木村天山旅日記
 ゴールデントライアングルへ
 
平成20年
 10月
 

 第12話

父の死を聞いても、どうすることも出来ない。

駆けつけようにも、タイの滞在期間が、三日間ある。

 

四日、通夜、五日、葬儀である。

そのまま、戻っても、葬儀に間に合うか、どうかである。

札幌から、バスで三時間かかる、日本海側の田舎町である。

 

看取ったのが、母と弟だということで、幸せな最期だったと、思う。

 

太陽が、日差しを出したので、祝詞を唱える。

日本の伝統は、死ぬとは言わない。

隠れるという。

 

更に、崩、神上がり、かむあがり、という。

カミではない。

カムである。

アイヌも、カムイと呼ぶ。

 

崩御とは、天皇に対しての死去の、敬語である。

国民は、崩、かむあがり、なのである。

 

そして、命、ミコト、と呼ばれる。

 

ミコトは、御言である。

言霊の国、日本の面目といえる。

 

つまり、隠れた命は、言霊によって、成るものとなる。

言霊は、音霊によって、成り立ち、さらに、数霊、かずたま、によって、成り立つ。

 

古語で、数を数えることも、そのまま、祈りになるのである。

 

言霊について書くと、終わらなくなるので、いずれの機会に、書くことにする。

 

ただ、簡単に言えば、大和言葉によるものである。

言挙げする、という、言い方をする。

 

海を、カイと読めば、漢語であり、うみ、と読めば、大和言葉になる。

訓読みで、大和言葉になるのである。

 

宴は、エンと、読めば、漢語であり、とよのあかり、と読めば、大和言葉になる。

大和言葉とは、古からの、言挙げである。

 

言葉にすることによって、物事が成るという、考え方である。

しかし、アメリカ型の成功哲学にある、思いは実現するというような、ものではない。

あちらの、成功哲学は、多分に、魔の境地が、混入する。

要するに、自分が良ければいいのである。

全体の、幸せよりも、我の幸せである。

根本が全く違う。

 

天皇の、詔、みことのり、というお言葉は、国民の全体の、平安を願うという意味での、詔となる。

御言、宣り、なのである。

個人的なものを、超える。

その、御言宣り、により、国が成り立つという、考え方をしていた。

 

言葉は、実現するのである。

 

更に、音霊を、知らなければ、言霊を、知らないことになる。

日本語は、一音に意味がある。

母音に行き着く、子音であり、母音により、素晴らしく、美しい言葉が、生まれる。

純粋培養された、言葉の世界を有するのは、日本が、列島、島国ゆえである。

 

以下省略する。

 

人が死んでも、世の中は何の変化もしない。

泰然として、在る。

 

誰一人も、必要であるという、存在は無い。また、誰一人も、その存在が貴いという、絶対矛盾の存在が、人間である。

ただし、人の命は、地球より、重くはない。

実に、軽いものである。

 

命の尊さは、寿命の長さを言うのではない。

寿命と、命を、一緒くたにしないことである。

 

命とは、自然である。自然に戻ることを、人は、死ぬことと、観念した。

寿命は、生きている間のことで、それを、寿、ことぶき、と、考えた。つまり、有り難いことである。嬉しいことである。

生きているだけで、ことぶき、なのである。

 

言を、吹く、のである。更に、事を、吹くのである。

以下省略。

 

私は、その日も、マッサージに向かった。

いつも行くマッサージ店の、知り合いの、嬢が中々店にいなくて、三度出掛け、戻って、四度目に、ようやく、いた。

 

私が行くマッサージでは、最も、安い店である。

一時間の、タイマッサージが、100バーツ、約300円である。

オイルマッサージは、一時間、200バーツである。

 

その嬢は、母子家庭で、7歳の女の子がいる。

中々店にいなかった理由は、仕事を掛け持ちしているゆえだった。

 

漸く、逢えて、向こうも、歓迎してくれた。

丁度、マンゴーを食べていた最中で、それを、ご馳走になった。

たどたどしい、英語で、近況を話す。

 

