マッサージ嬢の、話が続く。
収入の話は、色々と聞いていた。
例えば、夜の仕事をする女たちや、レディボーイの給料は、一月3000バーツである。約一万円である。それでは、生活が出来ない。チップに頼る。しかし、それが駄目だと、売春である。
スポンサーを見つける子もいる。それも、準売春である。いや、売春か。
給料と、同じだけの、チップを貰わなければ、生活が出来ないのである。
マッサージ嬢との、やり取りが、続く。
明日は、二時間のオイルマッサージをして、と言う。
二時間、300バーツである。約千円。彼女の取り分は、90バーツ。約280円。
私のチップ20バーツで、100バーツ。約330円。
私は、彼女の一月の収入を試算してみた。
どう考えても、3000バーツから、5000バーツである。約一万円から、一万五千円である。
しかし、それでも良い方である。客がいればのこと。
もし、客がいなければ、収入は無い。保障が無い。
次第に、会話が楽しくなる。
片言英語の冗談が、飛び出す。
そして、ついに、私の股間を指差し、マッサージオッケーと言う。
どういうことか、解る。
私は、笑った。
しかし、彼女は、笑わない。
私が、聞いた。
チップ タオライ。幾らなの、と。
500バーツと、すぐに答えた。つまり、すぐに答えられる用意があるということだ。
もし、そんなことを、していないなら、すぐに金額は、出ない。
そして、言う。
内緒だと。シークレットと言ったのか言わないのか、解らないが、雰囲気で解る。
ボスに、シーッと、指を唇に当てた。
500バーツ。約1600円。
100バーツの仕事で、30バーツを貰ったとして、比べると、凄い金額である。
生活するために。
それは、生きるためにと、なる。
兎に角、私は、明日、オイルマッサージをすることになった。
前にも書いたが、オイルマッサージは、マッサージ好みの私には、生殺しのようなものである。凝りを出すが、凝りを取らないからである。
しかし、彼女のオイルは、違うものである。別の目的がある。
店を出る時、彼女は、ウキウキしていた。
また明日。
もし、彼女の言うとおりだとしたら、私は、明日800バーツを払うことになる。
だが、私は、この結末を省略する。
この旅行記に、全く関係ないことだ。
これが、面白いタイ旅行という旅行記なら、ぴったりであるが、どうも違う。
別の時に書くことにする。
このような、話は、尽きない。
例えば、飲みに言ったバーで、2000バーツで、何でもすると、豪語した、レディボーイもいた。
また、オープンバーでは、単なるボーイが、チップ欲しさに、リップサービスが凄い。
客の喜ぶ言葉を連発する。
また、面白いのは、怒りを売りにしている、おばさんホステスや、ゲーム専門ホステスもいる。ゲーム専門ホステスは、兎に角、何でもゲームである。欧米人が好む。
勿論、夜の街では、何でもありである。
ただし、危険な目に遭わないためには、我が身を、あやふやにしないことである。
アイ ライク ボーイと言えば、女は、一線を置く。煩くない。
日本人である。すると、金を持っていると、思われる。
だが、彼女、彼らも、アホではない。
しっかりと、見抜いている。
金を持っていても、使わない客は、相手にしない。
相手にしているようで、冷めている。
中年日本人と付き合う女性は、瞬間、冷めた目をする。
金で吊られている風を、装う。
愛情などではないと、表現する。だから、男も惹かれるのだろう。
欧米人の老人や、準老人と一緒にいるタイ人女性で、楽しそうにしている顔を見たことが無い。
老人介護である。
実に、良い仕事をしている。
ホテルに戻り、着物に着替えて、コンサートホールに向かう。
二部で、着替えるための着物も、持つ。
サービスである。
お客様の目を楽しませたいと思う。
ホール前のレストランで、パスタを食べる。
量が少ないので、丁度良い。
五時半、きっかりに、ホールに入った。
そして、すぐに、音を合わせる。
今回は、すべてカラオケである。私のために、ギタリストの千葉真康が、作ったものである。そして、篠笛の日本のメロディーを持ってきた。
それらと、合わせる。
プログラム通りに、進める。
私の歌より、機械がおかしくては、大変である。
実際、千葉の作ったCDは、鳴らなかった。野中が、気を利かせて、MDに取ったので、救われた。
もし、それが無かったら、何も無くなる。すべて、アカペラということになる。
開演の30分前に、もう人が来た。
待って貰う。
小西さんも、早めに来てくれた。
最初に、小西さんに、通訳をしてもらう。
開場時間がきた。
待っていた人を、案内する。私も、受付に出た。
何せ、私と野中の二人である。
お手伝いも誰も、いない。
ホール側の職員が、二人いた。彼らは、照明と、エアコンの調節である。
言葉が通じないので、ただ、それだけ。
開演時間になり、私は、ホールの隣の部屋から、舞台に出た。
今、受付にいた私が、ホールの横からである。可笑しいが、しょうがない。
皆さん、今晩は。
本日は、お越しくださり、ありがとうございます。
それでは、皆様、ご起立下さい。
最初に、プーミポン国王陛下に敬愛の念を表しまして、と言う。
王様の歌が流れる。
次に、日本国、国歌を独唱しますと、私が一歩前に出た。
最初の一声、その音が、難しい。
高く始まると、後が、ひっくり返る。
慎重に出す。
君が代という歌は、実に、難しいと感じた。
今回の成り行きと、主旨を話す。それを、小西さんが、通訳する。
それでは、最初に、白月を歌います。一部開始である。一曲ごとに、拍手を頂いた。
お話を加えながら進める。一部の最後に、日本語の歌としては、絶品であると紹介し、藤岡宣男の「この道」を流した。
無事終了して、休憩となる。
日本歌曲、童謡、歌謡曲を、歌った。そして、万葉集朗詠である。
二部も、無事終了。
最後のアンコール曲を、舞台を降りて歌う。
次は、もっと、人を連れてきます。多くの人から、聞いた。来年も、しますと、言ったからだ。半年前から計画したコンサートが、一時間半で終る。
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