木村天山旅日記
 ゴールデントライアングルへ
 
平成20年
 10月
 

 第11話

チェンマイでは、慧燈財団のチェンマイ事務局長、小西さんに、お逢いすることになっていた。

大変、忙しい方で、丁度、その頃は、ウドンタニ県での、学資支援の伝達式を、準備されている時だった。

日本からも、その式に参加する方々がいて、それらの、ツアーの先導役もすることだと、思う。

 

事務というのは、とても、煩雑な仕事をこなす。

そんな中で、時間を割いてくださり、本当に感謝だった。

 

2日の、昼にターペー門の前の、モントリーホテル前で、落ち合う約束をした。

小西さんは、必ず、少し前に来ると、知っているので、私たちも、15分前に、ホテルに着いた。

 

矢張り、小西さんは、少し前に、いらした。

その車に乗り込む。

私は、挨拶して、一番に、ラーメンが食べたいと、言った。

前回のラーメン屋さんの、ラーメンが旨かった。

小西さんは、そこへ車を走らせた。

 

一ヶ月程前は、バンコクでお逢いしている。

その時も、わざわざ、バンコクまで、いらして下さったのである。

 

武士道と、大和心を持つ、素晴らしい日本人である。

タイという国で、活動されているからか、更に、それが、強く印象に残る。

 

運転しながら、とんでもないことを、聞いた。

 

今年の六月に、カレン族の村に出掛けた際に、多くの村の人にお逢いしたが、その中でも、実に、私に親しくして下さった、おじさんが、農薬を飲んで自殺したという話しである。

 

自殺には、色々な側面があるが、彼は、心の不安定な状態を抱えていたことは、私も、解る。精神的治療を受けるべきだったのではと、思えた。

 

まず、普通は、カレンの人は、酒を飲まない。飲むのは、儀式の時である。その時は、飲み続けるほど飲むが、それ以外は、一切、飲まない。

彼は、アル中だったという。

心の不安定さを、酒で、抑えていたと思う。

そして、酒乱の傾向があった。

 

酒を飲んで、奥さんに暴力を振るい、一週間ほど、奥さんが子供を連れて、家を出た際に、服毒自殺をしたという。

 

どうしようもない、精神状態に、陥っていたと、思われる。

救いは、精神薬である。しかし、村には、病院もなく、まして、精神的な疾患に対処するものは無い。

 

もう一つの、側面は、彼は、モーピーという、役目もあったという。

ピーとは、精霊とか、霊とか、幽霊などを言う。

つまり、彼は、他の人以上に、霊的感能力があったという。

 

モーピーとは、日本語に訳せば、霊能者である。

村でも、伝統的なことを、多く知る人だった。

 

感受性が強すぎたのである。

だから、私に逢った時、実に、親しく、彼の家にまで連れて行かれ、果物をご馳走になっている。

言葉は、通じないが、兎に角、私を気に入ってくれた。

 

小西さんは、ラーメン屋で、その時の、葬式の様子の写真を見せてくれた。

私が、おじゃました、部屋である。

そこに、手作りの、棺桶があった。

 

カレンの葬式は、実に、興味深いものであった。

 

一晩、棺桶の周りを、独身の男女が、歌い回るという。

その言葉は、おおよそ、次通り。

 

あなたは、死んだ。あなたは、死んだ。死んだ国に行きなさい。死んだ国に行きなさい。

そのような、意味の言葉を繰り返し、歌い続けるという。

 

司祭のような人は、いない。

村の人で、式は進行する。

 

今回は、農繁期、つまり、刈り入れの最中で、隣村から人が来ることもなく、少ない人数での、葬式だったという。

更に、雨が降る。

 

翌日は、棺桶を、埋める作業だった。

本当は、山で、お焚き上げする。燃やすのであるが、雨なので、埋めることにしたという。

 

村人で、棺桶を運び、山の、死者の場所としてある、所に、埋める。

カレンの場合は、お焚き上げしても、骨は、そのままにしておくという。

遺骨という観念は無い。山の中で、自然に風化する。

 

至る所に、人の骨があるという。

 

棺桶を埋めると、男たちは、木の枝で、三叉を三つ、作り、左手で、それを棺桶を埋めた場所に、三度投げて、後を振り返らずに、戻るという。

 

