木村天山旅日記

 フィリピンへ
 
平成21年
 1月
 

 第7話

サンチャゴ要塞のある、イントラムロスに向かうため、ホテルを、10時過ぎに出た。

ジプニーを乗り継いで行くことにする。

 

兎に角、あちらの方角に走る、ジプニーに乗る。

途中で、別の道に行く時に、声を掛けて、降りる。

 

地図を見つつ、ジプニーに乗って、大きな曲がり角に来たので、運転手に、マニラカテドラルと言うと、運転手が、降りろと言う。別の車に乗れと、言っている。と、それらは、すべて、勘で、感じ取る。

 

少し歩いて、イントラスロスの入り口に辿り付いた。

国立博物館辺りであることが解り、別のジプニーに乗る必要もなかった。

 

ここは、16世紀、スペインが統治の根拠とした場所であり、周囲には、城壁が作られ、当時は、スペイン人と、その混血である、メスチーソのみが、住むことを、許されていたという。

 

12の教会、大学、病院などがあったが、第二次世界大戦の、日本軍と、アメリカ軍の戦闘により、破壊された。

 

その中で、唯一、戦禍を逃れた教会がある。

サン・オガスチン教会である。

 

道を要塞に進んで行くと、左手に、建物がある。

 

教会なので、入れると、思っていたが、聖堂の前で、止められた。

つまり、博物館のようになり、入場料が必要なのである。

 

聖堂の門は、閉じられて、横の入り口から、入る。

 

重い空気である。

 

1599年から1606年にかけて、建てられた。

見て回る順番がある。

私は、兎に角、聖堂に入りたかったので、そちらに、向かった。

 

聖堂は、日本では、お御堂ともいう。

 

当時としては、大変な建物である。

印象は、呪いの館である。

教会とは、思えない気がある。

 

祭壇のある横の部屋に、スペインの最初の総督、レガスピの遺体が置かれる、礼拝堂がある。

 

多くの人の、犠牲の上に建てられたものなのであろう。

とても、強い、波動を持つ。

強力な磁石のような、感覚である。

 

ちなみに、この教会は、世界遺産に登録されている。

 

さて、それぞれの部屋を見て回る。

色々なタイプの十字架が、掛けられていた。

 

どれもこれも、不気味である。

十字架に慣れている私も、あまりの、祈りの想念に、絶句した。

どのような、祈りを捧げていたのだろうか。

 

独断と偏見の祈り。

地元民を、改宗させるべくの、祈りである。

 

従わない者は、どうされたのか。

それを、想像した。

 

これから向かう、サンチャゴ要塞は、スペイン人が、刑務所として、作り上げた、地下牢獄である。

その中に、入れられた人は、単なる罪を犯した者だけではなく、当時の統治に、反対する者や、改宗しない者を、入れたであろうと、想像する。

 

地場の、信仰形態も、あっといわれる。今は、それが、どんなものだったのか、解らない。

 

想像すれば、地霊信仰であると、思われる。

その土地に対する、信仰である。

 

教会の権力の、凄さは、様々な、儀式用具に表れている。

そこにある、想念を外せば、本当に、芸術的文化財である。

 

カトリックという、宗教的正義を、もって、地元民を、支配するという、傲慢は、大航海時代の、特徴である。

 

現在のフィリピンでは、キリスト教、カトリック文化が、無くてはならないものである。

人々は、そこにおいて、心を一つにする。

一見、伝統のように、見えるが、それは、単なるカトリック教会の、支配の成果、成功の証である。

 

正しい神の教えという、傲慢不遜は、余りある。

その根底には、ユダヤ教の、旧約聖書の、教えが底流にあり、異教徒は、家畜のように扱うというものがある。または、殺してもいいのである。

殺人罪が成り立つのは、同じ者同士の場合であり、異教徒の場合は、罪にならないという、恐るべき教えである。

 

旧約の神は、あなたがたに従わない者は、私が呪い殺すという。

呪いと、嫉妬、殺人の神が、それである。

 

原始キリスト教と、カトリック教会とを、一緒にしてはいけない。

原始キリスト信者を、皆殺しにして、新しい教会、ローマカトリックを建てたのである。

 

不気味な、様々の聖人像を見て回り、複雑な心境で、教会を後にした。

 

その次は、マニラ大聖堂、カテドラルである。

そこには、マニラの司教がいる。

 

私が行った時、お告げの祈りが、行われていた。

お告げの祈りとは、聖母の対する祈りで、正午に、行われる。そして、朝と、夕方である。

 

熱心な信者たちの、祈りの中で、私は、祭壇の近くに進み、跪いた。

 

驚いたのは、正面に、十字架ではなく、聖母像である。

十字架は、その下、祭壇の、右横に、立てられていた。

 

聖母信仰を、前面に出した、布教形態である。

これにも、作為がある。

聖母信仰は、穏やかな、支配を画策する。

攻撃的ではない、緩やかな強制である。

 

この、大聖堂は、戦争で破壊され、1954年から、58年にかけて、建てられた。その時、神奈川県知事も、援助したとある。

 

プロテスタントは、聖母信仰を、認めない。

聖書主義であり、根本は、主イエスに対する信仰が、問われるのである。

 

カトリックは、公会議において、聖母信仰を認めた。それは、聖書の教えより、大切なものになるという。

創られてゆく、教義である。

 

聖母の対する祈りとして、ロザリオの祈りが、奨励された。

日本で言えば、念仏のようなものである。

聖母の祈りを、繰り返し唱えるもの。

 

世界に、出現する、聖母マリアも、ロザリオの祈りを、奨励するという。

そして、更に、カトリック教会の正統性を説くのである。

 

聖母の出現は、事実であろうが、それを、本当に聖母であると、判定する何物も無い。

 

ルルドの聖母は、ローマ法王が、認可して、世界から、巡礼に訪れるが、果たして、聖母なのか、悪魔なのかは、解らない。

奇蹟が起きるという、事実を持って判断するだけである。

奇蹟を起こすという、危険極まりない事実をもって、認可するのである。

 

奇蹟を、起こすのは、悪魔の仕業である。

 

私も、聖母の祈りを唱えた。

それは、挨拶である。

 

相手が、如何なるものであるか、ではなく、支配する者ならば、挨拶する。

 

ミサが始まったので、私達は、教会から、出た。