沖縄本土に、アメリカ軍が上陸する前に、まず、ケラマ諸島の、座間味、阿嘉島、慶良間島が攻撃を受ける。
それが、3月23日である。
そして、27日、渡嘉敷島への、攻撃と、上陸がはじまる。
4月1日には、本土へ上陸する。
沖縄戦の悲惨さは、戦死者数、これは、沖縄出身の軍人、軍属を含む者と、同じ数だけ、一般住民が、戦闘に巻き込まれて、死亡していることである。
戦死者は、9万4136名、一般市民は、9万4000名である。
大本営は、沖縄戦を、本土決戦の準備のための、捨石作戦として、位置づけたことが、悲劇の元である。
作戦の主たる目的は、米軍に、長期間に渡り、多大な犠牲を与えることだった。
したがい、県民の、避難や、安全確保の対策は、後回しになった。
更に、である。
多数の沖縄県民が、日本軍によって、殺害されたことである。
日本軍は、米軍のスパイとみなした住民を、処刑し、日本軍将校用の壕を確保するために、住民を、壕から追い出したのである。
それによって、多くの住民が、戦火に晒されることになった。
また、日本軍と、住民が、混在している場合は、日本兵が米軍に発見されるのを、恐れて、住民を犠牲にした。
また、米軍に投降する住民を、射殺したのである。
さて、渡嘉敷島でも、多数の住民が、スパイ容疑で、処刑された。
米軍は、渡嘉敷島に上陸した時、国際法に則って、一般住民を、攻撃しないとしていた。逆に、保護する対応だったのだ。
しかし、それに、助けを求める住民を、日本軍は、処刑したのである。
スパイとして。
そして、この問題は、今も、議論されているが、集団自決である。
様々な、見解からの、意見があるが、私は、追悼慰霊をすることで、解ったことを、書く。
当時の、アメリカ軍、アメリカ人に対する、日本の軍部の、喧伝は、鬼畜米英である。
つまり、米英は、鬼である。
鬼に、捕らえられれば、女は、犯されて、殺され、男は、釜茹でにされる、等々の、喧伝である。
アメリカ軍上陸を聞いて、人々は、色めきたった。震え上がった。
殺される。
まず、第一に、思うことである。
軍の関与ある、無しに、関わらず、当時の、思潮、思想の流れを、見れば、理解出来ることである。
さて、住民は、どうするか。
殺されるならば、皆で、死のうと思う者、多数。
更に、戦局の行く末を見ていて、絶望する、軍将校もいる。
さて、どうするのか。
ここでは、軍関与ありも、無しも、議論にならないのである。
当時の、状況から、判断すれば、そのように教えていた、教えられたことが、原因の、結果である、ということだ。
私は言う。
軍の関与あり、更に、当時の思潮、軍の喧伝による、犠牲であると。
それが、違うと解釈があっても、その時の、人の心を、動かすものは何かを、問えば、自ずと、答えは、見えてくる。
軍将校が、死んではならないと、言ったとしても、アメリカ軍が、上陸して、殺されるとしたなら、どの道を選ぶか、である。
宗教の教えのように、信じ込むように、させられたのである。
皇国臣民である。
ケラマ諸島の人々は、アメリカ軍に、保護されて、渡嘉敷島に、連れられて来ていた。
住民は、投降すれば、助かったのである。
一人一人の、人間の、云々の問題ではない。
そんな、小さな問題ではない。
当時の、日本軍の、国民に対する、喧伝の有様を、見てから、である。
天皇の存在を、利用し、天皇の赤子として、国のために、命を捧げることを、是とする。
あの、戦争は、天皇のためではない。
軍のための、戦争である。
日本の国のためというより、日本軍のためである。
しかし、多くの、兵隊は、また、国民は、日本のために、戦った。
この、ズレは、甚だしく、大きい。
さて、更に、加える。
アジア・太平洋戦争の、戦死者の大部分が、マリアナ陥落後の、抗戦期に発生している。
戦争終結の決断が遅れたことにより、どれほどの、命が失われたかということである。
すでに、日本は、敗戦していたのである。
軍部という、傲慢極まりない物どもが、この戦争の、犠牲を最大にしたのである。
その、軍部は、誰が指揮したのか。
数えるばかりであろう。
まして、天皇が、終戦のお言葉を、のべられるのを、阻止しようとしたのは、共産主義に染まる若き将校たちである。
戦争の、ドサクサに漬け込んで、日本を共産主義の手に委ねようとした者もいるのである。
さて、アメリカは、東京大空襲で、十分だったはずである。
一般市民を、殺し尽くすという、国際法無視の、攻撃である。
更に、アメリカが、原爆を落とす、何物をも、意味は無かったのである。
裁かれるとしたならば、アメリカである。
そして、日本軍の最高司令官であろう。
それでは、何故、戦争に突入したのか。
簡単である。
日本は、アメリカによって、孤立させられたからである。
すべてを、断たれて、国際的に、孤立させられたからである。
それを、したのは、アメリカである。
戦争を仕掛けたのは、アメリカである。
更に、おまけに言えば、日本が、参戦したことにより、多くのアジアの国が、独立を勝ち取った。誰も、それは、否定しないだろう。
日本の、多くの戦死者と、多くの市民の死は、アジアの独立ために、捧げられたのである。
私は、集団自決の追悼慰霊を、終えて、即座に、それを、悟った。
確かに、一時期、日本は、アジアの国々を、植民地支配した。
それを、一つ一つ検証するべきである。
無意味なものはない。
一つ一つの国に、意味がある。
今は、それを、書かないでおく。
何ゆえに
慰霊するかと
問われては
意味なきことの
言葉なきこと
追悼の
思いは深く
人の名は
語り伝えて
偲ぶよすがに
渡嘉敷の
古き傷跡
たずねては
心にかかる
深緑かな
沖縄の
海 美しき
深き青
流す涙の
慰霊の色とも
すべてには
意味があるとは
誰言うか
この人の世は
すべて無意味に
|
|