天山旅日記
ベトムへ
平成20
10月
 

第14話

明日は、バンコクへという前日の、夕方、ホテルの斜め前の、マッサージ店に入った。

 

いつも、数名の嬢たちが、料金表を掲げて、客引きをしていた。

そこで、一時間のタイマッサージを頼んだ。

 

五十代の、おばさんが着いた。

マッサージ室は、三階にあった。細長いビル一つが、マッサージ店だった。

誰もいない、だだっ広い部屋に、ベッドが並んである。

窓際のベッドに案内されて、二時間にした方がいいというのである。

二時間なら、350バーツで、得だよと。

 

もし、下手糞なら、二時間は、苦痛だと思った。これは、賭けである。

まだ、今日は、お客が一人もいないので、押し売りしているのかもしれない。

オッケーというまで、食い下がるので、オッケーと、答えた。

 

そして、マッサージがはじまった。

足裏から、脚全体にかけての、マッサージは、巧い。

そして、更に、上半身にきた。

いつもと違う。

このおばさんは、手、肘、足、膝と、縦横無尽に使って、私の体を、少しつづ、ずらしつつ、わき腹まで、揉んだ。

わき腹は、余ほどの人でなければ、事故にもなるので、揉まない。

 

これは、巧い。

最後になった時、太股の、内側を、足で揉んだから、驚いた。

そして、私の体を、少し横にし、背中を膝で、押すように、揉む。

今までにない、マッサージのテクニックを、幾つも見た。

 

自分の体重を巧く利用するのも、上手である。

見事だった。

プロの仕事である。

 

そして、終わり、私は、100バーツのチップを渡した。

そして、素晴らしいマッサージですと、英語で言った。

おばさんは、英語がペラペラである。

 

そして、言うには、タイマッサージは、二時間必要だという。

一時間では、やり切れないとのこと。

これから、タイマッサージを受ける時は、二時間やるようにしてくださいと、言われたのである。

 

イートさん、番号15。

店の名刺に、サインをして貰う。

パタヤでの、タイマッサージは、このおばさんに決まりである。

フットマッサージは、前回来た時の、ボーイマッサージ店の一人のボーイである。

力が強く、足裏を、ぐいぐいと押す。足裏は、どんなに強くとも、事故は、起きない。

そして、オイルマッサージは、あの、イサーン出身の、嬢である。

 

パタヤマッサージの顛末を終える。

 

さて、私は、バンコクに、バスで行こうと考えていた。が、ホテルに、車チャージの、コナーがあるので、料金を尋ねる。

800バーツ、1200バーツ、1500バーツ以上とある。

お勧めは、1200バーツ、約4000円のコースで、高速料金が含まれている。

800バーツは、高速料金が含まれない。車の質も違うと、後で、スタッフに教えられた。

 

バスは、一等エアコンバスで、一人約200バーツである。しかし、バス停までタクシーに乗り、降りてから、また、タクシーなど利用すると、色々と、お金が掛かるし、いちいち交渉しなければならない。面倒である。

よしと、1200バーツに、決めた。

出発は、一時である。

チェックアウトが、十二時なので、昼を食べて、行くことにした。

 

ところが、タクシー運転手は、十二時に、待機して待っていた。

それならと、乗り込んだ。

食べ物は、屋台で買った物が、多少あったので、それを、食べることにした。

 

バンコクまでの、高速道路は、スムーズに進んだが、バンコク市内に入ると、渋滞である。

スクンビットのナナ駅に近づくと、更に渋滞。

 

三時を過ぎた。

ようやく、運転手が、横道に入り、一気に、ソイ11に入った。

目印の、セブンイレブンがあったので、そこで、降りる。

旅行雑誌で、見た、ゲストハウスに泊まってみたいと、思ったのだ。

しかし、ほぼ満室で、ツインルームは、一泊しか出来ない。

900バーツである。

 

確かに、民家風で、緑に囲まれている。が、実に、不自然な感じである。周囲の形態と、違和感があり過ぎる。そして、少し高慢な、態度は、人気があるのだろう。

更に、フロントの横に、セックス目的の方は、お断りしますと、書かれてある。

 

どういうことだろうか。

つまり、売春する者を、連れ込むなということ、なのであろうか。

ラブホテルのように、使用するなと、いうことか。

 

確かに、欧米人のセックスは、長時間に渡り、更に、音が大きい。造りの粗雑な、部屋は、隣近所に迷惑である。

それにしても、わざわざ、そんなことを、書くとは・・・

それが、楽しみで、きている人もいるはず。

 

