天山旅日記
ベトムへ
平成20
10月
 

第19話

ベトナムに到着して、即座に、8ドルのタクシーに乗り、メーソン広場に向かった。

そこには、ベトナムの英雄、チャン・フン・ダオの像がある。

 

およそ、800年前、日本では、鎌倉時代である。

三度にわたり、ベトナムに侵入してきた、元の大軍を破り、救国の雄となった。

 

タクシーを降りて、すぐに歩き出し、川沿いに向かった。

慰霊に、相応しい場所を探す。

丁度、川に突き出た、船着場のような、場所があり、そこで、追悼慰霊の儀を、行うことにした。

 

夕暮れ迫る頃である。

 

まだ、人影まばらである。

バイクに、カップルが、いた。

スタッフが、白人の夫婦が、じっと、こちらを、見ていたというが、私は、気がつかなかった。

 

すぐに、用意していた、白紙を、枝に取り付けて、御幣を作る。

枝は、公園の、一枝を貰った。

いつも、その地にある、枝を使う。

榊でなければならないということは、一切無い。

 

今回は、清め祓いのみであり、神呼びをして、霊位を、置かない。

ただ、言霊により、清め祓いをするのみ。

祝詞を唱えて、しばし、黙祷する。

 

御幣を太陽にかざして、その、気を頂き、四方を清め祓う。

 

何と清清しいことであろうか。

私の勝手な、思いである。

これが、私のやりたいことである。

 

何故、それをするのかと、言われれば、それを、やりたいのだとしか、答えられない。

 

見える世界は、見えない世界に支えられてある。

それ以外の、言葉は、無い。

 

いずれは、ベトナムの日本人村にも行くことであろう。

そこは、ホイアンという、ベトナム中部、フエの南にある町である。

 

来遠橋という、1593年に、日本人が作った橋があり、町のシンボルでもある。

橋を、境に、東側に日本人街、西に中国人街がある。

 

橋の中央には、舟の安全を祈願する、小さな寺がある。

 

1999年に、世界遺産に指定された。

ホイアンについては、いずれ旅した後で書く。

 

ちなみに、フエを中心とした、中部では、日本語熱が、高い。

ベトナム政府は、年間、1000億円を援助する日本に対して、学校教育の場で、日本語授業の選択で、応える。

 

また、ホーチミンの高校でも、日本語は、選択科目にある。

 

さて、急ぎ、追悼慰霊の儀を、終わり、私たちは、傍のレストランに入った。

まだ、準備の時間であるようだが、快く、受け入れてくれた。

川沿いに面した、オープンカフェに、座り、ベトナムコーヒーを注文する。

 

ボーイたちが、まだ、仕事前で、休んでいた。

話をしたいが、英語も、通じない。

ただ、ニコニコと、笑いあうだけである。

 

ベトナム人が、笑う。

私は、その僥倖に、何度も出会った。

 

着物の、珍しさもあるのか・・・

解らない。

しばし、そこで、休む。

 

写真を見ると、最初に撮ったものより、慰霊後の方が、明るいのである。

不思議である。

不思議なことは、この世に、数多くある。

不思議は、不思議で、いい。

偶然でも、いい。

詮索する必要は無い。

 

空港に行くまでは、まだ時間があるので、ベンタイン市場に歩いて向かう。

しかし、夕暮れ時の、ラッシュである。

車と、バイク軍団の中を、道路を横断するのは、勇気がいる。

 

とてもじゃないが、怖すぎる。

ビュンビュンと、その走る中を、横切るのである。

心臓ドキドキ。

 

ようやく、市場に着いたが、疲れた。

本当に、疲れた。

 

ところが、市場の中は、お終いである。

皆、本日の、後片付けをしている。勿論、食堂も、である。

あららららら

と、思いきや、市場の横の広場に、屋台である。

 

見事に変身している。

 

雨が降ってもいいように、テントが、張られている。

そこを通ると、呼び込みが、激しい。

時々、変な日本語で、呼び止められる。

 

私は、フォーを食べるつもりである。

海鮮のフォーである。

専門店を、探すが、呼び込みに、止められる。

フォーと言うと、オッケーオッケーと、言うが、スタッフの野中が、ここは、専門店じゃないと言うので、また、先に進む。

そして、フォー専門の店に、入った。

 

ところで、私は、呼び込みを、無視しているのではない。

必ず、声を掛ける。

日本語である。

いい、男だねーーー

可愛いーーー

皆、意味が解るのか、照れ笑いする。

 

メニューには、日本語も、載っているから、ありがたい。

写真を示し、注文する。

同じものを、二つ注文し、もう一つ、余計なものを、注文したが、忘れた。

料金は、高めである。

 

三万ドン以上であるから、米ドルでは、2ドル以上であり、日本円では、約200円以上となる。

 

そうそう、水を買った。

一万ドンである。

あれっ、高い。5000ドンではなかったのか。

すると、野中が、メーカー物だよ、と言う。

観光客用なのであろう。

 

致し方ない。

この、みみちさは、日本に戻っても、続く。

 

ベトナムの感覚で、日本の店の、料金を判断するから、とんでもなく、高く感じる。

立ち食いソバが、最も理想的になる。

 

そして、8ドルで、乗るタクシーの場所に移動した。

と、その前に、公園を通るのである。

その公園で、女の子三人に、話し掛けられた。

 

高校生が、二人、一人は、大学生である。

英語が、話したいようで、一生懸命に話しかけてくる。

 

実は、私と、野中は、着物姿である。

話をして気づくと、私たちの周囲に、人が群がっていた。驚いた。

30人以上はいる。

私たちを、見て微笑んでいる。

 

これは、一曲歌うか、舞うかと、思ったほどである。

しかし、時間を見ると、駄目。

しょうがない。次のチャンスだと、カーモーン、ありがとうと、言って、その場を離れた。

 

女の子たちは、スイユアゲンである。

何とも、ベトナムの最後は、皆に、送られた気分であった。

 

8ドルの、タクシーに乗り込み、空港へ、向かう。