6日の朝である。
ウブドゥのコテージの朝は、心地よい。
何より、小鳥の声に目覚める。
すぐに、通りに出るが、森の中である。
朝遅い、野中も起き出して、すぐにプールに入った。
すると、辻知子も、やってきて、プールに入る。
これは、良い気分転換である。
私たちの他に、三組の欧米人、あるいは、オーストリラ人がいた。
皆、目礼する。
中には、パッピーデーと声を掛ける女性もいた。
本日は、ウブドゥ、クゥッ村の、一番大きな寺院の集会所での、コンサートである。
ガムランと、バリ舞踊との、コラボレーションである。
その前に、朝、11時に、10年ほど、バリ島ウブドゥに住み、日本人の学童期前の子供たちに、日本語及び、日本文化の補修授業をしている、飯島さんの家にお邪魔して、色々とお話を伺うことになっている。
10:30になると、クミちゃんが、大勢で、迎えに来た。
車の手配も何もかも、クミちゃんがやってくれる。
皆、親戚の人をお願いするので、最低のチップで、事が済む。ありがたい。
飯島さんの家は、ネカ美術館近くにあり、家の前が田んぼである。
私たちが行くと、居間には、食事の支度がしてあった。
何と、日本食である。
それも、赤飯、煮物、味噌汁、サラダ、煮豆である。
茶碗と、お椀を見て、私たちは、声を上げた。
日本の食卓風景であるから、新鮮だった。
皆で、お話を伺うというだけのはずだったが、食事の持て成しである。
飯島さんは、挨拶もそこそこに、ビール、そして、熱燗の酒を出してきた。
あまりの、歓迎に、皆、絶句である。
昼間から酒を飲まない私も、その好意に、一口、二口と、口をつけた。
皆も、同じである。
それから、赤飯、味噌汁をいただいた。
それが、旨い。すべて、バリ島で、手に入るという。
味噌汁は、ワカメと、豆腐である。
バリ島の豆腐は、何度か煮ると、良い味になるらしい。
また、煮物が、絶品で、唸った。
にんじん、いも、大根、シイタケである。
唐辛子の辛さが、旨い。
醤油の味には、ホッとした。
味噌と、醤油さえあれば、日本食が出来る。
飯島さん曰く、塩は、バリ島の塩が一番であると。
昔ながらに、浜辺で作るという。
後で、千葉君は、お土産に、バリ島の塩を沢山買っていた。
食事が終ると、飯島さんが、話し始めた。
クミちゃんは、飯島トークという。どんどんと、話が進んでゆくのである。
その多くは、バリ島、インドネシア人の、マイナス面である。
その問題意識に、私たちは、身を乗り出して聞いていた。
実は、私たちが、バリ島に来た日から、環境サミットが、行われていたのである。
明日、領事館に出向くはずだったが、思わぬ事態に、全員がサミットの手伝いに出て、会うことが出来ないということになった。
飯島さんは、領事館から、依頼されて、講師を務めている関係から、すべての領事と、親しい。
是非、私を領事たちに、合わせたかったようである。
兎も角、飯島さんの話が続く。
その内容を書くことは、難しい。
ただ、言えることは、政治と、政治家の問題である。
多くの話の中で、非常に参考になることは、政治と、政治家の話だった。
民族性の話は、誤解が多くなるので、別の機会に書く。
インドネシアは、島国である。二万の島が、連なるのである。
バリ島は、その一つ。
中でも、異色なるが、バリ島だけが、バリヒンドゥーなのである。
インドネシアは、イスラムの国である。
簡単に説明する。
インドネシアは、建国当初、宗教、アガマという、に、公認されたのは、イスラム、カトリック、プロテスタントだけだった。
つまり、唯一神を持つ宗教、一神教のみを、アガマとして、公認したのである。
インドネシア憲法前文に、建国五原則があり、その第一条項が、唯一至高の神という概念がある。一神教の信仰を、国家理念としたのである。
唯一神を持ち、教義と、組織が確立している団体を、アガマとして認めたのである。
その中で、バリ島の、ヒンドゥーは、公認されなかった。
多神教と見なされたのである。
バリヒンドゥーである。
実は、ここに、大きな問題がある。
バリ島には、ヒンドゥーの前に、バリ島の土着の信仰形態がある。
その前に、ヒンドゥーが、乗った。
ただし、分析をよくする学者は、そこまでは、立ち入らないようである。
あくまで、ヒンドゥーを主にして、バリ島の信仰を解釈、解説する。
それは、第二次世界大戦後の、建国からの、宗教公認を目ざした、バリ島のエリートたちの集団である、パリサドという団体を主にして、分析するからである。
現在見る、バリ島の信仰は、それからのものであり、新しいと解釈する。
つまり、伝統宗教ではないと、分析する研究家もいる。
それは、それとして、理はある。
つまり、国に、公認されるためには、一神教の姿にしなければならなく、教義と、組織も、作らなければならなかったからだ。
中を省略して、言うと、結果、バリ島のヒンドゥーの神を、イダ・サン・ヤン・ウィ.ディ・ワソという名前にしたのである。
初代大統領スカルノの母親が、バリ人であったこともあり、バリ島の人々の陳情が成功し、バリ島のヒンドゥー教が、公認されたのである。
その際に、仏教も、公認された。
そして、1990年代には、ワヒド大統領によって、儒教も公認された。
現在、公認された宗教は、6つになる。
1950年代に、公認された、バリヒンドゥーは、一部の人によって、なされたものであり、一般の人々には、浸透しなかった。
よって、混乱するようになるのである。
つまり、一般の人は、今でも、どうするべきかを、色々と模索しているのである。
ということは、今まで行ってきたことを続けることであり、新しい方法を学ぶことでもあるということだ。
