木村天山旅日記

 

タイ旅日記 平成20年6月 

 

第1話

バンコクには、現地時間、深夜12時少し前に着いた。

日本では、午前二時である。

 

翌朝の、チェンマイ行きの飛行機を、空港で待つ。

朝、6:45発まで、いつもの空港一階で過ごす。

 

私は、冷房の効いた、室内から屋外へ、度々出る。タバコを吸うためである。

その時間帯は、ほとんど、警備の人の姿が目立つ。

乗り継ぎを待つ人々は、大半が、一階から、三階のロビーで、寝ている。

 

この旅の最初は、また、驚くべきことがあった。

 

一人の若い、警備員が、親しげに、私に話し掛けてくる。

英語が少し、日本語が少し、そして、タイ語である。

私が、外に出るたびに、声を掛けてくるのである。

 

三度目の時である。

彼は、私に、タバコを一本くださいと言った。私が、一本渡す。そして、ライターを彼に差し出した。

すると、彼は、いいと、手で示す。

その時である。

たかあまはら、と言った。

 

驚いた。

手を合わせて、高天原と言うのである。

 

私が驚くと、タバコは、清めてから吸うのだと言う。そして、手をかざす真似をする。

次に出た、言葉が、明主様、めいしゅさま、である。

即座に、救世教だと、解った。

世界救世教である。

 

熱海に本部があり、その団体からは、多くの新興宗教が出た。

救世教自体、大本教から出ている。

 

この、教派神道については、神仏は妄想である、に取り上げるので、内容は、省略するが、手かざしで、清めるというのが、特徴である。

 

彼は、空港の近くに住み、家族が信者であり、彼は、世話役であるという。日本語は、すべて、その教団の言葉だった。

 

明主様、明主様と、彼の口から出るたびに、私は頷いた。

チェンマイで、小西さんに言うと、チェンマイの郊外に、教団の支部があったが、バンコクにあったとは、知らなかったと言う。

タイには、その他に、創価学会、真如苑などが、教線を張っている。

 

私も、小西さんも、同じ考えであるが、仏教国、更に、小乗を持っての、国王からも仏教徒のタイに、布教するという、根性である。また、タイの、胸の広さである。それらの、活動を赦している。また、キリスト教、特に、プロテスタントの布教も、激しい。

 

プロテスタントの、布教の様が赦せないのは、タイの仏教を、悪魔のものであるとする、教えである。

自分たちが、悪魔から出てるということを、知らずに、タイの国教である、仏教を悪魔からのものとして、断定する、その、根性である。

下手な芝居のような、霊能、それを、聖霊と言うが、聖霊が、降臨するなどと、まことしやかに、タイの若者を、騙すのである。

 

白人の一神教というのは、手がつけられない。

自分たちが、理解出来ないものは、すべて、悪魔からのものだと、考えるという、単細胞である。

 

その、考え方が、多くの民族を殺し続けたという、事実は、歴史をみれば、一目瞭然である。

 

さて、救世教である。

旅日記に、相応しくないので、簡単に書くと、手かざしにより、浄霊するという、考え方をする。その、浄霊は、教団のペンダントを必要とする。

今は、どのようになっているのか、知らないが、兎に角、教団から、浄霊の赦しを受ける。それは、自動的に、会員、信者になるということである。

 

祝詞を、教祖、岡田茂吉が作った。

最初は、たかまがはら、と、言った。

たかあまはら、とは、正統的な読み方である。

が、という濁音が入ると、祝詞が、乱れる。教団の分裂が始まった時に、それに気付いたと、みえて、読みを、たかあまはら、としたはずである。

 

教団の背後霊団は、稲荷系である。つまり、きつねである。

稲荷は、農耕の神として、伊勢神宮外宮の、豊受大神の眷属である。

だが、単独に、働く場合は、単なる、狐の霊団となる。

 

狐の霊団は、分派してゆくのが、激しい。

ある、大型教団も、もう少しすると、分派を始める。

 

その警備の若者は、私に、得意になって、明主様と、連呼した。

私は、その後、タバコを吸うために、二階の外に出ることにした。

一度、エスカレーターで、二階に上がり、外に出るという、繰り返しである。

 

明主様の、お話を聞かされては、たまったものではない。

まして、その内に、私を清めるなどと、言い始めたら、迷惑である。

子狐に、清められては、具合が悪くなる。

 

こうして、今回の旅の、はじまりである。

 

漸く、朝の便の搭乗手続きが、はじまり、私たちは、四階に上がり、国内線乗り場に、出た。

チェンマイまでの、約一時間、私は、眠った。

 

チェンマイでは、更に、メーホンソーンに向かうために、二時間を過ごした。

そして、10:10発の、メーホンソーン行きに乗る。

 

約、30分で、メーホンソーンに到着。

待ち時間を入れて、約20時間である。

 

疲れた。

 

トゥクトゥクを見つけて、市内のゲストハウスに向かう。

予約は、していない。

しかし、池のような湖の前の、ゲストハウスは、空いていた。

ゲストハウスとしては、高級である。

一泊、600バーツ。約、2000円である。エアコン、ホットシャワー付きである。

二泊することにしていた。

 

丁度、昼の時間帯である。

部屋に、荷物を置き、町の中に出て、食事をした。

タイ風、イタリア料理の店に入り、パスタと、ピザを頼んだ。

 

それから、ベッドで、うとうとして、休んだ。

乗り物の、疲れは、格別である。体が、ゆらゆらする。

 

夕方、フットマッサージをするのが、精一杯であった。

 

雨季であり、気温が高い。

部屋の前の、ベンチに座っていても、汗が出る。

ただ、山間部であるから、夕方は、少し涼しくなる。

 

その夕方から、ゲストハウスの前に、バザールが開かれる。

食べ物から、民芸品などが、並ぶ。

御祭りのような雰囲気である。

 

みかんを山盛り買ったが、15バーツである。約、50円。

焼き鳥、焼肉類は、食中りすると、怖いので、止めた。

 

明日、一日しか、追悼慰霊の日程を組んでいない。食中りで、一日寝ていられないのだ。

 

夜の食事は、地元の人が行く、食堂で、ビールを一本飲み、カレーと、お粥にした。

ビールは、コップ一杯で、酔った。

飛行機に乗った後は、すぐに酔う。

 

そのまま、ゲストハウスに戻り、すぐにベッドに着いた。

同行の野中も、疲れて、出掛けなかった。

 

夜は、虫の音だけになり、それが心地よい。

バリ島、ウブドゥの夜に似ていた。