三泊目も、同じゲストハウスで、予定であれば、その日、レイテ島行きの、飛行機のチケットを、予約するはずだった。
コータの部屋に行き、妹が亡くなったことを告げた。そして、ここに、もう一泊すると、言った。
そのまま、下に降りて、主人に、今日は、一つの部屋でお願いすると言うと、すべて予約で一杯になっているという。つまり、ここから、出なければならない。
確かに、予約表には、すべての部屋に名前が記されていた。
知る人ぞ知る、穴場なのかもしれない。
ガイドブックにも、載っていないのである。
それでは、致し方ない。
私は、ガイドブックで、ゲストハウスを探したが、大体ゲストハウスの様子が解ったので、期待出来ないと思い、安いホテルを探した。
一件だけ、それを見つけた。
少し遠くのホテルで、荷物があるので、ジプニーに乗って行くことにした。
ジプニーは、車の前に行き先が書かれているが、そんなものを見て、判断している暇はない。
方向が同じならば、乗ってしまう。
大体、7,5ペソで、乗れる。15円である。
実に、便利で、安い乗り物である。
タクシーや、自転車を改造して、人を乗せるものがあり、誘われるが、一度も使用しなかった。
観光客を狙った、タクシーの、とんでもない事件も多かった。
全然別の場所に連れて行き、そこで、待ち構えていた連中と、客のすべてを奪い、そのまま置き去りにするというもの。
殺されないだけ、幸せであるが、それも、大変な被害である。
知らないということは、事件に巻き込まれる、第一条件である。
何せ、銀行や、大手ホテルのガードマンは、小型の機関銃を持ち、少し小さなホテルや、コンビニのガードマンでも、拳銃を持つ。
兎に角、どんな場所にも、ガードマンが、銃を持つ国なのである。
ジプニーでも、深夜を過ぎると、危険だと、言われる。
スリや、強盗である。
マニラにいると、潜在的に、危機意識を持つ。
安心していられないのだ。
コータは、信号待ちしている時に、知らぬ間に、腰に巻いていた、物入れの、チャックが開けられたのを、後で気づく。何も入れてなかった場所だったから、良かった。財布などは、すられていただろう。
ジプニーを利用して、昼間に動くのは、実に楽しいものだった。
ただし、排気ガスを、モロに受けるので、喉がやられる。
車の半数が、ジプニーだと、考えてよい。
さて、荷物をまとめて、ゲストハウスを出た。
そして、ジプニーが走る通りまで、出ることにした。
その通りは、地元の人の長屋があり、路上生活の人もいる。
道では、子供達が、遊ぶ。
子供を抱いた、女を見た。
私は、そこで、一つのバッグを開けて、彼女に、子供用の服を渡した。
彼女が喜んだ、と、思ったら、次々と、子供達が、集ってきた。
大人も、老人もやってきた。
子供達の服は、薄汚れている。
手を出されて、私は、一つ一つを、手渡したが、それも間に合わない程、人が集ってきた。
突然の、衣服支援になった。
一つのバッグが、空になった。
私は、両手を上げて、もう無いと、日本語で言った。
大人たちは、サンキューと、お礼を言う。
コータが、写真を撮るために、カメラを出していたが、間に合わない程の、速さだった。
更に、荷物を持って、歩いた。
すると、後から、子供達が、ついて来る。
街角に来た時、ジプニーを待つため、歩みを止めた。
一人の女の子が、私には、これ一枚しかないのと、着ているシャツを示した。
また、ぞろぞろと、子供達が、集ってくる。
私は、もう一つのバッグを開けることにした。
すると、子供達が、整列する。
一人一人に合うサイズを、渡してゆく。
ところが、どんどんと、数が増えるのである。
渡しても、渡しても、数が減ることが無い。
控え目な、男の子を見つけて、男の子用の、衣服を上げる。
男の子達も、集まってきた。
次から次と、渡す。
そのうちに、混乱してきて、勝手に、バッグから、取り出す子もいる。
そして、取り合いになる。
私と、もう一人の、大人が、子供達を静かにさせるために、両手を上げて、抑えた。
しかし、衣服は、残り僅かである。
到底、皆に、差し上げられないのである。
ついに、最後の一枚を渡して終わった。
まだ、貰っていない子もいるが、しょうがなく、私達は、急ぎ足で、次の交差点に向かった。
その場から、去るしかない。
ところが、子供達が、後をつけてくる。
急いで、止まっている、ジプニーに乗った。
すると、四人の女の子が、ジプニーに乗り込んでくるではないか。
運転手が、それを見て、車を降りて、子供達を、追い払う。
ところが、走り出すと、また、子供達が、乗り込んでくる。
また、車を止めて、子供達を、棒で、追い払う。そうして、何度か、運転手は、それを、繰り返さなければならなかった。
子供達は、私は、これしかないのと、叫ぶ。
一枚しか、服やズボンが無いというのだ。
ようやく、子供達を、振り払って、車は、スピードを上げた。
凄まじい、子供達の、形相が、忘れられない。
皆、痩せていて、栄養状態が、悪い顔色をしていた。
最初のゲストハウスの、受付の、お姉さんに、子供達に、お金は渡さない方がいいと、言われた。食べ物を渡す方が、いいということ。
お金を渡すと、それで、シンナーなどを買うという。
子供も、現実逃避で、シンナーに頼るということか。
後で、空腹や、不安などから、逃れるために、シンナーを吸うと、解った。
マニラは、フィリピンの首都である。それが、このような状態なのである。
後は、推して知るべしである。
私達は、漸く、一泊、1500ペソのホテルに到着した。3000円である。
部屋は、空いていた。
ツインルームを頼んだ。
部屋は広く、昔の豪華ホテルであろう。
しかし、兎に角、古い。古い作りであるから、空間が広いのである。
私は、少し放心状態になった。
今のは、何だったのか。
支援物資の、半分以上を上げたのである。
予定に無いことだった。マニラで、支援をする予定ではなかった。
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