新郎を迎えた皆は、道端で、祈りを上げて酒を飲み、そして、いよいよ、新婦の家に、新郎を連れて行く。
私たちも、その歩みに従った。
シンバルと、太鼓の音が、鳴る。
ゆっくりと、皆が新婦の家の道のりを、歩く。
新郎が、新婦の家に到着すると、舞台に、座る。
いよいよ、結婚の儀式が、始まる。
長老たちに、酒が回されて、その盃を持ったまま、祈りが、始まる。
皆、手を合わせて、それが終わるのを、待つ。
祈りが終わると、それぞれの盃の酒を、新郎新婦が、飲み交わす。
日本の三々九度のようである。
これから、新郎は、酒を、飲み続けるのである。
それが、延々と繰り返される。
今度は、注がれた酒を、飲み干すのである。次々と、人が入れ替わり立ち代りと、舞台に上がり、新郎は、盃を、交わす。
この舞台を見て、私は、古神道の、結界を思い出していた。
四本の柱は、注連縄で、囲ってあるのだ。
実に、不思議な光景である。
私たち、列島の民族も、大昔は、このように儀式を、執り行っていたのであろうと、推測した。
緊張感と、緩やかな、規制である。
祈りの時でも、お喋りしている人もいる。
誰も、何も規制しないのである。
要するに、変に真面目くさっていないのである。
新郎新婦は、酒を飲み交わすと、互いに手を洗う儀式をするという。
私は、テントの張られたテーブル席で、それを、待ったが、新郎の酒の酌み交わしが、中々終わらず、時計を見つつ、気を揉んだ。
それを、見てから、チェンマイに戻りたいと思った。
出発予定時間の、四時が近くなる。
野中が、私の側に来たので、最後の写真を、撮る。
丁度、女の子たちのグループがいて、彼女たちとの、記念撮影である。
そして、二人の男の子である。
ところが、一人の男の子が、写真撮影を、嫌がる。
野中が、言う。
あの子は、頭が良くて、何でも良く出来るという。しかし、口が利けない子だという。
私は、その子を見るために、立ち上がった。そして、彼に、近づく。すると、その子は、逃げる。
日本語で、私は、あなたの味方になりたいと、言う。
私と、野中は、その子を、追い掛けた。
その子と一緒にいた男の子も、説得している。
一緒に、写真を撮ろうと、言っている。
結局、彼が、何故写真を撮られるのが、嫌なのかが、解った。
非常に強い美意識である。
今日の、自分の姿は、みすぼらしい。そして、髪も、きちんとしていない。
女の子たちが、寄って来て、彼の髪型を直し、服を調えている。
私も野中も、彼の中にある、あるモノを見た。
洗練された、美意識である。
頭脳明晰、読み書きなどに優れて、何でも、すぐに覚える。
耳も聞こえる。
何故、話さないのか。
それが、理解出来た。
私たちとの、出会いで、彼は、生き方があることを、知るべきだと、思った。彼の生きる世界は、別の場所で、多々ある。
世界は、動いている。
カレンの村から、世界に、羽ばたいてもいいのだ。
彼と、友達が、写真に、収まった。
野中が言う。
この子、凄い美人だよ。
その通り、美人である。
匂うが如くに、少年の美しさがある。そして、彼は、それを、自覚している。
その、自覚こそ、彼を生かすものになるはずである。
自分の、みすぼらしさを、嫌悪するという、心の高まりは、彼を、いつか天才にすると、私は、思った。
さて、新郎新婦が、手を洗うという儀式が、始まらず、五時に近くなり、私は、小西さんに、そろそろと、言った。
戻る時間である。
名残惜しいが、これで、最後ではない。これが、始まりである。
私たちは、儀式の席から、離れて、家に戻った。
そして、急いで、帰り支度をした。
私は、赤い絽の着物を脱ぎ、タイパンツと、Tシャツにした。
カレンの村にいる間、私は、すべて、浴衣と、着物で過ごした。
私の、礼儀作法である。
その日の朝、少しの時間を、田圃で過ごした時、皆に混じって、田植えをした時も、浴衣を、まくって、稲の穂を植えた。
この村の人と、仲良くすることから、これからの、活動が見えてくると、思った。
次に来た時、あら、しばらくだねーと、言われたい。
最後に、私は、カレンの湧き水で、体を清めた。
清め祓いをした。
決して、日本では、水などを、かぶることはない。
いつも、銭湯に行き、そこで、清め祓いをする。お湯である。水でなければ駄目だなどとは、一言も、誰も言っていない。
お湯も、水である。
寒中に凍てつく水で、清めるという、偏狭な行為はしない。
車に乗り込み、奥さんと、お別れする。
奥さんと、娘さんだけが、見送る。
あっという間の、出来事だった。
車が、山々の中を走り、アスファルトの道に出ると、すぐに、チェンマイに着いた。
チェンマイですら、別空間に思えた。
今までの、あの風景、空間は、何だったのか。
チェンマイでの二時間あまりのうちに、元の感覚を取り戻す。
いつもの、時間感覚である。
インターネットカフェに入り、画面を見て、いつもの感覚に戻る。というか、戻す。
小西さんは、私たちを、また、迎えに来て、空港まで、送るという。最後まで、私たちの、面倒を見てくれるのだ。
次の準備のことが、早めに終わり、私たちは、オープン食堂に、向かった。
チェンマイカレーの店である。
辛いが、美味しい。そして、もち米で、カレーを食べるのが好きだ。
二人で食べても、300円程度である。
食べ終えて、待ち合わせの場所に行くと、小西さんも、少し早めに来ていた。
いよいよ、帰路である。
バンコクに一泊して、都会の喧騒に入り、そして、日本に戻る。
ここでは、おとうさんと、色々話し合ったことなどを、省略している。
実は、おとうさんと、日本の農業について、話し合ったのである。
日本の農業を説明すると、おとうさんは、例え話で、私たちに、話してくれた。
世の中と、隔絶されていようと、物事の本質が解る人には、現代の先端の文明化が、理解出来るのである。
自分たちの村で、食べる分だけ、米を作るという、考え方をする。そして、自然を大切にする農法である。
少し、彼らの、信仰や、農法について、書いて終わることにする。
空港で、チェックインをして、小西さんと、レストランで、話した。
名残惜しく思えども、また、再会するのである。
|
|