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マニラの夜は、危険です。
どんな犯罪に会うかわかりません。
その中で、子供たちは暮らしています。
花を売ったりしている子供たち。
少しでも暮らしの足しになればと、
子供服を手渡しました。
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※物乞いをしていた家族。みんな親子だという。
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※夜は治安の悪い繁華街、エルミタ。その中で物乞いをするのは、なお危険であろう。
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※手渡していると、人が集まってきた。大人も来る。どんどん手渡した。
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※幸いにして、大人ものも、いくつかあった。男性にも渡すことができた。とても喜んでいた。
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夜の街で、屋台をしている親子。
暮らしは楽ではないはずです。
お母さんは、お守りをしながら、仕事をします。
子供に服を渡しました。
お母さんに、手を合わせておじぎをされました。
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※マニラ湾沿いは、とくに路上生活者が多い。この家族も、道路脇の植え込みに住んでいた。
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※服を手渡していると、子供たちが、子猫を抱いてやってきた。それを私たちに見せる。とても可愛がっているようだ。野良猫に違いないが、世話をすることで、きっと自分も慰められているのだろう。
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どうして、路上生活者になったのでしょうか。
事情は複雑でしょう。
一言でいえない苦労があるはずです。
子供服は、とても必要とされていました。
現地の服は高くてかえません。
安いものはすぐだめになるのです。
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支援した家族と一枚。ある、興味深い点があります。
上の、同じアングルの写真と、よく見比べて下さい。木村天山の左の女性。そのピースサインに隠れるように、若者の姿が。
中指をつきたてていますね。「くたばれ」とでもいいたげです。とうぜんの反応でしょう。外国人が、自分の国へ来て、施しをしているように見えたのでしょうから。
「そんなもの、いらねぇよ!」という心の声がきこえてきそうです。
その気概を忘れず、頑張って欲しいものです。
■ 子供服支援 昼の部
■ サンチャゴ要塞 追悼慰霊
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