まあ、それぞれの、ハウスの、方針があっていい。

結局、私たちは、いつもの、600バーツという安いゲストハウスに向かった。

スタッフが、連れ込み宿という、ゲストハウスである。

私は、アンタ、連れ込み宿でも、ゲストハウスに替わりないと言った。私は、気に入っている、のだ。

 

今回は、オーナーさんが、フロントにいた。

オーナーさんは、日本に、十ヶ月過ごしたことがあるという。ただし、日本語は、ちょっと待って、ありがとう、さようなら、しか、出来ないと言う。

とても、親日溢れる、おじさんだった。

 

二泊することにした。つまり、バンコク滞在は、そこのみである。

 

部屋に、荷物を置いて、すぐに、食事に出た。

スタッフは、逢う人がいるので、私一人で、いつもの、屋台連合のような、ビルの横にテントを張っている屋台に出掛けた。

そこで、スープライスを頼む。

しかし、最初、それが、通じないのである。

ライスに、ラーメン丼を、ジェスチャーしたが、それなら、あちらの、麺屋だと、言われる。違う、違う。ライスに、と言うと、おじさんは、ご飯を大盛りに丼に盛る。違う違う。ライスに、スープ、スープという。

ようやく、おじさんは、スープライスかと言う。

ライススープと、スープライスは、違うのか・・・

 

とても、疲れた。

しかし、次からは、おじさん、私の顔を見ると、スープライスかと、尋くようになる。

 

何度聞いても、その、スープライスの、タイ語が、覚えられないのである。

 

食事は、ほとんど、そこでした。

そして、その近くのインド料理の店で、カレーを食べる。

その辺りは、インド、アラブ料理の店が、多い。アラブのテレビ番組を点けている店もある。

黒尽くめの、イスラムの女性の姿が目立つ。

そして、ホテル横の小路は、アフリカ系である。

 

更に、ナナ駅の付近には、女性、レディボーイの、ゴーゴーバーが、多い。

夕方からは、歩道に、長く、ナイトバザールがはじまるという、混雑さである。

 

食べ物の、屋台も多く出る。

毎日が、お祭りである。

 

スタッフは、一人のレディボーイと、逢っていた。

泊まるホテルを教えてくれたのも、そのレディボーイである。

朝から、レディボーイたち、女性たちの、立ちんぼがいる。

その皮膚の色が、多くなった。

黒人の、女性も、白人の女性も、立つようになったのである。

タイ人ばかりではない。

 

その夜、スタッフは、女装して、私をレディボーイの、ゴーゴーバーに連れた。

ビル全体が、ゴーゴーバーである。

何件もの店が、客引きをしている。

 

私は、はじめて、ゴーゴーバーに入ることになった。

音楽に合わせて、レディボーイたちが、水着姿で、踊る。

驚くほど、美しい人、可愛らしい人、様々である。

中には、吉本、お笑いという人もいるが、それもまた、楽しい。

 

しかし、長くは、いられなかった。

音楽と、照明に耐えられない。

 

私を指名してと、皆々、訴える。

指名をして、店から連れ出すのに、600バーツを払う。そして、後のことは、交渉次第である。

 

飲み物を運んでくる者も、レディボーイなのであるが、舞台に立てない、ちょっと、面白、レディボーイである。

しかし、必死で生きているのは、伝わる。

 

オレンジジュースを飲み終えて、清算する。

二人で、160バーツ程度。安い。

すると、子豚顔の、飲み物係りの、レディボーイが、チップ頂戴と言う。

20バーツという、ケチ臭いチップを上げて、退散した。

 

私のスタッフは、女性に見られたことに、満足していた様子。

そこで、一言。やるなら、徹底して、やるべきだと。

女に、見せるのではなく、女であること。

 

役者は、それに、見せるのではなく、それに、成るのであり、名優は、それに成るのである。

 

スタッフは、私に、日舞を教えて欲しいという。しぐさは、学ぶ必要があると、気づいたのだ。

所作は、教育される必要がある。

 

私は、踊りつつ、ホテルに向かった。

手踊りである。誰も気づかない程度である。

 

それが、最も楽しかった。

教養というものは、そういうものである。

人に見せるものではなく、私が楽しむもの。それが、教養である。

自己満足の、何物でもない。

 

蒸した、とうきびと、枝豆を買う。

20バーツ。

屋台のおばさんに、焼いたエビを、勧められたが、100バーツである。それは、高い。私のような、貧乏人には、手が出ないもの。

 

本当は、食べたいが、我慢する。

その、我慢が快感になる。

 

酒を飲まずに、早々に寝ることにする。

明日は、チェンマイから来てくださる、小西さんと、会う。