木村山旅
 沖縄・渡嘉敷島へ
 
平成20年
 12月
 

 第9話

私が、最初に沖縄に出掛けたのは、15年ほどまえである。

その時、私は、沖縄本土より、与那国島へ行きたいという気持で、本土を経て、石垣島を通り、出掛けた。

 

本土には、泊まっていない。

 

当時、舞踊を教えていて、与那国島の踊りというか、与那国島を歌ったものに、振りをつけて、教えていた。それで、非常に興味を持ち、出掛けた。

 

与那国島には、三泊した。

 

最初の夜である。

民宿の一人部屋に寝た私は、深夜、目覚めた。

 

兎に角、非常に強い、恐怖心で、目覚めたのである。

こんなに、怖いという感情を持ったことはなかった。

しまいに、私は、本日一緒に飛行機に乗っていた、青年の部屋に行き、事情を話して、一緒の部屋にしてもらおうかとも、思ったほどである。

 

その恐怖が、30分ほど続き、もう駄目だと、思った時、スーッと、その恐怖心が無くなった。

不思議だった。そしてもそのまま、眠ってしまった。

 

私の部屋の前に、大きな人間が立っていると、感じたのである。

 

とても、強い波動であった。

 

それが、理解できたのは、その、民宿から出て、別の民宿に移り、島の歴史を記した、山に登った時である。

 

その島の、酋長は、女だった。それも、大きな女だったという。

その、山の洞窟に出掛けて、それを知り、納得した。

 

そして、私は、更に、山に登った。

山といっても、野原のような、感覚である。

山の、頂上というか、広い原っぱに出た時、大きな石、平たい大きな石を見つけた。

更に、平たい石が、縦に並び、一つの石だけが、横にある。

その石を見た時、そこで、なにがしかの行為が、行われていたと、感じた。

神聖な場所であるという感覚である。

 

私は、そこで、全裸になった。

強い日差しの中である。

兎に角、裸になりたいのである。

誰も、いない。

 

そこからは、青い海と、青い空が見渡せる。

石の上は、熱く、私は、葉を敷いて、そこに寝た。

空を見上げて、寝ていた。

 

石垣島からの、飛行機が見えた。

 

30分程して、私は、衣服を着て、その場を離れた。

不思議な感覚である。

 

そして、何度も海に入り、泳いだ。

泳いだというより、海に体を浸した。

美しい魚たちと、共に、海にいるのが、楽しかった。

 

石垣島で、飛行機に乗り換えて、那覇に向かった。

そのまま、千歳まで、帰る予定であった。

 

当時の那覇空港は、大きな小屋という、イメージだった。

沖縄蕎麦を食べて、千歳行きを、待っていた記憶がある。

その時、私は、沖縄慰霊をするなどとは、考えることもなかった。

 

戦争犠牲者の追悼慰霊をはじめて、二年が過ぎた。

東南アジアの各地を回る。

その時、いずれ、沖縄に出掛けようと、思うようになる。それは、必然だった。

 

今回、今まで調べていた、戦争犠牲者のことなどから、沖縄に関しても、調べ、更に、戻ってきてからも、沖縄に関するものを、読んでいる。

 

集団自決に関する、報告書や、レポートも、読んだ。

そして、確実に、私が感じるものは、何かと思った。

 

私は、集団自決と共に、更に悲しんだことは、沖縄の市民が、日本兵に、射殺、虐殺されていることだった。

 

兵士と、市民の死者数が、同じだと、書いた。

その、犠牲者の一部は、日本兵に殺されているという、事実である。

 

スパイ容疑ということである。

つまり、一般市民が、アメリカ軍に、投降、あるいは、助けてもらうという、行為を取る時、彼らは、スパイとして、殺されたということである。

 

それは、渡嘉敷島でも、同じだった。

 

ある濠では、男たちが、全員日本兵に連れ去られて、殺されているという事実である。

日本の、敗戦を予感した、日本兵、及び、その将校たちは、精神に異常をきたしたと、思われる。

 

