、二つの原爆を受けたのである。その憎悪をクリアする程の痛みを受けたということを、アジアの国々は知って欲しい。

 戦争とは、そういうものであり、歴史はそれを通ることを求めたと言える。過去は変わらない。未来永劫、日本人が、アジアの国に謝ることを求めているような国もあるが、過ちを認めて謝罪する日本を叩き潰したいのであろうか。

 どうしても、そういうことを求めるなら、私は言う。千年もしないうちに、日本は無くなると。日本という国名も無くなる。それで、恨みが晴らせるなら、そういうことである。 日本の神道が無定形であるように、日本人も、実は無定形の民族である。その精神は、自由自在なのであるから、世界と融合して、取り込まれて、姿形を無くしてしまうことが出来る民族である。歴史は、いつかそれを求める。

 異質なものを、融和することが出来る日本人は、いずれ世界に浸透して、世界の調和のために働く存在である。

 さて、イラクの問題である。国連主導に切り替え、日本が率先して話し合いに参加し、新しいイラクの国造りに貢献するべきである。自衛隊が軍隊であるとされるなら、自衛隊を撤退させて、徹底的に民間主導で、イラクに貢献すればいい。

 日本人が通れば、イラクの人々が歓迎する程の国になればいい。日本の貢献に、テロも手だし出来ない程になればいい。彼らが憎悪するアメリカと一緒ではなく、日本は単独に、イラクのために行動するのであると、宣言すればいい。