木村天山旅日記

バリ島へ 平成19年12月

第三話

6日の朝である。

ウブドゥのコテージの朝は、心地よい。

何より、小鳥の声に目覚める。

すぐに、通りに出るが、森の中である。

 

朝遅い、野中も起き出して、すぐにプールに入った。

すると、辻知子も、やってきて、プールに入る。

 

これは、良い気分転換である。

 

私たちの他に、三組の欧米人、あるいは、オーストリラ人がいた。

皆、目礼する。

中には、パッピーデーと声を掛ける女性もいた。

 

本日は、ウブドゥ、クゥッ村の、一番大きな寺院の集会所での、コンサートである。

ガムランと、バリ舞踊との、コラボレーションである。

 

その前に、朝、11時に、10年ほど、バリ島ウブドゥに住み、日本人の学童期前の子供たちに、日本語及び、日本文化の補修授業をしている、飯島さんの家にお邪魔して、色々とお話を伺うことになっている。

 

10:30になると、クミちゃんが、大勢で、迎えに来た。

車の手配も何もかも、クミちゃんがやってくれる。

皆、親戚の人をお願いするので、最低のチップで、事が済む。ありがたい。

 

飯島さんの家は、ネカ美術館近くにあり、家の前が田んぼである。

 

私たちが行くと、居間には、食事の支度がしてあった。

何と、日本食である。

それも、赤飯、煮物、味噌汁、サラダ、煮豆である。

 

茶碗と、お椀を見て、私たちは、声を上げた。

日本の食卓風景であるから、新鮮だった。

 

皆で、お話を伺うというだけのはずだったが、食事の持て成しである。

 

飯島さんは、挨拶もそこそこに、ビール、そして、熱燗の酒を出してきた。

あまりの、歓迎に、皆、絶句である。

 

昼間から酒を飲まない私も、その好意に、一口、二口と、口をつけた。

皆も、同じである。

 

それから、赤飯、味噌汁をいただいた。

それが、旨い。すべて、バリ島で、手に入るという。

味噌汁は、ワカメと、豆腐である。

バリ島の豆腐は、何度か煮ると、良い味になるらしい。

 

また、煮物が、絶品で、唸った。

にんじん、いも、大根、シイタケである。

唐辛子の辛さが、旨い。

醤油の味には、ホッとした。

 

味噌と、醤油さえあれば、日本食が出来る。

飯島さん曰く、塩は、バリ島の塩が一番であると。

昔ながらに、浜辺で作るという。

後で、千葉君は、お土産に、バリ島の塩を沢山買っていた。

 

食事が終ると、飯島さんが、話し始めた。

クミちゃんは、飯島トークという。どんどんと、話が進んでゆくのである。

 

その多くは、バリ島、インドネシア人の、マイナス面である。

その問題意識に、私たちは、身を乗り出して聞いていた。

 

実は、私たちが、バリ島に来た日から、環境サミットが、行われていたのである。

明日、領事館に出向くはずだったが、思わぬ事態に、全員がサミットの手伝いに出て、会うことが出来ないということになった。

 

飯島さんは、領事館から、依頼されて、講師を務めている関係から、すべての領事と、親しい。

是非、私を領事たちに、合わせたかったようである。

 

兎も角、飯島さんの話が続く。

その内容を書くことは、難しい。

 

ただ、言えることは、政治と、政治家の問題である。

多くの話の中で、非常に参考になることは、政治と、政治家の話だった。

民族性の話は、誤解が多くなるので、別の機会に書く。

 

インドネシアは、島国である。二万の島が、連なるのである。

バリ島は、その一つ。

中でも、異色なるが、バリ島だけが、バリヒンドゥーなのである。

インドネシアは、イスラムの国である。

 

簡単に説明する。

インドネシアは、建国当初、宗教、アガマという、に、公認されたのは、イスラム、カトリック、プロテスタントだけだった。

つまり、唯一神を持つ宗教、一神教のみを、アガマとして、公認したのである。

 

