木村天山  日々徒然 バックナンバー  

 日々徒然55

 公金とは、税金のことである。国民の収入から、それは収められる。

 警察官らが組織を上げて、その公金を横領している。悪事を取り締まる警察が、横領である。仰天する。そして、もっと仰天することは、罪の意識がないということである。 何十年も続けていれば、麻痺して、罪の意識もなくなるとは、恐れ入る。

 警察が、こうなのであるから、官公庁、市町村が公金横領をしていることは、想像にかたくない。皆ですれば、怖くないのであろう。この公金横領が、年に何兆円になるか、わからないほどの金額である。それらが、国民の僕である者共にされている様である。国が滅びる。国が滅びれば、元も子も無いだろうに、彼らは、罪悪感の何も持たないとは、もう言葉が無い。

 私は言う。地獄行きである。死後の世界を信じない者共であろう。しかし、私は知っている。死後の世界はある。彼らは地獄に行くのである。そして、もっと悪いことは、約七代に渡って祟られる。祟るのは、人ではない。金である。

 お金には、特別な波動がある。生き物と同じと考えてよい。特に、人の心の想いを、お金は写す。これが恐ろしい。彼らはお金に祟られる。これは人に祟られるより、怖いことである。

 物に心が宿るとは、日本の伝統的な考え方であり、それは本当のことである。人の想いの強く入った物は、人と同じように、波動を持ち、事を起こす。例を上げることなく、知る人は知る。

 人を殺すことが罪であるように、人の想いが入魂した物を奪うのは、同罪である。悪事の中の悪事であることを知らないから、不幸である。

 もう一つ言っておくが、死後、後悔しても遅いこと。そして、子孫が供養、回向しても、その効き目はないということである霊界は自業自得の世界である。

 ちなみに、私は霊の供養や回向は、ほとんどしない。何の益するところがないからである。あれは、催眠術のようなものである。している本人だけが、満足するのを、供養、回向と言う。そんな生易しいものではない。

 きっと、誰も責任を取れる者はいないだろう。人の物だから、罪の意識もないのだろう。こういうのを、救われない者と言う。さて、どうするか。

 もし救われたいなら、懺悔するしか方法はない。しかし、懺悔出来る程、人間が出来ていないだろう。

 官公庁、市町村、警察と、皆、公務員である。日本も、落ちたものである。公僕の者共が、この体たらくである。

 私は言う。歴史を見れば、古いものは滅びる。日本という国が滅びる前に、公務員どもが滅びるだろう。具体的に言う。白日の下に彼らの行為が晒される。そして、誰も裁かない。勿論、信用もされない。信用を取り戻すには百年かかる。その前に国家公務員、地方公務員共に、無くなる。すべての仕事は、民間が請け負うことになる。当然のことである。 リストラされた公務員が、どうなるのかは、私も知らない。