木村山旅
 沖縄・渡嘉敷島へ
 
平成20年
 12月
 

 第5話

タクシーというより、大型バンに乗って、最初の慰霊地、白玉之碑に向かう。

 

五分程度山道を登ると、着いた。

 

車を止めるスペースがある。

柴垣の門を、抜けると、慰霊碑がある。

 

その慰霊碑には、人の名が刻まれている。

そこからは、先ほど降りた、港が、見渡せる。

 

ひと枝を折り、御幣を作る。

そして、もう一つ、慰霊碑の中にある、枝を折る。

今回は、二つの御幣を作る。

 

今まで、昭和天皇を、御呼びしたのは、タイ・メイホンソーンの、ある慰霊碑だった。

 

今回、昭和天皇を御呼びするのは、二度目である。

 

この、依り代に、降臨鎮座を願うのである。

 

運転の方は、おばさんといったが、ここからは、女性と書く。

この島に生まれた方である。

 

少し待ってて、ください

そう言って、私は、即座に、神呼びをはじめ、祓えの祝詞を唱えた。

 

私の、神呼びの音霊は、うウ音である。三度、ゆっくりと、音を出す。

 

祈りの最高の形は、黙祷である。

最上の祈りは、黙祷である。

 

祝詞を唱えて、私は、四方を清め祓う。

多くの慰霊の思いにより、実に、霊的に静かである。

 

私は、女性に、写真を撮って貰う。

慰霊碑の前の、歌碑の横である。

 

どうして、慰霊をしているのですか、何の得にもならないでしょう

 

彼女の質問に、私は、言葉を出せない。

それは、私が私に尋ねる言葉だからだ。

 

単独で、ただ、慰霊にだけ来るというのは、何か。

 

これは、私の人生最後の仕事なんです

勿論、収入にはなりません

でも、私の仕事と、考えています

 

それから、彼女との、会話が、はじまった。

嬉しいです

ただ、慰霊に来られる方がいるのは

ここには、島の人に、根掘り葉掘りと、当時の様子を尋ねるために、来る人たちがいます

本当に、迷惑なことです

誰も、島の人たちは、話したくないんです

 

車に乗りながら、話は、続いた。

 

途中から、彼女が

今日は変です

と言う。

私は、結婚するまで、霊感が強くて、困っていたんですが、結婚して、無くなりました

でも、今日は、変です

耳が、耳が詰まったようになって

それに、あそこに向かうと思うと、気が重くて、それに、空気も重く感じます

 

途中には、旧アメリカ軍の施設があり、今は、青年の家として、宿泊施設などに使用されている。

 

霊感の強い子は、ここでは、眠られないといいます

この辺りも、自決している場所なのです

至るところです

 

集団自決跡の碑に到着した。

今日は、本当に、ここを開けるのが・・・

 

彼女は、緩慢に、その、跡地の鉄格子を、開けた。

 

そして、両耳を、覆っている。

 

私は

大丈夫ですよ

私が来たことを知っているんです

すぐに、済みますから

 

私は、即座に、神呼びをした。

更に、西の空に、太陽が光るので、そちらに向かい、天照る神を、御呼びする。

皇祖皇宗 あまてらすウおほんみかみーーーー

あまつかみ くにつかみ やおよろずのかむたち おきなわ とかしきをおさめる うぶすなのかみ

さらには 昭和天皇を、御呼びしたて奉る

このヒモロギに、降臨鎮座したまえと かしこみかしこみ ももオうすウーーー

 

祓えの祝詞を唱えて、四方を清め祓う

暫しの黙祷。

 

そして、即座に、お送りの音霊で、引き上げ給えと、唱える。

 

日本人として、亡くなったのである。

当然、日本の皇祖皇宗に、お願いする。

 

ただし、私は、その後で、右側に向かい、念仏を唱えた。

そして、左側に、題目を唱えた。

 

終わってから聞いた。

右側の森では、一番亡くなった方が多いと。

そして、左側は、分散して、亡くなったと。

 

その日の、島の川は、血で染まったという。

丁度、そこは、水源地であり、すべての川に通じている。

そこに、彼らの血が、流れ出したのだ。

夜中に、水を飲んだ人は、気づかずに、水が変な味がすると、思ったらしい。また、その水で米を焚いた人もいる。

ご飯が、真っ赤に染まり、赤飯かと、思ったというから、凄まじい。

 

彼女は、私が、慰霊している様を、何枚も写真を撮ってくれた。

そして、終わってから、彼女の胸の内を聞いた。

 

これについては、知る人ならば、誰のことかが、解るので、書くことは、しない。

ただ、私の考えだけを、書くことにする。

 

当時の、状況を把握することである。

例えば、当時の島の指揮を取っていたのは、軍である。

その島の、軍の最高指揮官である。

その、指揮官は、日本軍の、教えの通りに、行っていたといえる。

 

そして、異常事態である。

情報も錯綜する。

 

1944年昭和19年10月10日

アメリカの機動部隊は、沖縄を空襲する。

以後、台湾、ルソン島への、激しい波状攻撃を行う。

 

そして、20日には、米軍四個師団が、フィリピン・レイテ島への、上陸を開始する。

そこで、大本営は、レイテ島への、増援輸送を行うが、米軍の攻撃によって、多くの艦船を失う。

このレイテ島で、連合艦隊は、事実上、消滅するのである。

 

更に、地上戦でも、日本軍は、敗北する。激戦であった。

もはや、日本軍には、米軍を阻止する力は失われていた。

 

フィリピンを全滅された米軍は、45年、2月19日に、硫黄島に上陸して、かつてない激戦が行われた。

その、約一ヵ月後、日本軍守備隊が、全滅する。

続いて、4月1日に、沖縄本土に米軍が上陸するのである。