インドネシア憲法前文に、建国五原則があり、その第一条項が、唯一至高の神という概念がある。一神教の信仰を、国家理念としたのである。

唯一神を持ち、教義と、組織が確立している団体を、アガマとして認めたのである。

 

その中で、バリ島の、ヒンドゥーは、公認されなかった。

多神教と見なされたのである。

バリヒンドゥーである。

実は、ここに、大きな問題がある。

 

バリ島には、ヒンドゥーの前に、バリ島の土着の信仰形態がある。

その前に、ヒンドゥーが、乗った。

ただし、分析をよくする学者は、そこまでは、立ち入らないようである。

あくまで、ヒンドゥーを主にして、バリ島の信仰を解釈、解説する。

 

それは、第二次世界大戦後の、建国からの、宗教公認を目ざした、バリ島のエリートたちの集団である、パリサドという団体を主にして、分析するからである。

 

現在見る、バリ島の信仰は、それからのものであり、新しいと解釈する。

つまり、伝統宗教ではないと、分析する研究家もいる。

それは、それとして、理はある。

つまり、国に、公認されるためには、一神教の姿にしなければならなく、教義と、組織も、作らなければならなかったからだ。

 

中を省略して、言うと、結果、バリ島のヒンドゥーの神を、イダ・サン・ヤン・ウィ.ディ・ワソという名前にしたのである。

 

初代大統領スカルノの母親が、バリ人であったこともあり、バリ島の人々の陳情が成功し、バリ島のヒンドゥー教が、公認されたのである。

 

その際に、仏教も、公認された。

そして、1990年代には、ワヒド大統領によって、儒教も公認された。

現在、公認された宗教は、6つになる。

 

1950年代に、公認された、バリヒンドゥーは、一部の人によって、なされたものであり、一般の人々には、浸透しなかった。

よって、混乱するようになるのである。

つまり、一般の人は、今でも、どうするべきかを、色々と模索しているのである。

ということは、今まで行ってきたことを続けることであり、新しい方法を学ぶことでもあるということだ。

 

バリ島の総本山である、アグン山にある、ブザキ寺院では、パリサドを中心に、今でも、改革を継続している段階である。

 

ゆえに、ある研究家は、バリヒンドゥーを伝統宗教とは、言えないとまで言う。

何故なら、バリ島の宗教は、俗信としてではなく、国の宗教の公認を受けた新しい宗教であると、認識するのである。

 

しかし、ここで、総まとめのように、バリヒンドゥーをまとめることは、出来ない。

それを、アガマという普遍的な宗教概念としていると共に、それぞれの、風習、習慣であるところの、行為行動を、アダット、つまり、土着のものである部分もあると認識するのである。

 

だが、私は、この、アダット、習慣、風習にあるものこそ、バリ島の信仰の本質であると言う。

 

習慣であり、宗教の本質ではないと断定する、研究家は、宗教というものの定義を、欧米型の、宗教概念で、解釈するからである。

また、インドネシアという国家の宗教概念で、解釈しようとするのである。

それは、それで、認めるが、私は、違う。

 

風習と、習慣こそ、宗教的行為であること、日本の神道を見れば、解る。

 

ここで、一人の信仰篤い、バリニーズの話を聞く。

バリ島の神の名前は、宇宙である、サンニャンツンガであるという。

宇宙が神なのである。

そして、その神の、具体的活動の象徴は、ブダマソリア、つまり、太陽であるという。

ソリアとは、太陽のことである。私には、ソリャと聞こえる。

SORIYAである。

その彼は、サンニャンツンガの神の姿を絵に描いてくれた。

 

バリ島の土着の信仰形態は、宗教ではない。

宗教的行為にあるのだ。

それが、私が言う、神道と、同じところから、発していると言う。

 

私が、太陽をアマテラスというと、彼は、大きく頷いた。そして、同じだと言う。

 

