バンコクには、現地時間、深夜12時少し前に着いた。
日本では、午前二時である。
翌朝の、チェンマイ行きの飛行機を、空港で待つ。
朝、6:45発まで、いつもの空港一階で過ごす。
私は、冷房の効いた、室内から屋外へ、度々出る。タバコを吸うためである。
その時間帯は、ほとんど、警備の人の姿が目立つ。
乗り継ぎを待つ人々は、大半が、一階から、三階のロビーで、寝ている。
この旅の最初は、また、驚くべきことがあった。
一人の若い、警備員が、親しげに、私に話し掛けてくる。
英語が少し、日本語が少し、そして、タイ語である。
私が、外に出るたびに、声を掛けてくるのである。
三度目の時である。
彼は、私に、タバコを一本くださいと言った。私が、一本渡す。そして、ライターを彼に差し出した。
すると、彼は、いいと、手で示す。
その時である。
たかあまはら、と言った。
驚いた。
手を合わせて、高天原と言うのである。
私が驚くと、タバコは、清めてから吸うのだと言う。そして、手をかざす真似をする。
次に出た、言葉が、明主様、めいしゅさま、である。
即座に、救世教だと、解った。
世界救世教である。
熱海に本部があり、その団体からは、多くの新興宗教が出た。
救世教自体、大本教から出ている。
この、教派神道については、神仏は妄想である、に取り上げるので、内容は、省略するが、手かざしで、清めるというのが、特徴である。
彼は、空港の近くに住み、家族が信者であり、彼は、世話役であるという。日本語は、すべて、その教団の言葉だった。
明主様、明主様と、彼の口から出るたびに、私は頷いた。
チェンマイで、小西さんに言うと、チェンマイの郊外に、教団の支部があったが、バンコクにあったとは、知らなかったと言う。
タイには、その他に、創価学会、真如苑などが、教線を張っている。
私も、小西さんも、同じ考えであるが、仏教国、更に、小乗を持っての、国王からも仏教徒のタイに、布教するという、根性である。また、タイの、胸の広さである。それらの、活動を赦している。また、キリスト教、特に、プロテスタントの布教も、激しい。
プロテスタントの、布教の様が赦せないのは、タイの仏教を、悪魔のものであるとする、教えである。
自分たちが、悪魔から出てるということを、知らずに、タイの国教である、仏教を悪魔からのものとして、断定する、その、根性である。
下手な芝居のような、霊能、それを、聖霊と言うが、聖霊が、降臨するなどと、まことしやかに、タイの若者を、騙すのである。
白人の一神教というのは、手がつけられない。
自分たちが、理解出来ないものは、すべて、悪魔からのものだと、考えるという、単細胞である。
その、考え方が、多くの民族を殺し続けたという、事実は、歴史をみれば、一目瞭然である。
さて、救世教である。
旅日記に、相応しくないので、簡単に書くと、手かざしにより、浄霊するという、考え方をする。その、浄霊は、教団のペンダントを必要とする。
今は、どのようになっているのか、知らないが、兎に角、教団から、浄霊の赦しを受ける。それは、自動的に、会員、信者になるということである。
祝詞を、教祖、岡田茂吉が作った。
最初は、たかまがはら、と、言った。
たかあまはら、とは、正統的な読み方である。
が、という濁音が入ると、祝詞が、乱れる。教団の分裂が始まった時に、それに気付いたと、みえて、読みを、たかあまはら、としたはずである。
教団の背後霊団は、稲荷系である。つまり、きつねである。
稲荷は、農耕の神として、伊勢神宮外宮の、豊受大神の眷属である。
だが、単独に、働く場合は、単なる、狐の霊団となる。
狐の霊団は、分派してゆくのが、激しい。
ある、大型教団も、もう少しすると、分派を始める。
その警備の若者は、私に、得意になって、明主様と、連呼した。
私は、その後、タバコを吸うために、二階の外に出ることにした。
一度、エスカレーターで、二階に上がり、外に出るという、繰り返しである。
明主様の、お話を聞かされては、たまったものではない。
まして、その内に、私を清めるなどと、言い始めたら、迷惑である。
子狐に、清められては、具合が悪くなる。
こうして、今回の旅の、はじまりである。
漸く、朝の便の搭乗手続きが、はじまり、私たちは、四階に上がり、国内線乗り場に、出た。
チェンマイまでの、約一時間、私は、眠った。
チェンマイでは、更に、メーホンソーンに向かうために、二時間を過ごした。
そして、10:10発の、メーホンソーン行きに乗る。
約、30分で、メーホンソーンに到着。
待ち時間を入れて、約20時間である。
疲れた。
トゥクトゥクを見つけて、市内のゲストハウスに向かう。
予約は、していない。
しかし、池のような湖の前の、ゲストハウスは、空いていた。
ゲストハウスとしては、高級である。
一泊、600バーツ。約、2000円である。エアコン、ホットシャワー付きである。
二泊することにしていた。
丁度、昼の時間帯である。
部屋に、荷物を置き、町の中に出て、食事をした。
タイ風、イタリア料理の店に入り、パスタと、ピザを頼んだ。
それから、ベッドで、うとうとして、休んだ。
乗り物の、疲れは、格別である。体が、ゆらゆらする。
夕方、フットマッサージをするのが、精一杯であった。
雨季であり、気温が高い。
部屋の前の、ベンチに座っていても、汗が出る。
ただ、山間部であるから、夕方は、少し涼しくなる。
その夕方から、ゲストハウスの前に、バザールが開かれる。
食べ物から、民芸品などが、並ぶ。
御祭りのような雰囲気である。
みかんを山盛り買ったが、15バーツである。約、50円。
焼き鳥、焼肉類は、食中りすると、怖いので、止めた。
明日、一日しか、追悼慰霊の日程を組んでいない。食中りで、一日寝ていられないのだ。
夜の食事は、地元の人が行く、食堂で、ビールを一本飲み、カレーと、お粥にした。
ビールは、コップ一杯で、酔った。
飛行機に乗った後は、すぐに酔う。
そのまま、ゲストハウスに戻り、すぐにベッドに着いた。
同行の野中も、疲れて、出掛けなかった。
夜は、虫の音だけになり、それが心地よい。
バリ島、ウブドゥの夜に似ていた。
|
|