最後は、死者の家に行き、手と髪を洗う。

帰りに、新芽の木の葉を取り、土を掘った、鍬などに、つけて、終わりを告げるという。

 

そして、それで、すべてが、終わる。

以後、死者のために、何かすることは、無い。

そして、葬式は、実に楽しく行うという。

悲しみで、しんみりすることはない。

 

酒を飲む男たちもいる。

儀式の時に、酒を飲むのであるから、葬式も、儀式である。

 

今回は、人数が少なく、老年の人も、棺桶を回るのに、加わったという。

 

何故、独身の男女が、夜を徹して回るのかという意味は、解らないと、小西さんは言う。

 

私は、それは、一晩、棺桶を回っても、体力が持つのは、若者だと思った。

長老たちは、それを、見守るだけである。

 

手と髪を洗うというのは、日本でも、葬式から戻ると、塩で、清めるのに、似ている。

 

葬式が終わると、以後、何もしないというから、驚く。

宗教の、妄想掛かった、一切の、式は無い。

 

上記、正に、縄文期を、思い出させる。

 

死者は、死者の国に、行ったのであり、もうこの世と、隔絶したのである。

 

ただ、ピーになって、少し留まることもあるとは、誰もが知っている。

だが、カレンの人は、ピーに対しても、あまり、感心を持たない。

実に、健康的な、霊的対処である。

 

夜中に、犬が吠えたり、珍しい動物が現れると、それを、死者が来ていると、言うのみ。

 

小西さんも、初めての体験で、興味深かったという。

 

初七日、四十九日、三年忌などという、日本の仏教式の、儀式に、どれだけの意味があるのかを、僧侶も知らないという、唖然である。意味は、観念としてある。本当は、何も無い。

 

さらに、成仏という、妄想である。

更に、意味不明の戒名という、仏弟子になるというもの。全く、意味を成さない。

すべて、商売行為である。

檀家でも、貧乏な人の死に際しては、枕経も、上げに来ないというから、全く、話にならない。すべては、金である。

そんな、仏教愛好家たちの、話など、聞いていられないのである。

 

私も、大いに、参考になった。

 

実は、私の父も、危篤状態であった。

その父は、その母を最後まで、看病し、家で看取った。

父は、やれることは、すべてやったという、思いで、死後の形式的な儀式は、実に適当だった。

曰く、生きているうちに、何もしないで、死んでから、する、フン、話しにならない、と、言っていた。

 

そして、父もまた、家族に看病されて、最後に、看取られて、亡くなった。本望だっただろう。

実に、真っ当である。

 

弟に、私が、春に帰郷し、古神道で、父の遺骨と、お墓を、清め祓いしたいと言うと、何の抵抗なく、ああ、あんたの好きなようにしていいと、言う。

要するに、弟も、父と同じ考えなのである。

生きている内に、やるべきことを、やった。後は、適当で、いいのである。

 

ただ、母親は、でもねー、ぼんさんとは、坊主のことである、長い付き合いだから、ぼんさんにも、相談して、云々と言う。

後で、弟が、いいべやー、やりたいように、させればいいと、言っている。

 

さて、小西さんと、来年の、コンサートの日程などを相談し、色々な企画と、計画を打診した。

そして、今の日本についての、大議論である。

いつも、そうして、日本についてを、語る。

 

小西さんは、いずれ、カレンの村に住むことが、希望である。

そして、タイ・ビルマ戦線の、日本兵の、事実を書くという、希望がある。それは、また、小西さんにしか、出来ないことである。

 

二時間程を、過ごして、小西さんから、お土産まで頂き、元のホテルの場所に、送って頂いた。

 

タイには、来年の二月末に、来る予定である。

バンコクから、ミャンマーのヤンゴンに入る予定である。

更に、一ヵ月後に、マンダレーの追悼慰霊を、計画している。

 

この、マンダレーには、多くの慰霊碑が建つが、今、一つ一つ、取り壊しが、始まったという。というのは、戦友会などの人々が、高齢になり、維持出来なくなり、そのままだと、ビルマの方々に、迷惑であろうということだった。

お寺の敷地を借りて、建てているものが、多く、管理をする者が、いなければ、壊すしかないとの、判断である。

これは、早急に行かなければならない。