第3話
ホテルの隣が、コンビニである。そして、何と、その横に、更にスーパーが、出来ていた。
私の大好きなスーパーである。
これで、部屋でも、食事が出来るという状態である。
私の最初にするべきことは、支援と、慰霊のガイドを探すことである。
特に支援物資は、一人では、大変である。助手が、必要。
そこで、まず、ベッドメークの、ボーイと、話してみた。
新しいボーイさんで、24歳。
可愛らしい顔をしている。
色々、片言英語で、話して、解ったことは、一ヶ月働いて、8000ペソから、一万ペソ、つまり、16000円から、二万円である。
彼女がいる。
ぎりぎりの、生活であるから、彼女と、一緒に暮らしていると、察した。
実は、と、私は、支援の話をした。
ガイドを探していると言った。
そして、トンドエリアに、行きたいと言った。
彼は、それに関して、実に無関心だった。というより、トンド地区と、聞いて、ノーと、思ったと、後で、解る。
トンド地区は、地元の人も、敬遠する場所である。
仕事が終わるのは、何時と尋ねても、曖昧だった。
ああ、これは、駄目だと、思った。
冗談で言っていた、売春婦・・・
実は、ホテル前の、売春斡旋の店で、前回、食事をしている。
おじさんに、誘われて、カレーがあると、店に引っ張られた。
翌日、昼過ぎに、店に出向いた。
マネージャーが、私を覚えていた。
すぐに、おばさんが、出てきた。
彼女に、スタッフが、日本のマフラーをプレゼントした。
要するに、元締めである。
私は、支援の説明をした。
すると、女の子が、集まって来た。
その中に、トンド地区から出てきた女の子が、二人いるという。
更に、モンテンルパにも、行きたいと話した。
二日必要である。
一人の女の子が、日本語が少し出来ると、言う。そして、トンド地区の出である。
その子を、私の横に座らせた。
一日、2000ペソで、二日なら、4000ペソ、8000円である。
売春と同じ料金である。
二日間、彼女をどのように、使用してもいい。
私は、日本語が出来るのが、魅力だった。
それに、ハキハキとして、元気である。
更に、子持ちだった。
ホテルの部屋に来てもらい、支援の打ち合わせをする。
荷物を見せて、何があるのかを、知ってもらい、私は、彼女の、やるべきことを、説明した。
以前は、スーパーの店員をしていて、月、4000ペソ、8000円の収入で、お姉さんの収入と合わせても、やってゆけず、ここに勤めたという。
でも、この仕事も、12月で、辞めるという。
現場で、男女別に、人々を分けて欲しい。そして、あなたは、私が、衣服を渡している写真を撮る。
人が、混乱しないように、指導して欲しいと。
そして、彼女には、部屋に泊まらなくてもいいと、告げた。
あくまでも、ガイドを御願いした。
この、話は、後で、支援の段で、書くので、今は、省略する。
まず、モンテンルパ行きである。
これが、予想に反してしまったのである。
まず、彼女は、店の社長の車を、チャーターするということになっていた。
2500ペソで、行くことにした。
モンテンルパには、彼女のおばさんが住んでいて、日本人の慰霊地に、愛内することにしてもらった。
翌日の朝、11時出発である。
その朝、私は、六時に外に散歩に出た。
そして、ホテルに戻ると、一人の男が、近づいて来て、今日は、モンテンルパですねと、言う。
そうです。
私は、その男が、運転手だと、思い込んだ。
コンビニで、コーヒーを買っていると、その男も、入って来たので、私は、彼の分も、コーヒーを注文した。
外に出て、コーヒーを飲んでいると、彼が、ここから、20分ほどのところに、日本人の墓があるよ、という。もう、誰も、行かないところだよと、言う。
そして、私に、行きましょうと、誘う。
いやーー、すぐは、一寸・・・
20分ですから
そう、じゃあ、準備をするから、10分待っててください
私は、墓に行くために、日の丸と、御幣を作るために、準備していたものを、急いで、袋に入れて、ホテルの前に、出た。
何と、日本人の墓というのは、キリシタン大名で有名な、高山右近だった。
立派な、銅像が建っている。
彼は、キリシタンの信仰を続けるべく、幕府に、ルソン行きを願い出る。
しばし、天草の、有明海の、小島に、謹慎蟄居していた。
実は、その島が、天草四郎で、有名な、天草島原の乱の時の、一揆計画の場所だった。
彼は、そこから、ルソンに出向くことが出来た。
彼については、この日記の趣旨ではないので、省略する。
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