ゴールデントライアングルにて詠める歌
タイ ビルマ
ラオス隔てる
メコン河
トライアングル 流れに揺れる
あはれなる
トライアングル
悲しみの
歴史の重さ
はて遠きなり
顔洗う
メコンの流れに
生きる人
更に流して
生きるタイ人
父の死に読める歌
朝に鳴く
鳥音と共に
父の死を
迎える我に
よすがのありか
父と子と
結ぶ縁の
人の世に
遥かに仰ぐ
虚空の果て
何ほどの
こともなきこと なれどもや
人の死にたまう こと 厳かに
人の死に
遭うたびに また
鳴り響く
この命ある
貴きことと
死は確定
生は不確定
この乖離
埋めることなく
生き続けては
鎮魂の
歌を詠むなり
我が心
ゆらぎの果ての
その果ての果て
忘られぬ
思い出は
父の船 ゆく
闇の海 それ
輝く日の出
この夜は
日本の酒を
飲みたいと
切なく流す
涙を呑む
ゆくりなく
川の流れる
如くして
流れるままに
生きればよい
いずれの日
何も語らず
静かに独り
大地の元に
横たえる身
故郷は
父にあり母にありてぞ
故郷は それ
隠れてぞあり
我は泣く
二度と再び
現れぬ
この人の世の
懐かしきかな
チェンマイにて詠める歌
スコールも
朝日に譲り
西へ行く
日の出と共に
空晴れ渡る
チェンマイが
雨に洗われ
清まりて
今日の哀楽
はじまれりかな
前回のタイ、バンコクにて、首相府の、反政府運動を見た。
それに関して、ある、論調がある。
タイは、選挙によって決まったことを、国民は受け入れない。アメリカのように、選挙で決定したことは、受け入れるという、民主的国民意識が、必要であると。
アメリカは、イラクにも、アメリカ型の民主主義を求めた。しかし、御覧の通りである。
民主化といっても、それぞれの、国や民族によって、民主的というものは、変容する。
選挙結果が、不正による場合は、どうするのか。
タクシン前首相は、北部、東北部を、買収によって、票にした。
アメリカ型の民主主義というものを、世界全体に、押し付けるというのは、正に、独善である。
それぞれの、国の事情と、民族性により、民主主義というものの、形が、変容してもいい。
日本も、そうである。
アメリカを真似ることはない。
あちらは、大統領制である。
しかし、日本には、天皇制という、現在は象徴とされた、しかし、根強い、国民の支持を得る、天皇の存在がある。
それは、また、世界に誇れる、日本の家系でもある。
2668年という、長きに渡る、天皇という存在である。
国民は、天皇を、祈りの支え、そして、日本の国体として、受け入れてきた。
為政者が、変わろうと、天皇に対する、篤い思いは、変わらない。
勿論、一部の左翼系、共産化を望む人には、無用な存在であろう。
だが、現実に、今の今でも、天皇に対する、思いは、多くの国民に変わらず、受け入れられてある。
国の、重要文化財、人間国宝というものを認める国柄である。
天皇は、その、象徴でもある。
日本には、天皇を主とする、民主主義が、あってよい。
グローバル化した世界であるから、なお一層、天皇の存在が、世界に輝く。
天皇、ご訪問を歓迎する国々の多くは、その、歴史と伝統に、敬意を表する。
海外に出て、はじめて、天皇の存在の、確たること、また、その存在の誇りを思う。
これが、右翼というものであろうか。
私は、右でも、左でもない。私は、下、シモである。
天皇を、上、カミとして、奉る、シモの国民である。
上、カミは、天皇で、安堵する。
天皇は、私のことは、知らない。知る必要は無い。
だが、私は、日本の国体を、天皇として、認識する。
勿論、歴史によって、天皇制が、無くなるならば、是非もなし。
皇祖皇宗とは、天皇に続く上、カミである。
それは、日本国民の祖先の象徴である。それを、受け入れるか否かも、現在は自由である。
靖国神社に、奉られる、英霊に対して、迷惑である、奉るなという団体がある。
全く、日本の伝統というものを、知らない。
ただ、名前を掲げて奉るのであり、他の宗教のような、偶像ではない。
その、名前を、削れというのである。
逆に言うと、それは、靖国の奉りを、肯定していることとも、受け取れる。
単なる、名前を掲げているだけであるから、それは、本人ではないと、それそこ、信じれば、事足りる。
キリスト教徒、一部の仏教団である。
日の本の国には、組しないという、彼らである。
要するに、日本列島文明圏には、入らない者であるから、靖国など、無視してよいのである。
あれは、単なる、自己の信仰を鼓舞させるための、行動であると、判定する。
自らの信仰で、英霊を拝めばよいのである。それとも、自らの信仰では、無理なのか。
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