ケラマ諸島から、市民がアメリカ軍に保護されて、連れて来られた。それを、見て、投降する、者もいたが、途中で、捕まり、スパイとして、殺されている。

 

今回、私は、男たちが、連行されたという、建物を教えてもらった。

どことは、書かないが、あまりに、無残である。

 

この一つ一つを、検証すると、戦争犠牲者の追悼慰霊という行為の、更なる重要性を感じる。

 

沖縄には、ユタという、霊能者がいる。

女ヤタ、男ユタもいる。

 

沖縄は、精神疾患の者が多数いる。それは、日本一と言える程である。

多くは、霊的障害である。

 

つまり、沖縄戦による、霊的存在に対する所作が、お座なりにされているといえる。

本来は、ユタの皆さんに、総慰霊を求めたい。

 

だが、ここでも、沖縄の悲劇がある。

敗戦から、アメリカ統治、そして、日本返還という中で、沖縄の世論を作り上げてきたのは、左翼系、左派である。

彼らは、霊的能力というものを、知らない、認めない、非科学として、排斥した。

 

激しい反日と、そのような、霊的所作を認めないという、暴挙により、追悼慰霊の所作が、行われていないと、判定する。

 

更に、複雑なのは、沖縄の差別である。

本土は、八重山諸島と、奄美を差別する。

琉球王国は、八重山を搾取し続けてなった、王朝である。それが、そのまま、潜在的に、残っている。

 

私は、沖縄の人が、やまとの天皇を認めないという心境を理解する。また、それを、支持する。

 

薩摩藩が、沖縄を支配したと、思っていた時期も、沖縄は、中国にも、恭順を示していた。中国の一部の人は、沖縄は、中国の物だと言う人もいる。

 

さて、この複雑な沖縄という、国にあって、どのように対処するのか。

 

私は、ただ、慰霊の行為のみである。

沖縄の複雑な、歴史的背景には、入って行くことが出来ない。

私は、一人の、ヤマトンチューとして、慰霊の行為を、続ける。

 

最後に、何故、昭和天皇を、御呼びしたかである。

昭和天皇の、慙愧は、余りある。

昭和天皇は、沖縄を、売ったからである。

証拠がある。

本土、この場合は、日本本土を、守るために、沖縄を、犠牲にした。

 

昭和天皇は、どうしても、沖縄に来て、お言葉を、述べたかったのである。

それが、私には、

朕の不徳のなる、深く天下に愧ず

である。

 

世界の君主が、自らの非を認めることは、決して無い。

何故、昭和天皇が、自らの非を、認めることが、出来たのか。それは、皇祖皇宗という、日本国の、祖先の霊位があるからである。

 

皇祖皇祖の前には、天皇も、一人の民の代表である。

 

国民は、皇祖皇宗と、向き合い、天皇は、そこに、横になって、座する。

それが、正式な、作法である。

 

天皇が、神の座にあるというのは、特別、特殊な儀式による。

新嘗祭である。おおにあえまつり、である。

そして、天皇の位に就く時である。

 

更に、鎮魂の作法というものが、あった。今は、それが、途絶えて久しい。

その時、天皇は、皇祖皇宗と、共に、日本の祖先の霊位と共にある。

現人御神である。あらひとみかみ、である。

ちなみに、国民は、現人神である。あらひとがみ、である。

 

伝統である。

 

私は、沖縄が、天皇を認めないとするならば、それを、支持すると言った。

それで、沖縄が、平穏ならば、是非もなし。

 

私は、日本の皇祖皇宗を、世界の祖先になどという、つもりは、毛頭無い。

そして、あっては、いけないのである。

 

更に、日本の皇祖皇宗は、排他的でも、非寛容でもない。

だから、太陽に示される。

天照る大神であらせられる。

 

私は、目に見える、神であると言う。

太陽である。

 

もう一つ、おまけに、言えば、太陽が一瞬死滅すれば、地球は、即座に死滅する。

自然を拝する、日本列島の民族は、実に真っ当であったと、私は、喜んでいる。