木村山旅
 沖縄・渡嘉敷島へ
 
平成20年
 12月
 

 第8話

沖縄には、300箇所の、慰安婦所があった。

 

渡嘉敷島にも、一箇所あった。

朝鮮から、連れられて来た、女性が、七名いた。

渡嘉敷島の人は、その女性たちを、知っている。

 

一人の女性は、16歳の時に、連行された。

道で、赤ん坊を抱いている時に、赤ん坊を、隣に居た、おばあさんに渡されて、連行されたという。

 

何がなんだか、解らないうちに、慰安婦にされた。

 

毎日、列をなして、兵隊が来る。

その兵隊を相手に、身体を差し出す。

 

毎日、泣いていたという。

 

慰安婦の一人は、高齢になって、渡嘉敷島にいたという。

最後は、病で、亡くなったとのこと。

 

連行したのは、軍なのか、業者なのかは、解らない。

軍は、業者に、斡旋してもらったはずである。

 

だが、結果を見れば、あまりに、悲劇である。

 

中には、慰安婦になり、大枚のお金を得られるという、女性もいたことは、確かである。しかし、そうではない、女性の方が、多かった。

 

私は、その事実を聞いて、深く、傷ついた。

性的処理のための、女性というのは、あまりに、悲しい。

 

それで、生涯を終えられたのである。

 

誰が、責任を取れるのか。

今となっては、日本国が、責任を取るしかない。

しかし、その、戦争責任の保障が、終わっていることも、事実である。

 

戦争。

 

戦争である。

 

異常事態である。

 

日本軍だけが、慰安婦所を設けたというが、私は、アジアの至る所で、アメリカ兵に、身体を売った女性の話を、聞いている。

 

慰安所を設けた、日本軍と、慰安所を設けなかった、アメリカとの、違いは何か。

 

解らない。

 

しかし、アメリカ兵との、混血の子供は、多い。

 

ビルマ・ミャンマーでの、日本兵との、混血の子供も、多い。

 

更に、敗戦後の、沖縄のアメリカ統治の、婦女暴行は、限りなく、混血児も、多い。そして、日本のアメリカ軍の、GHQの時も、混血児が多い。

 

性的処理にされる、女性は、歴史始まって、以来からである。

 

日本の、慰安婦問題を、アメリカ議会が、判定する、何物も無い。

 

私は言う。

 

戦争という、暴力の前には、何者も、無力である。

そして、戦争を起こすというのは、人類の、定めであり、業である。

 

その、人間の業を、裁ける者が、いるのだろうか。

 

生まれて、済みません、である。

 

人間が、この世にいないことが、理想なのである。

 

人間の存在は、悪魔の関与であろう。

つまり、人間は、悪魔なのである。

 

とどの、つまりは、人間が、この世に、存在しているということが、罪なのである。

 

キリスト教の、原罪という意識は、まさに、悪魔的である。

というより、悪魔なのである。

 

人間は、悪魔の子であるという。

 

悪魔の子が、神も、仏も、あるものか。

悪魔は、悪魔である。

 

結論を言う。

 

私も、あなたも、悪魔から、出たものである。

つまり、仏陀も、キリストも、悪魔から出たものである。

 

異存、異議は、あるか。

 

神仏という、善なるものを、置いて、辛うじて、悪魔の存在である、人間が、生き延びているということである。

 

おわかりか、愚か者たち。

 

私も、あなたも、悪魔から、出たものなのである。

 

神仏は、妄想であり、人間の存在、そのものが、妄想なのである。

これは、大乗仏教の空論に似たものであるが、違う。あちらは、本当に、空論である。

 

以下、省略。