みたび日々徒然 106
木村天山
カウンターテナーの藤岡宣男が亡くなった。私の目の前で、亡くなった。
最期まで、藤岡宣男は、私と共にいた。七年と半年の月日を過ごした。
2001年2月の最初のリサイタルから、私は彼と共に行動してきた。
毎日のように、ケンカをした。そして一緒にいた。
彼と私は、正反対の性格である。彼は几帳面で、しっかりと計画し、段取りをつけて誤りのないように行動する。私は、いつも彼に「丼勘定で、大ざっぱ、それを反省もしない」と怒られた。
私と彼は一目瞭然、社会に通用するのは藤岡であった。少し注意すれば、誤解されることはないと、彼は私に言った。しかし、これが性格である。
ところが、正反対の二人は、それだから一緒にいられた。
私が涙するのは、そんな私を彼は尊敬してくれたことである。そんな私を尊敬する。何故か、それは彼の知らない世界を私は知っていたからである。
つまり、成績優秀、頭脳明晰な彼は、学問を修めたが、私の持つ雑学を知らなかった。例えば、宗教、霊学、古神道等々に関することを、彼は私に尋ねた。
彼は、私を兄のように父のように、肉親以上に慕い、甘えてくれた。だから、ケンカをした。彼は私が大声で話すことを嫌った。彼は母子家庭で、父の存在がなかったせいもあり、男が大声で話すという状況に強い抵抗感を持っていた。
私は彼の嫌いなタイプだった。それなのに、一緒にいた。縁である。
縁は、神事の世界の問題であるから、人知では計り知れない。一緒にいるべき理由があってのことである。
いずれ、私も霊界に行く。その時に、二人が縁した理由が明確に解る。彼は、すでに霊界にて、それを知ったであろう。
人が死ぬ者であることは、百も承知の私も、泣き崩れた。私自身を支えることが出来ないのではないかと思えた。しかし、彼の遺骨を抱き、彼の部屋に戻ると、その寂しさや、悲しみを、彼は、すべて取り除いてくれた。それは見事な作法だった。
「僕はいる」という強いメッセージを私は受けた。
死んでも死なないという、私の言葉が、実感として彼から受けた。
肉体を失っただけであり、霊魂は死なないのである。
私の学んできた霊学は、彼によって、また明確になった。
悲しみは、大いなるけれども、私も、いずれまた逢うという確信を得て、これから藤岡宣男の意思を継ぎ、生き続ける。生きて生きて生き抜くことこそ、藤岡宣男に報いることであると確信する。
神とは、秩序と法則である。それは感謝と報恩という行為に現れる。
霊界は、その秩序と法則の中にあって、次元の段階がある。しかし、目指すところは、神との同化であろう。それが古神道が教える、自然との同化、共生である。自然の中に神の御業がある。八百万神とは、自然神のことであり、その神々の内に生かされて生きる人間という存在である。
藤岡宣男に感謝する。ただただありがたい。ありがとう。
すでに、霊界にて、活動を開始している。
私は、それを確信する。