チェンマイでは、慧燈財団のチェンマイ事務局長、小西さんに、お逢いすることになっていた。
大変、忙しい方で、丁度、その頃は、ウドンタニ県での、学資支援の伝達式を、準備されている時だった。
日本からも、その式に参加する方々がいて、それらの、ツアーの先導役もすることだと、思う。
事務というのは、とても、煩雑な仕事をこなす。
そんな中で、時間を割いてくださり、本当に感謝だった。
2日の、昼にターペー門の前の、モントリーホテル前で、落ち合う約束をした。
小西さんは、必ず、少し前に来ると、知っているので、私たちも、15分前に、ホテルに着いた。
矢張り、小西さんは、少し前に、いらした。
その車に乗り込む。
私は、挨拶して、一番に、ラーメンが食べたいと、言った。
前回のラーメン屋さんの、ラーメンが旨かった。
小西さんは、そこへ車を走らせた。
一ヶ月程前は、バンコクでお逢いしている。
その時も、わざわざ、バンコクまで、いらして下さったのである。
武士道と、大和心を持つ、素晴らしい日本人である。
タイという国で、活動されているからか、更に、それが、強く印象に残る。
運転しながら、とんでもないことを、聞いた。
今年の六月に、カレン族の村に出掛けた際に、多くの村の人にお逢いしたが、その中でも、実に、私に親しくして下さった、おじさんが、農薬を飲んで自殺したという話しである。
自殺には、色々な側面があるが、彼は、心の不安定な状態を抱えていたことは、私も、解る。精神的治療を受けるべきだったのではと、思えた。
まず、普通は、カレンの人は、酒を飲まない。飲むのは、儀式の時である。その時は、飲み続けるほど飲むが、それ以外は、一切、飲まない。
彼は、アル中だったという。
心の不安定さを、酒で、抑えていたと思う。
そして、酒乱の傾向があった。
酒を飲んで、奥さんに暴力を振るい、一週間ほど、奥さんが子供を連れて、家を出た際に、服毒自殺をしたという。
どうしようもない、精神状態に、陥っていたと、思われる。
救いは、精神薬である。しかし、村には、病院もなく、まして、精神的な疾患に対処するものは無い。
もう一つの、側面は、彼は、モーピーという、役目もあったという。
ピーとは、精霊とか、霊とか、幽霊などを言う。
つまり、彼は、他の人以上に、霊的感能力があったという。
モーピーとは、日本語に訳せば、霊能者である。
村でも、伝統的なことを、多く知る人だった。
感受性が強すぎたのである。
だから、私に逢った時、実に、親しく、彼の家にまで連れて行かれ、果物をご馳走になっている。
言葉は、通じないが、兎に角、私を気に入ってくれた。
小西さんは、ラーメン屋で、その時の、葬式の様子の写真を見せてくれた。
私が、おじゃました、部屋である。
そこに、手作りの、棺桶があった。
カレンの葬式は、実に、興味深いものであった。
一晩、棺桶の周りを、独身の男女が、歌い回るという。
その言葉は、おおよそ、次通り。
あなたは、死んだ。あなたは、死んだ。死んだ国に行きなさい。死んだ国に行きなさい。
そのような、意味の言葉を繰り返し、歌い続けるという。
司祭のような人は、いない。
村の人で、式は進行する。
今回は、農繁期、つまり、刈り入れの最中で、隣村から人が来ることもなく、少ない人数での、葬式だったという。
更に、雨が降る。
翌日は、棺桶を、埋める作業だった。
本当は、山で、お焚き上げする。燃やすのであるが、雨なので、埋めることにしたという。
村人で、棺桶を運び、山の、死者の場所としてある、所に、埋める。
カレンの場合は、お焚き上げしても、骨は、そのままにしておくという。
遺骨という観念は無い。山の中で、自然に風化する。
至る所に、人の骨があるという。
棺桶を埋めると、男たちは、木の枝で、三叉を三つ、作り、左手で、それを棺桶を埋めた場所に、三度投げて、後を振り返らずに、戻るという。
最後は、死者の家に行き、手と髪を洗う。
帰りに、新芽の木の葉を取り、土を掘った、鍬などに、つけて、終わりを告げるという。
そして、それで、すべてが、終わる。