いつ来たの。いつまで、いるの。どこに行ったの。

単語を並べた英語の会話をする。

 

新しい、マッサージ嬢も、沢山いた。

入れ替わりが、激しいと言う。

真っ当な、マッサージをしていると、生活出来ないというのが、実情である。

故に、田舎から、出来ても、帰る者も多い。

特に、東北、イサーンから、出て来る者が多い。

しかし、田舎に帰れるのである。日本では、田舎に帰っても、仕事がないので、どうしても、都会で、暮らすしかない。

今は、新しい貧しさが、都会を、覆っている。

働いても、収入が少ない。正社員になれない。アルバイトや、パート、派遣社員として、働く。

 

どちらが、良いのかは、価値観であるが、タイの方が、田舎に戻っても、食べることは、出来る。農家を手伝っていれば、最低限、食うことは、出来るのである。

 

さて、私は、オイルマッサージを、頼んだ。

辺りは、マッサージ店の激戦区である。

200バーツは、安い。250、300バーツが、普通である。

 

二階の部屋に上がる。

カーテンで、個室を作り、全裸で、受ける。

腰巻の、バスタオル一枚である。

 

私の横でも、白人が、オイルマッサージを始めていた。

 

夜は、ナイトバザールでも、働いているというが、内容は、聞けなかった。尋ねても、マッサージと言うだろうと、思えた。売り子をしているのかもしれない。

ナイトバザールでも、路上で、マッサージを商売にする人々がいる。

雨が降れば、出来ないのである。

 

足からオイルで、上半身に上がってくる。

以前より、力が入り、巧くなっている。

時々、片言の英語で話すが、こちらが、次第に眠くなる。

その内に、記憶が、遠のくのである。

 

トントンと、肩を叩かれて、背後が終わって、次は、仰向けである。

足の付け根は、タオルの中に手を入れて、股間、ぎりぎりまで、入ってくる。

リンパマッサージである。

 

以外に知られていないのが、腹のマッサージである。

腹は、実に、いい。

右回りで、腹を撫でる。更に、腹の両筋を、押す、撫でる。

腹が固い人は、相当、ストレスが溜まっている。

 

そして、胸である。

両脇のリンパを、特に丁寧にする。

胸の脇は、痛みを感じる。それは、肩の凝りなのである。

そして、腕である。腕が軽くなると、肩凝りも、改善される。

 

時々、彼女が、オッケーかと、尋く。オッケーと、答えて、マッサージが進む。

 

彼女がいないので、他のマッサージに行き、嫌な思いをした。

私は、白人ではないからだと、思った。

その、マッサージ嬢は、私にオイルマッサージをしていても、白人が入ってくると、何かと声を掛けていた。

つまり、白人に気に入られて、一日でも、二日でも、店から、買い上げて貰いたいのである。そして、更に、お手当てを貰う。

 

私は、それを、野中から、聞いた。

友人のレディボーイが、勤めている店でも、一ヶ月マッサージ嬢を、キープする欧米人がいるという。

気に入られれば、キープされて、大枚な、金を得ることもある。勿論、体の関係である。

 

普通にマッサージをしていては、金にならないのである。

彼女たちの、手取りは、料金の三割程度である。

やっと、暮らせるか、暮らせないかの、賃金で、客がなければ、収入は無い。

 

それを知ると、必ずチップをあげるようになる。

20,40,50バーツが相場だ。

 

それで、客の性処理をして、500バーツから、1000バーツのチップを貰う者もいる。

男の客に、積極的に、刺激を与えて、そのように、持ってゆく嬢もいるのである。

 

刺激反応で、男は、勃起する。それを、察して、性処理を持ちかける。

耳元で、相手を見て、チップを決める。

そうでもしなければ、金を得ることが出来ないのである。

生活するために、必死なのである。

生活するということは、大変なことである。

どこの国でも、同じ。