高額の収入があり、それに比例して消費欲も旺盛、旅行やパーティといった「形に残らない愉しみ」へも惜しみなく費やす
そんな金の卵を産む同性愛者たちの聖地となったことで、
英国は18兆円市場という巨大マーケットを手に入れたからだ
と、銘打った本がある。
ゲイ・マネーが英国経済を支える
入江敦彦 洋泉社
日常語ではないし普通の辞書には載っていない。が、イギリスの経済界では頻繁に使われる「ピンクボンド」なる言葉がある。新たなる通貨としてエコノミー誌や大新聞を賑わし、特集が組まれ、経済学者たちの研究材料として大きな話題となっている。
「ピンクポンド」。それはすなわちこの国の同性愛者―――ゲイたちが有する資産。彼らによって生み出され、彼女らの懐から市場に流通する貨幣をさしたコトバだ。
入江敦彦
イギリスのゲイ・マーケットは一般的に60億ポンド、約1兆5000億円。
この額は、世界一のトヨタの純利益と並ぶ数字である。
しかし、驚くなかれ、これは通説である。
英国国営放送のBBCの経済局は、ゲイ市場を350億ポンド、約9兆円規模と試算している。
だが、それも、1998年7月の報道である。
最新のレポート、2006年、実質的ピンクポンドは、年間700億円ポンドを超えたという。
約18兆円である。
入江氏は、イギリスのゲイの肖像をこのように書く。
定期的な収入があり、しかもそれが高額である。
すでに自分名義の不動産を持ち、経済的にきわめて安定していること。
それに比例して消費する金額も多いこと。
旅行やパーティといった、「形に残らない楽しみ」への代価を惜しみなく費やすこと。
自分の気に入った店やブランドに対して人間的な愛情を抱く傾向があること。
ひいてはそれらの忠実な「お得意様」化する傾向が顕著なこと。
高学歴であること。知的な興奮を求めていること。
自信家で、独立心に富み、政治的ポリシーを持っていること。
この本には、驚くべき、レポートが多く載っている。
ヨーロッパでは、パートナーシップ制という、同性婚に当たる法整備が、整い、イギリスも、同性婚を認めている。
スイスの大学の教授、狩野晃一先生に、私は、それらの話を直接聞いている。
日本は、10年以上遅れているとのこと。
ゲイを無視できない、時代に突入したということである。
さて、バリ島、スミニャック地区の話である。
ゲイは勿論、レディボーイ、レズビアンたちの、街として、今まさに、生まれ出ようとしているのである。
ただ今は、ショーパブが中心であるが、バーも、次第に増えている。
深夜になると、美しいレディボーイたちが、道端に並ぶ。
客の中心は、オーストラリア、欧米人である。
実は、クタにも、シューパブがあり、私もそこに行った。
家族連れの欧米人も多いといのが、驚きである。
そこに、出演する、レディボーイたちは、ショーが終わると、スミニャックへ、移動して、ド派手な、ショーを行うという。
前回、早い時間に、その周辺を歩いたが、バリ島と、思えないような、近代的な建物が多く、それらが、ゲイのための、建物であると知る。
兎に角、驚いた。
今に、世界のゲイのメッカになる、勢いである。
このように、バリ島も、大きなゲイパワーの皆が押し寄せている。
開店のために、働く、バリニーズたちに、声を掛けてみた。
ゲイかと、尋ねると、ノーと言う。
しかし、嬉々として働いている。
経済効果満点である。
バリ島は、時代性に乗ってゆくのである。
クタ、レギャンは、衰退するが、次に、台頭するのは、スミニャック地区、そして、ウブドゥ、更に、まだ、知られてない、バリ島の村々である。
バリ島は、北海道より、一回り小さい広さである。
私が感心するのは、そんな時代性とは、別に、バリ島は、実は、何も変わらないのであることを言う。
つまり、バリ島の伝統である。
それは、日々の生活である、信仰生活である。
バリヒンドゥーについては、前回少し書いたので、省略する。
伝統の行事、御祭りが、一番の価値で、次に仕事である。
お祭りがあれば、仕事を休むのが、当たり前である。
更に、村々では、頻繁に祭りが、行われている。
私も、今回、突然であったが、ウブドゥのホネスタラン村、プラデサ寺院での、10年に一度の大祭に参加することが出来た。
