木村天山旅日記

タイ・ラオスへ 平成20年2月

第六話

10日の日に、新しいマッサージ店に、出かけた。

地元の人が来る店である。

一時間、150バーツと、安い。約、480円。

 

程よい、愛想のおばさんが、担当だった。

足から、よく揉み解す。実に、丁寧に、指圧する。

矢張り、タイマッサージは、足のマッサージが、主である。下半身は、実に、有意義である。ただ、肩が、惜しい。肩の凝りを取ることが出来れば、最高だ。

 

おばさんは、日本語を、三つ知っていた。

気持ちいい。ありがとう。痛い。

私とは、英語で話した。お互いに、あまりよく出来ない英語なので、通じるのである。

 

私は、そこに、二日通った。

 

足をよくよく揉まれると、全身の血行が良くなる。そして、体が、軽くなる。

ただ、今までのタイでは、肩凝りを、あまり覚えないほど、暑いのだが、ノーン・カーイでは、寒さで、肩が凝るのである。

 

最初と、最後に、お茶を出してくれる。

ジャスミン茶だと思う。

 

お客は、皆、地元の人である。

二回目の時、欧米人のおじさんが、フットマッサージをしに来た。

それ以外は、地元の人。

 

その後、部屋に戻り、暫く、休んだ。昼食も、買ってきた、パンなどを食べて過ごした。

 

持ってきた、西行の、歌集を読み始めた。

珍しいことである。

旅の間は、あまり、本を読まない。

読むより、見る方が楽しいのである。

 

ノーン・カーイは、見るものが少ない。

メコン河のみ、眺めていても、飽きない。

 

西行の歌は、素直で、解り易い。それは、万葉に続くものである。

私は、西行を、万葉の精化とみる。

 

万葉集が、西行で、一つ完成するのである。

 

西行は、生まれ持っての、歌詠みである。

小細工無しの、歌詠みである。

口から出る言葉、そのままが、歌になる。

 

23歳で、出家し、旅をして、歌を詠む。

日本の精神の底流に流れる、もののあわれ、というものを、歌で表現する。

いずれ、私の、もののあわれについて、の中でも、触れることになる。

 

西行も 詠まざりしなり 東南の 国の風情を 我は詠むなり

 

メコン河 西行歌集を 詠ずれば 大和心に 流れも変わる

 

部屋の中で、辛吟して作る、藤原定家のような、歌詠みもいる。それも、ありである。

多くの日本古典文学は、定家によって、現代に、継承されている。その功績は、非常に大きい。そのような、文学者、歌人もいる。

 

そして、旅をして、歌を詠む、西行のような歌詠みもいる。

 

それぞれが、いい。

 

野中から、電話が入る。

ラオスからである。

ラオスの首都、ヴェンチャンから、バスで三時間の町に行き、そこから、山に向かい、中腹の村のゲストハウスにいるという。

 

子供服の、配布の状況を聞く。

ゲストハウスの、付近も、貧しく、ある二人の姉弟は、親を亡くして、村の老人たちによって、育てられているという。

子供服を、二三持って行き、まだ、必要かというと、必要だと言うので、皆持って行くと、村の人々が、待っていた。

そこで、皆、広げて、村の人に任せると、取り合うようにして、無くなったという。

 

持っていって、本当に、良かったと言う。

この上の村は、まだ、貧しい所だが、今回は、それ以上に行かないとのこと。

 

実は、ヴェンチャンから、バスで三時間の町は、欧米人たちで、大賑わいであるという。

麻薬と、セックスである。

勿論、日本人もいる。

 

警察官がいない、町だという。

取り締まる誰もいない。

そこで、皆、麻薬とセックスを楽しむために、その町に集うのである。

 

野中のゲストハウスにも、二組の、日本人がいた。

野中が、ノーン・カーイに戻ってから、色々と、話を聞くことになる。

 

子供服は、まだまだ必要であるらしい。

兎に角、物が無いという。

服の無い子は、裸であるが、暖かいから、救われている。

 

それでも、子供たちは、楽しそうであるとのこと。

 

あまりにも 貧しきゆえに 貧しさを 知らぬ子たちが 楽しく遊ぶ

 

私は、その電話を受けて、少しして、夕食のために、近くの、タイレストランに出た。

そこは、地元の人が、集う店だが、精一杯、欧米人向けにしているのが、解る。

メニューは、タイ語と、英語で書かれている。

 

私は、もち米と、野菜スープを注文した。

ところが、野菜スープは、塩が効いて、しょっぱいのである。

ダシの味がしない。

少しつづスープを飲み、もち米を食べる。

何とか、食べ終えて、早々に、店を出る。

45バーツ、約140円。

安いが、味は、酷い。

 

そのまま、メコン河のイミグレーションの通りの、店に買い物に行く。

 

二軒続けて、小売店がある。

同じような物を売っている。

私は、手前の店に入った。

 

ビールと、ピーナッツ、パンを少し買う。

突然、日本語が飛び出した。

その店の主人である。

 

八年間、日本に出稼ぎに出ていたというから、驚いた。

大阪、川崎などに、いたという。

 

その時に貯めた資金で、きっと、この店を開店したのだろう。

 

この地から、日本に出稼ぎに行くという。

驚きと、感激である。

出る時に、よろしくお願いしますと、声を掛けられた。

仕事の時に、覚えたのだろう言葉であろうか、驚いた。

 

私は、毎日、その店に買い物に行くことにした。

 

南国の 四季無き国の 夕風も 国思うべき 寒き風吹く

 

国境の 町は静かに 暮れ行きて 家路急ぐに 国境なし

 

どこで、どんな出会いがあるかもしれない。

それを、不思議と思えば不思議である。

ノーン・カーイは、どうですかと、尋ねられて、私は、いい町です、と答えた。

もう、来ない町かもしれないが、そういうことが、礼儀である。

 

河を見る。

 

ノーンカーイの 夜風に触れる メコン河 岸辺向こうに ラオスの灯あり