ここで、神社神道と、混乱するといけないので、私の神道を、古神道と言うことにする。

 

古神道も、バリ島の信仰と同じく、教祖や、開祖無く、教義も無い。

風習と、習慣であり、それは、伝統といえるものだ。

 

それを、宗教ではないと言えば、言える。

 

バリ島に、ヒンドゥーが来る前は、自然のすべてのものが、神であり、風の神や、水の神や、火の神だった。それで、何も問題がなかった。

しかし、ヒンドゥーが入ると、神の名前が輸入されて、ヴィシュムという神の名や、シバ、ガーネシア、サラサワティーという神の名が、付けられた。

 

コカコーラーが入ってきた感覚で良い。

飲み物に、皆、名前を付けるという感覚でいい。

 

自然を神と、観たのが、バリ島の人々だったということを、私は、言う。

 

サンニャンツンガという宇宙である神に続くのは、火の神と、水の神である。

火の神の大元は、太陽あり、そして、命の、水である。

 

すべての生命の根源を神として、認めた信仰である。

それが、所作、行為になる。

それが、バリ島の伝統であり、宗教という概念ではない。

 

古神道も、バリ島の伝統信仰も、共に、宗教学ではなく、文化人類学によって、研究されることを、期待する。

 

バリ島の人々も、行為を学び続けていると、いう。

つまり、宗教としての、バリヒンドゥーというものを、である。

 

バリ島の人も、タイの人と同じように、毎朝、椰子の葉で編んだ籠に、供え物をして、土に上に置く。

クミちゃんも、毎朝、50ほどの籠を作り、家の周囲に、勘で、置いて歩くという。

 

タイでは、ピーという、精霊であり、バリでも、矢張り、精霊を言う。

 

天と地の霊に対する所作である。

 

天に昇った霊に対しては、サンガにより、礼拝し、地に下がった霊に対しては、土に、供え物を置く。

 

今は、ほとんど見ないが、昔、日本の家では、竈の神、トイレの神などに対して、注連縄を張り、お祭りした。それに、似る。

 

つまり、それは、全ての場所に、霊的空間を認めたということである。

それは、霊感のなせる技である。

 

自然発生的に、始まったものであると、いえる。

 

バリ島の信仰を、一神教にするために、唯一の神の、働きとしての、それぞれの神という、教義を立てた。

実は、多神教と言うものも、欧米の宗教学による。

日本の神道系の、宗教も、一は多であり、多は、一であるという、理屈を言う。

 

実は、一でも、多でもない。

それらを、超越しているのである。

超越とは、次元の違いであるということだ。

 

一とか、多というのは、三次元的考察である。

 

キリスト教、イスラム教などの、一神教では、人を神の子というが、決して、人は、神に成らない。

しかし、仏陀の教えは、人は、仏になるものである。

 

次元を、峻厳して、区分ける一神教であり、次元を超える仏陀の仏である。

 

霊的感覚から言えば、次元を超える、仏の方が正しい。

 

神と隔絶するという、一神教は、滅びるのである。

 

古神道では、次元を超える。故に、人は、命、みこと、となるのである。

そして、画期的なことである、修行という、意識は無い。

生まれて生きること、それをもって、人は命、みこと、になるという。

 

一体、修行というものは、何か。

実に、贅沢な生き方である。

カルマの、清浄なることを願い、修行するというのである。

転生により、発生した、カルマを、解消するという、考え方は、インド魔界から、発した。

勿論、仏陀も、それである。

そして、転生から抜けて、二度と、この世に生まれないことを、善とする。

 

輪廻から、抜け出ることを、願う行為を、修行という。

つまり、輪廻を抜けた次元に、存在することを、最終目的にするということである。

それが、インドから出た、考え方である。

仏陀は、それを、完成させ、永遠の、仏となったという。

それが、本当なら、仏陀の生まれ変わりはいないということになる。

 

ここでは、結論を避ける。