木村天山旅日記

  モンテンルパ

  平成21年9月 

 

第2話

前日の夜に、用意した、お握り。

三個。

ご飯が、残り、もったいないと、タラコも残っていたので、タラコお握り。

 

朝は、五時に起きて、六時にタクシーを予約していたので、それに乗り、成田行きのバス乗り場へ。

いつも通り。

 

バスの中では、眠っていた。

何せ、一人で、四個のバッグである。

 

支援物資は、32キロ。機内への持込は、搭乗手続きの時に決めようと思った。

 

搭乗手続きで、案の定、オーバーである。

ところが、受付の、お姉さんが、オーバーですね。何か、少し、抜いてください。一枚でもいいですから・・・と言う。

 

27キロであるから、オーバーである。それで、タオルを、一枚、抜いた。

すると、お姉さんは、帰りは、これでは、無理ですよ、と言う。

大丈夫です。これは、皆、差し上げるものです。

それなら、大丈夫ですね。

 

機内持込の、バッグと、自分用の、荷物のバッグを、持って、二つ。

うろうろしないで、出国手続きをした。

 

十分に時間がある。

二時間前である。

喫煙室に入り、タバコを、吸う。

何度も、出たり入ったりをする。

そして、いよいよ、お握りを食べた。

 

何と、旨い、お握りか。

ダイエーの、割引タラコ入りの、お握りである。

 

二個食べた。一個が、残る。これは、マニラに着いてから、食べようと思ったが、台北の待ち時間に食べた。

台北の待ち時間が、予定変更で、四時間になった。

四時間待つのは、疲れる。それに、ドルを持っていないと、思っていたので、何も、飲めない、食べられない。

後で、ドルを、持っていたことに、気づくが・・・

 

漸く、搭乗である。

台北から、マニラまで、三時間程度。

勿論、私のことであるから、決められた席には、座らない。

 

最後に、搭乗して、空いている、席に座る。

誰もいない、席である。横になって、寝られる席。

 

後の席が、空いていた。

そこに、座る。そして、寝て、マニラに、到着。

 

予定時間より遅く、夕暮れのマニラに到着した。

タクシー乗り場で、キップを切るタクシーに乗る。安全だからだ。

 

しかし、そのタクシー運転手が、事務所に立ち寄ると言う。その、訳が分からないが、そのまま、任せた。

私は、以前泊まった、ホテルの名を言ったのだが・・・

 

事務所に、着いた。そこで、一度、降りる。

そして、事務所の女に、再度、私の希望するホテルの、通りの名を言う。が、彼女は、別のホテルの、パンフレットを持ち出してきた。

 

そこで、私は、テーブルを叩いて、Sに泊まる、と、言い切り、外に出た。

運転手は、ソリーソリーと、追いかけて言う。

 

私は、荷物を、下ろしてもいいと、思った。

だが、運転手が、平謝りするので、再度、通りの名を告げて、ホテル名を、言った。

すると、運転手は、オッケー、ソリーと、何度も言った。

 

そして、目的のホテルに着いた。

メータータクシーなので、チップなしの、料金を払った。

それでも、運転手は、チップを要求しない。

毅然とした態度が、いい。

 

ただし、それが、すべてよいという、訳ではない。

 

私が、タクシーを降りると、ホテルのガードマンや、ポン引きのおじさんたち、その周りにいた人々が、歓迎の歓声を上げた。

私を、皆、覚えていたのである。

 

荷物を、皆で、運んでくれた。

 

私の方が、驚いた。

 

ハウロング スティー

テンデイズ

オッケーオッケー

 

一泊、1500ペソ、3000円のホテルは、改装していた。

といっても、部分的に、改装して、少しづつ、新しくしている。

 

以前に、泊まった三階の、別の部屋に案内された。

廊下には、木材が、ある。信じられない状況。

 

だが、私は、その部屋の広さを、好んでいた。

古いホテルだが、たっぷりとした、空間があった。

今回は、一人なので、ワンベッドルームである。

 

四人ほど、寝られるベッドが、ドーンと置かれてある。

 

まずは、一安心。

ここに、四泊する予定である。

ここで、モンテンルパに行き、衣服支援をする。

 

だが、従業員は、変わっていた。

フロントの人は、皆、顔を知っていたが、それ以外の人は、はじめてである。

兎に角、第二回目の、フィリピン滞在が、はじまった。