フィリピン、メトロ・マニラは、マニラ首都圏として、マニラ市をはじめ、17の行政地域の集合体である。
フィリピン最大の島、ルソン島の、中央に位置する。
西は、マニラ湾であり、北には、パンパンガ川によって、造られた広大な扇状地であり、南は、大小様々な火山が連なる。
私が、出掛けたマニラは、南地区になり、特に観光地としての、エルミタ地区と、マラテ地区である。
その南に、国際空港の、ニノイ・アキノ空港がある。
そこから、エルミタ地区までは、タクシーで、30分程度である。
道が空いていると、20分も、かからない。
料金は、230ペソから、300ペソ程度である。
観光地には、観光地の注意がある。
スリ、詐欺、窃盗などである。
夜は、特に注意である。
和食のレストランも多く、値段は高めだが、時々なら、安心する。
その地区に、10日間滞在することになったという、顛末である。
一度、空港に近い、バクラランという所に、ジプニーで出掛けたが、大変な道だった。
渋滞し、空気は、汚いし、乗り心地は、悪いしである。
帰りは、そこから、高架鉄道に乗って、戻った。その方が、楽々だった。
少し辺りを、動くのは、ジプニーであるが、遠くに行くなら、高架鉄道である。
実は、バクラランで、泊まりたいと思ったのだが、ホテルを回って、驚いた。
汚い、臭いのである。
その駅の周辺は、言い表せない程、混雑していた。
地元の、市場が多く、人人人である。
暑さと、人の波で、眩暈がした。
さて、乗り物では、カレッサという、馬車もある。そして、バイクで走る乗り物、トライシクルである。それに似たもので、自転車で、二人程度を乗せて走る、サイドカーである。
エルミタでは、特に多いが、料金が高い。40ペソと、言われる。80円である。
観光用である。
バクラランから戻り、ホテルで、休み、マニラに居ることに覚悟を決めて、それでは、どうするかと、思案した。
まず、残りの衣服を配ること。そして、慰霊を行う。
その場所は、二箇所である。
サンチャゴ要塞と、マニラ湾での、慰霊である。
ただし、どのようにするのかは、行ってみなければ、解らない。
コータにそれを告げて、食事に出ることにした。
ホテル沿いにあった、地元の人が行く、食堂に向かった。
春雨と、イカの煮付けを注文した。
ライスは、どうかと言われて、春雨で、十分だったので、断る。
兎に角、安いのである。
二人で、100ペソ程度。200円である。
昨日食べた、焼肉が、1500ペソ、3000円であるから、安さが解る。
いつもそうであるが、決して、日本円で、考えない。
現地の価格で、考える。
日本円で、考えると、大した事はないと思うが、それを続けていると、お金が続かない。
観光ではない。
慰霊と支援である。
贅沢なことは、よほどでなければ、慎む。
ただ、水と、氷には、注意する。
現地の水は、飲まない。
必ず、ミネラルウォーターと言う。
食事を済ませて、部屋に戻り、支援物資の内容を、確認する。
子供服も、少しあり、大人用が残っている。更に、ぬいぐるみ、である。これには、手をつけていない。
果たして、ぬいぐるみは、ここでは、喜ばれるだろうかと、思った。
荷物が少なくなるということは、嬉しいが、レイテ島に行けないということが、心残りだった。
ベッドで、少し休む。
妹のことを思い出す。
一日置いて、通夜、そして、葬儀である。
コータが、携帯電話を、フィリピン用に使用出来るようにしてくれた。
そのお蔭で、私は、毎日、実家に電話することが、出来た。
そして、通夜、葬儀の時間に合わせて、私も、妹の霊位に、祈った。
切なく、悲しいことだが、私の活動を知っていることで、妹は、ただ、存在感を持って、私に、コンタクトしてきた。
一度だけ、夜に出掛けようとした時、兄ちゃん止めな、という言葉が浮かんだので、部屋にいることにした。
葬儀の時間は、海辺に出て、太陽に祈っていた。
私の見ているものを、妹も見ている。
祝詞は、唱えない。
静かに、黙祷を捧げた。
すべてが、終わったであろう、時間に、実家に電話をすると、無事に滞りなく、済ませたと、母が言うのを聞いて、安堵した。
お知らせは、一人にだけした。
父の時は、多くの人に、志をいただいたので、今回は、私の密葬にした。
夜、コータと、和食の店に出掛けた。
歩いて、10分程の所である。
その間には、夜の店が、並んでいる。
兎に角、古い建物である。
そして、木造建てが多い。
更に、小道に入ると、地元の人の屋台が、並ぶ。
道端で、食べ物を売るのである。
その、炭焼きの煙が、目に染みる。
排気ガスと、それで、喉もやられる。
ジプニーから、タクシーから、車は、大混雑である。
その間を、抜けるように歩く。信号が、数えるほどしかないのであるから、車の間を、歩くしかない。
ベトナムの、ホーチミンを思い出した。
車の間を、走るように、向こう側へ渡るのである。
どんなものかと、私は、刺身定食にしてみた。
コータは、トンカツ定食である。
それぞれ、280ペソ程度。600円である。二人で、1200円。だが、ビールを一本注文し、支払いの段になると、サービス料と、税金で、15パーセント加算される。
料金が、高い程、それらも、高くなるから、私にすると、とても高い食事代に感じられる。
明日、慰霊と、支援をすることにした。
場所は、スペイン時代の、要塞、イントラムロスの中にある、サンチャゴ要塞である。
イントラムロスの中には、マニラ大聖堂があり、最古のカトリック教会、サン・オガスチン教会がある。
サン・オガスチン教会は、戦争でも、破壊されなかった教会であり、私は、是非、そこを見たいと思った。
当時の、想念が残り、色々なことが、解ると思った。
食事を終えて、早々にホテルに戻った。
コータは、夜の街に出るというので、今回は、部屋の扉を開けておくことは、出来ないと、鍵を、持たせた。
だが、幸運なことに、私の部屋の前は、ガードマンが、夜も常駐し、更に、十字架まで掛けられてある、神聖な場所である。
部屋の前なのである。
コータが、感心していた。
ここにねー、泊まることにー、なってたのーかーなー、である。
現に、ここに、最後の日まで、泊まることになった。
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