みたび日々徒然 83

木村天山   

 

 マスコミに登場する、傲慢不遜、厚顔無恥の売れっ子占い師がいる。

 私も占い師として、正しい批判をする。

 あの占いはウソである。本人は、本が売れているから、その気になっているようだが、当たると思われるような占いを創作したのである。その一つが、悪いと言われる期間が長いことである。悪いとか、マイナスイメージの多い占いは、当たるということになる。

 それは、人生に手放しで喜べるような僥倖が少ないことからも解る。

 12年あれば、6年間は、悪い時期である。当然、当たるというイメージを持つのである。民衆は愚かであるから、当然であろうが、あまりにも愚か過ぎる。

 また、風水家相ということでマスコミに登場する占い師もどきの建築家もいるが、あれもウソである。少々、気分転換させる程度の風水の齧りを披露して、仕事にしている。何を生業としようと、それは個人の問題であるから、それに関しては何も言うことがない。 ただ、私は言う。風水とは、一般の人は利用出来ない。風水は、為政者、また特別な人に当てはまるものである。

 マンションの部屋を風水で変えることは出来ない。風水は、そんな程度のものではない。気休めである。

 一つ真実を言う。住まいは人の心が変える。例え、幽霊が出る部屋に住もうが、住む人の心に、幽霊が無ければ、幽霊は無い。凶相の家と言われても、住む人に凶相が無ければ、凶にはならないのである。

 風水は、城を建てる程の者が利用出来るのであり、一般の人には、意味がない。

 風水というより、それは過ごしやすい部屋作り、家作りということだろう。

 大層な意味を与えられるとその気になるというのが、大衆である。

 占いの元は、東洋系と西洋系があるが、どれとて完成したものはない。今も、発展途上にある。

 占いも一つの情報であるということである。悩み解決、方向性の指針に対しての一つの情報である。つまり、占いとは、生かすものであり、予言にはならない。

 霊能力でなければ、予言は出来ないが、霊能力とは、多次元の、その多くは低次元の霊界からの情報であるから、それもすべてを信じる訳にはいかない。

 霊的能力のある者が、人格的に優れているということは、あまりない。多くは、低レベルの霊界が関与しているからである。彼らが、神の世界からと言う情報は、大半がウソである。神は、予言をしない。神は沈黙の存在である。

 さて、占い師が、地獄に落ちるとか、寿命を延ばすとかを言うことは出来ない。ところが、傲慢になると、そういうことを言う。哀れである。地獄に落ちるのは、言う本人であろう。気の毒である。

 占いのからくりは、定義である。定義するから、成り立つ。しかし、その定義を無くすれば、占いも無いものである。あたかも、在るか如くに言う、天国や地獄という宗教の定義と同じである。原罪がある、弥陀の本願がある、悟りがある、菩薩になる等々、ありもしない妄想を教えて、信者を撹乱させる定義である。

 空の思想を教える仏教でも、空の定義をするという、愚かしさである。少し賢ければ解ることだが、哀れであるから、解ることがない。

 物事の本質が解れば解る程、謙虚になるというのが、真実であることを知らない。

 

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