木村天山旅日記
 ゴールデントライアングルへ
 
平成20年
 10月
 

 第6話

ゴールデントライアングルに到着。

タイ、ラオスを隔てる、メコン河と、タイ、ミャンマーを隔てるルアク河が、合流する。

ソップ・ルアクという村である。

 

河に面して、最近建てられた大きな黄金の仏像が、目立つ。

英語のゴールデントライアングルという文字が、至る所に見える。

 

さて、と、私は、合流地点を見渡した。

どこで、慰霊をするかである。

観光客が多く、邪魔される怖れあり。

 

だが、どうしても、記念碑の横、つまり、突端で、行いたいと思った。

しかし、神道の所作ではない。

違うと、思った。

ここでは、日本兵というより、日本軍に強制的に連行された、クーリーつまり、荷物運びの人々の追悼慰霊である。

それは、多く中国人と、タイ人である。

その数は、日本兵の数より、多いという。

 

悲劇である。

何の関係も無い人が、強制的に、連行され、荷物を運び、遂には、死ぬのである。

この、合流地点である、河の底に、どれほどの、遺骨が眠っているか。

 

その場に行き、慰霊の所作を、感じるのである。

般若心経を唱えることにした。

それでは、線香と花を、求めたいと、近くの売店に行くと、その青年は、あそこにあると、指差す。

見ると、花も、線香も用意されていた。

 

大きな、布施箱が置いてあり、そこに、お金を入れる。

 

線香五本に灯を点けて、きくの花を、手に持って、般若心経を上げる。

最初は、何事も無い。

何度か繰り返すうちに、次第に、体が勝手に、川縁に向かいたくなった。

 

そこから、船着場に下りた。

揺れる船着場で、経を上げる。

 

舟が行き来する。

観光客を乗せて、遊覧しているのである。

その舟の波で、足場が揺れる。

 

私が、線香と花を持って、祈るのを、遊覧船の客が見つめている。

ただ、慰霊の思い篤くして、霊位に対する。

そして、花を一つ一つ千切り、河に投げ込む。

それは、その時に、そのようにするということで、その時にならなければ、解らない。

 

感じたことは、私の足が、足先から、重くなったことである。

ここでは、慰霊の行為が、あまり行われないようである。

 

水辺では、霊位が、足から感応してくる。

それは、良くないことである。

 

私が、霊能者ならば、やってられない場所である。

霊能者ではなく、慰霊する者だから、かろうじて、大事にならないでいる。

懸る、憑依するという現象がある。

それは、霊的感能力の強い人に、現れる。

その良し悪しは、別にしてである。

 

無念過ぎる人の死の想念は、たまらないものである。

ただ、水辺だということでの、救いはある。

流れは、慰霊の効果がある。

 

花を大半流して、私は、慰霊の所作を終えた。

 

線香も、流した。

 

一度や二度では、済まないことである。

 

矢張り、汗だくになった。

上に戻り、次は、どうするかということになった。

上の寺にある、慰霊碑に行かなければいけないが、荷物がある。

登るのに、荷物は、何倍もの時間がかかる。

荷物を預ける場所を探したが、無い。

 

しょうがないと、山に向かう。

すると、何と、ポリスの出先機関がある。

 

私は、勝手に、そこに向かい、食事をしていた、警察官に、合掌して、日本語で、荷物を預かって貰えますかと、尋ねた。

それで、通じた。

オッケー、オッケーと、何の抵抗無く、受け入れてくれた。

 

三人の警官たちは、笑顔で、私を受け入れてくれた。

有り難い。

 

それでは、と、身軽になって、山を登る。

しかし、山道である。汗が噴出す。

 

まず、中腹に出た。

寺があるが、入らない。

そこから、また、登る。

ようやく、上まで辿り着いた。

階段があり、僧が降りて来たので、合掌して、挨拶する。

ところが、その僧は、私たちに、何の引け目があるのか、目を伏せるのである。

何か、申し訳なさそうである。

 

理由は、後で知ることになる。

 

慰霊碑を、見つけた。

三体建ててある。

 

真新しい物である。

それほど、月日を経ていない。

だが、愕然とした。

 

何の気も、感じられないのである。

通常は、魂入れという行為をするものである。

どんな波動でも、碑には、それなりの存在感がある。

何も無い。

 

更に悪いのは、中途半端にしているゆえに、浮遊する霊の溜まり場のようになり、全く、慰霊碑の役割を果たしていないのである。

 

なんじゃ、これは。

私が言うと、スタッフの野中も、顔を曇らせて、嫌な表情である。

実は、彼は、私より、感能力が高い。それゆえ、変な所作は、行わない。

感受性が高いとも、言える。

 

私は、人様の慰霊碑であり、断らないで、慰霊の所作は、失礼であると、何も持たず、ただ、祝詞を献上して、その場の、清め祓いを行った。

 

太陽の光が、少し出たので、幸いと、太陽を拝して、更に、清めた。

 

辺りの空気が変化した。

これ以上は、省略する。

 

ある一基は、ここの、僧を日本に招いて接待し、慰霊碑建設の許可を得たという。

寺の所有する土地であるから、寺の許可が必要である。

日本式に、接待して、その許可を得たのであろう。

 

しかし、タイの仏教では、僧に対する布施行為は、寺全体に対する行為であり、僧ではない。僧が、単独で、何かを受けるということは、誤りである。

まして、接待という、世俗のもてなしを、希望するものではない。

あの出会った僧の、表情の意味が解るというものである。

 

私は、着物を着ていた。当然、日本人である。

どのような、接待が行われたのかを、知る者と、認識したのである。

 

まあ、それだけ、タイの僧は、純情だということ。

日本の僧ならば、当然、当たり前。

世俗よりも、甚だしい逸脱である。

 

現在の、タイ仏教も、腐敗の一途である。

長い間の、既得権益により、腐敗しているのである。

兎に角、タイの人は、貧しくても、寺には、寄進する。布施をする。

タンブンという。

寺にタンブンすることで、来世が決まるのである。

 

寺は、それにより、国が出来ない、福祉事業を為してきた。

貧しい子供は、寺に入れば、食べて行かれる。

学ぶことも出来る。中には、携帯電話を持つ、小僧さんもいるのである。

 

書きたくないが、肉も食べるし、遊ぶ。

男色行為は、当たり前である。

ただし、全部が全部ではない。

田舎には、戒律を守り、昔ながらの、修行僧も多くいる。

 

寺の中には、男子だけではなく、女子も受け入れて、養育する所もある。

ただし、それは、男子の余りで行うため、不足が多い。

一つの寺の、女子部では、生理用品や、タオルが足りないという。次に、私は、その女子部のために、生理用品などを、差し上げたいと思っている。

 

さて、慰霊碑の前で、写真を撮る。

写真に、嫌な物が、写らなければいいがと、思う。

そのような、場所になっているのである。

 

汗も引き始めて、下山することにした。

帰りは、楽である。

ポリスに立ち寄り、挨拶して、荷物を受け取った。

 

コープンカップ、そして、日本語で、日本式に、ありがとうございましたと、礼をした。

にこやかに、私たちを、送って下さった。

 

ここには、また、来ることになるだろうと、予感する。

以前の旅行記に、インパール作戦のことを、書いたので、省略するが、中国人、タイ人の、被害状況について、もっとよく調べて、書くことにする。