以後、死者のために、何かすることは、無い。
そして、葬式は、実に楽しく行うという。
悲しみで、しんみりすることはない。
酒を飲む男たちもいる。
儀式の時に、酒を飲むのであるから、葬式も、儀式である。
今回は、人数が少なく、老年の人も、棺桶を回るのに、加わったという。
何故、独身の男女が、夜を徹して回るのかという意味は、解らないと、小西さんは言う。
私は、それは、一晩、棺桶を回っても、体力が持つのは、若者だと思った。
長老たちは、それを、見守るだけである。
手と髪を洗うというのは、日本でも、葬式から戻ると、塩で、清めるのに、似ている。
葬式が終わると、以後、何もしないというから、驚く。
宗教の、妄想掛かった、一切の、式は無い。
上記、正に、縄文期を、思い出させる。
死者は、死者の国に、行ったのであり、もうこの世と、隔絶したのである。
ただ、ピーになって、少し留まることもあるとは、誰もが知っている。
だが、カレンの人は、ピーに対しても、あまり、感心を持たない。
実に、健康的な、霊的対処である。
夜中に、犬が吠えたり、珍しい動物が現れると、それを、死者が来ていると、言うのみ。
小西さんも、初めての体験で、興味深かったという。
初七日、四十九日、三年忌などという、日本の仏教式の、儀式に、どれだけの意味があるのかを、僧侶も知らないという、唖然である。意味は、観念としてある。本当は、何も無い。
さらに、成仏という、妄想である。
更に、意味不明の戒名という、仏弟子になるというもの。全く、意味を成さない。
すべて、商売行為である。
檀家でも、貧乏な人の死に際しては、枕経も、上げに来ないというから、全く、話にならない。すべては、金である。
そんな、仏教愛好家たちの、話など、聞いていられないのである。
私も、大いに、参考になった。
実は、私の父も、危篤状態であった。
その父は、その母を最後まで、看病し、家で看取った。
父は、やれることは、すべてやったという、思いで、死後の形式的な儀式は、実に適当だった。
曰く、生きているうちに、何もしないで、死んでから、する、フン、話しにならない、と、言っていた。
そして、父もまた、家族に看病されて、最後に、看取られて、亡くなった。本望だっただろう。
実に、真っ当である。
弟に、私が、春に帰郷し、古神道で、父の遺骨と、お墓を、清め祓いしたいと言うと、何の抵抗なく、ああ、あんたの好きなようにしていいと、言う。
要するに、弟も、父と同じ考えなのである。
生きている内に、やるべきことを、やった。後は、適当で、いいのである。
ただ、母親は、でもねー、ぼんさんとは、坊主のことである、長い付き合いだから、ぼんさんにも、相談して、云々と言う。
後で、弟が、いいべやー、やりたいように、させればいいと、言っている。
さて、小西さんと、来年の、コンサートの日程などを相談し、色々な企画と、計画を打診した。
そして、今の日本についての、大議論である。
いつも、そうして、日本についてを、語る。
小西さんは、いずれ、カレンの村に住むことが、希望である。
そして、タイ・ビルマ戦線の、日本兵の、事実を書くという、希望がある。それは、また、小西さんにしか、出来ないことである。
二時間程を、過ごして、小西さんから、お土産まで頂き、元のホテルの場所に、送って頂いた。
タイには、来年の二月末に、来る予定である。
バンコクから、ミャンマーのヤンゴンに入る予定である。
更に、一ヵ月後に、マンダレーの追悼慰霊を、計画している。
この、マンダレーには、多くの慰霊碑が建つが、今、一つ一つ、取り壊しが、始まったという。というのは、戦友会などの人々が、高齢になり、維持出来なくなり、そのままだと、ビルマの方々に、迷惑であろうということだった。
お寺の敷地を借りて、建てているものが、多く、管理をする者が、いなければ、壊すしかないとの、判断である。
これは、早急に行かなければならない。
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