バリ島の総本山である、アグン山にある、ブザキ寺院では、パリサドを中心に、今でも、改革を継続している段階である。
ゆえに、ある研究家は、バリヒンドゥーを伝統宗教とは、言えないとまで言う。
何故なら、バリ島の宗教は、俗信としてではなく、国の宗教の公認を受けた新しい宗教であると、認識するのである。
しかし、ここで、総まとめのように、バリヒンドゥーをまとめることは、出来ない。
それを、アガマという普遍的な宗教概念としていると共に、それぞれの、風習、習慣であるところの、行為行動を、アダット、つまり、土着のものである部分もあると認識するのである。
だが、私は、この、アダット、習慣、風習にあるものこそ、バリ島の信仰の本質であると言う。
習慣であり、宗教の本質ではないと断定する、研究家は、宗教というものの定義を、欧米型の、宗教概念で、解釈するからである。
また、インドネシアという国家の宗教概念で、解釈しようとするのである。
それは、それで、認めるが、私は、違う。
風習と、習慣こそ、宗教的行為であること、日本の神道を見れば、解る。
ここで、一人の信仰篤い、バリニーズの話を聞く。
バリ島の神の名前は、宇宙である、サンニャンツンガであるという。
宇宙が神なのである。
そして、その神の、具体的活動の象徴は、ブダマソリア、つまり、太陽であるという。
ソリアとは、太陽のことである。私には、ソリャと聞こえる。
SORIYAである。
その彼は、サンニャンツンガの神の姿を絵に描いてくれた。
バリ島の土着の信仰形態は、宗教ではない。
宗教的行為にあるのだ。
それが、私が言う、神道と、同じところから、発していると言う。
私が、太陽をアマテラスというと、彼は、大きく頷いた。そして、同じだと言う。
ここで、神社神道と、混乱するといけないので、私の神道を、古神道と言うことにする。
古神道も、バリ島の信仰と同じく、教祖や、開祖無く、教義も無い。
風習と、習慣であり、それは、伝統といえるものだ。
それを、宗教ではないと言えば、言える。
バリ島に、ヒンドゥーが来る前は、自然のすべてのものが、神であり、風の神や、水の神や、火の神だった。それで、何も問題がなかった。
しかし、ヒンドゥーが入ると、神の名前が輸入されて、ヴィシュムという神の名や、シバ、ガーネシア、サラサワティーという神の名が、付けられた。
コカコーラーが入ってきた感覚で良い。
飲み物に、皆、名前を付けるという感覚でいい。
自然を神と、観たのが、バリ島の人々だったということを、私は、言う。
サンニャンツンガという宇宙である神に続くのは、火の神と、水の神である。
火の神の大元は、太陽あり、そして、命の、水である。
すべての生命の根源を神として、認めた信仰である。
それが、所作、行為になる。
それが、バリ島の伝統であり、宗教という概念ではない。
古神道も、バリ島の伝統信仰も、共に、宗教学ではなく、文化人類学によって、研究されることを、期待する。
バリ島の人々も、行為を学び続けていると、いう。
つまり、宗教としての、バリヒンドゥーというものを、である。
バリ島の人も、タイの人と同じように、毎朝、椰子の葉で編んだ籠に、供え物をして、土に上に置く。
クミちゃんも、毎朝、50ほどの籠を作り、家の周囲に、勘で、置いて歩くという。
タイでは、ピーという、精霊であり、バリでも、矢張り、精霊を言う。
天と地の霊に対する所作である。
天に昇った霊に対しては、サンガにより、礼拝し、地に下がった霊に対しては、土に、供え物を置く。
今は、ほとんど見ないが、昔、日本の家では、竈の神、トイレの神などに対して、注連縄を張り、お祭りした。それに、似る。
つまり、それは、全ての場所に、霊的空間を認めたということである。
それは、霊感のなせる技である。
自然発生的に、始まったものであると、いえる。
バリ島の信仰を、一神教にするために、唯一の神の、働きとしての、それぞれの神という、教義を立てた。
実は、多神教と言うものも、欧米の宗教学による。
日本の神道系の、宗教も、一は多であり、多は、一であるという、理屈を言う。
実は、一でも、多でもない。
それらを、超越しているのである。
超越とは、次元の違いであるということだ。
一とか、多というのは、三次元的考察である。
キリスト教、イスラム教などの、一神教では、人を神の子というが、決して、人は、神に成らない。
しかし、仏陀の教えは、人は、仏になるものである。
次元を、峻厳して、区分ける一神教であり、次元を超える仏陀の仏である。
霊的感覚から言えば、次元を超える、仏の方が正しい。
神と隔絶するという、一神教は、滅びるのである。
古神道では、次元を超える。故に、人は、命、みこと、となるのである。
そして、画期的なことである、修行という、意識は無い。
生まれて生きること、それをもって、人は命、みこと、になるという。
一体、修行というものは、何か。
実に、贅沢な生き方である。
カルマの、清浄なることを願い、修行するというのである。
転生により、発生した、カルマを、解消するという、考え方は、インド魔界から、発した。
勿論、仏陀も、それである。
そして、転生から抜けて、二度と、この世に生まれないことを、善とする。
輪廻から、抜け出ることを、願う行為を、修行という。
つまり、輪廻を抜けた次元に、存在することを、最終目的にするということである。
それが、インドから出た、考え方である。
仏陀は、それを、完成させ、永遠の、仏となったという。
それが、本当なら、仏陀の生まれ変わりはいないということになる。
ここでは、結論を避ける。
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