すべての、予定を終えた、24日土曜日である。
ラテハウスの社長になる、ウイディアさんと、三人の男たちで、行くことになった。
本当は、グループ全員の、5人が行くはずだったが、生理中は、出入り禁止になるゆえ、女性は、遠慮した。
朝、ウイディアさんが、迎えに来たが、その朝、ウイディアさんの母方の親族が亡くなり、急に寺院に入れないことになった。
人が亡くなると、親戚は、一ヶ月、村の人は、三日、寺院に入ることが、出来ない。
また、正装しなければ、入ることが出来ない。
ウイディアさんが、三人分の衣装を持って来てくれた。
前回、私と野中は、クトゥ村の祭りに出て、正装をしていたので、スムーズだった。
私たちは、別の村の女性に伴われて、お祭りに参加することになった。
寺院の中では、一時間近く過ごした。
最後は、司祭のマントラを聴き、聖水で、清められ、バリ式の礼拝を行った。
額と、胸に、米粒をつけ、耳には、花を挿した。
実に、立派な寺院で、見事なものだった。
入り口から、奥の院までにも、多くの建物があり、その一つ一つが、手作りの彫刻で作られていた。
言葉が、出来ないせいで、その一つ一つを尋ねることが、出来なかったことが、残念だった。
私たちは、司祭様の座る、右側に座った。
時々、風によって回る風車が、音を立てて回る。
司祭様が、座ると、人々が唱和を始めた。
そして、司祭様が、マントラを唱える。その前に、手つきの鐘を鳴らす。
すると、突然、風が起こった。
たまたまである。
しかし、それは、それを待っていたかのような、風だった。
風車の音も、強くなった。
年老いた司祭様の、マントラは、ブツブツと、聞こえたが、私は司祭様の横顔を見て、父を思い出した。司祭様は、私の父を太らせたような感じであった。
渋いマントラの響きが、なんとも、心に響く。
そして、若い司祭様に、聖水をかけられて、清めてもらう。
司祭様の鐘の音は、高く響き、藤岡宣男の歌声を、思い出させた。
それは、マントラが終わるまで、続いた。
床には、お香や、花々が、散らばっている。
皆、下に投げ捨てるのだ。
聖水も、花々も、米粒も、皆、土に捨てる。というより、土に、奉納するようだった。
奉納された、鶏が、籠から出て、餌を啄ばみ、犬も、供え物を食べている。
誰も彼も、動物も主役である。
司祭様の、衣装も、私たちと変わらない。ただ、白いだけである。
私見である。
バリ島の信仰は、ヒンドゥー教を覆いかぶせているが、実体は、それ以前からの、祖霊信仰であり、太陽信仰である。
ヒンドゥー教だけではなく、仏教も、伝えられた。
それらを、取り入れて、ベールを掛けたのである。
シバ、ビショヌ、ブラフマン、サラサワティーという神の名を用いるが、実際のバリ島の神の名は、太陽神からきている。
ただ今は、バリヒンドゥーということで、インドヒンドゥの教えを教義として、受け入れ、更に、体系を作り上げつつあるが、決して、それが、本当ではない。
親から子に伝えられた、土着の祖先崇拝が、基本にある。
古神道の考え方に、近く、私は、非常に驚いている。
最終的に神と、呼ぶのは、太陽なのである。
また、バリ島には、魔物が多い。
その、魔物に、対しての、所作が、香による、結界なのである。
至る所に、供え物を置き、お香を焚く。
その、至る所が、土の上である。
魔物は、下から、現れる。土の下には、上昇できない霊が、存在すると、考えるのである。
更に、山には、神が、海には、魔物が、という、考え方は、海から入って来る物は、魔物であるという、考え方だ。
遠い昔、海から、魔物が、入ってきた。
侵略する者である。
バリ島も、平和な時期は、少なかった。
海から来た者によって、平和を乱されたのである。
その、歴史を書くのは、大変なので、省略する。
いずれにせよ、信仰体験というものは、先祖からの意識が、潜在意識となって、伝統化する。
観念ではない、意識のことである。
体験に支えられた信仰は、揺るがないし、許容範囲が広いものになる。
他の宗教に対する、寛容な心を持つということである。
観念の宗教は、対立を生む。
長い時間を、寺院で過ごした。
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