木村天山旅日


 

  バリ島再考の旅
  
平成21年
  2月
 

 第9話

ホテル近くの、コンビニに、水を買いに出た。

コンビニの前に、男の子、小学生一年くらいの子である、が、コンビニの中を覗いている。

 

どうしたの

声を掛けた。日本語である。

お腹が空いているのである。

そう、解った。ちょっと、待ってて

そう言うと、その子の、姉も来た。

 

私は、手振りで、ここにいなさいと、言い、ホテルに戻り、衣服を持ってきた。

二人は、私を待っていた。

まず、コンビニに入り、パンと、ビスケットを買い、それを男の子に、渡した。

 

二人分だよ

と、袋の中を見せた。

二人は、頷いた。

 

そして、私は、バッグを開いて、それぞれに合う、シャツと、ズボンを取り出した。

何枚か渡した。

二人は、喜んだ。そして、男の子が、何やら、指差して言う。

私は、向こうにも、いるよと、感じた。

 

それからである。

小路に入って、子供達を捜した。

小路には、子供達が、いた。

 

一人、一人と、見つけて、衣服を渡した。

人が、詰め掛けてこないので、十分に、ゆっくりと、サイズの合うものを取り出して、渡すことが出来た。

 

名前は一度聞いても、覚えられないが、私が、明確に、話せる、インドネシア語である。

私の名前は、ジャパニーズ・テンだよと、言う。

子供は、テンを、ティエンと言う。

 

それから、小路に目をつけることにした。

別の時間帯に、小路で、遊ぶ子供達を、見つけた。

丁度、ミニカーを持っていたので、それと、ぬいぐるみを持って、その遊ぶ輪に入った。

 

ボーイ

と、私は、声を掛けた。

それが、悪かった。

皆、一同に押し寄せた。

 

一人一つと、言いつつ、ミニカーを渡した。

すると、大人も、来る。

子供達が、私を取り囲んで、騒然とする。

 

女の子が、遠巻きに見ている。

私は、ミニカーを渡して、女の子たちに、向かって、ぬいぐるみを、渡した。

 

大人が、私にも、子供がいると、言う。

それで、一つづつ、ぬいぐるみを、渡す。

 

矢張り、あっという間の、出来事だった。

 

ミニカーも、ぬいぐるみも、すべて、無くなった。

 

何故か、汗だくになる。

 

外に出ると、自然に、発汗しているので、水分補給は、欠かせない。

だが、水ばかりを飲んでも、吸収が悪い。

そこで、バリコピを、飲む。

 

時々、店に入り、バリコピを飲んだ。

どこでも、50円程度であるが、少し高めのレストランだと、100円程度になる。

 

普段は、砂糖を入れないが、砂糖を入れて飲む。

これが、効き目がある。

コータは、それに、砂糖と、塩を入れたりする。

より、吸収がよくなるのだ。

 

そうして、支援物資の、ほとんどを差し上げた。

残っているのは、ノートと、一つの、子供用長靴である。

 

最後の日、帰国する日である。

ホテルの、チェックアウトが、昼の一時なので、部屋の前で、整理していた。

すると、ベッドメークのおじさんが、話し掛けてきた。

 

今日、カンバックか

そう、夜の便でね

オッケーオッケー、さようなら

 

すると、おじさんは、私がビーチで、服を皆に、上げていたのを見ていたと言う。

そして、私にも、八歳の女の子と、六歳の男の子がいると、言う。

 

私は、即座に、ノートを四冊取り出して、差し上げた。

学校に行かせるために、ビッグマネーが、必要だと言う。

ノートを喜んだが、シャツは、ないのかと、言う。

シャツは、もう一つもないと、言った。

 

おじさんが、欲しいなら、クリーニングした、Tシャツを差し上げたいと思ったが、子供のものが、欲しいようであった。

 

そして、私は、長靴を思い出し、取り出して、渡した。

オー、サンキュー

とても、可愛い、中靴だった。

 

レインデーに

うんうん、オッケー、サンキューサンキュー

 

それで、すべてが無くなった。

 

行きは大変、帰りは、楽々である。

荷物が、大幅に減ったのだ。

三つの、バッグが、一つになった。

 

90万ルピアを払い、チェックアウトをして、クタの通りに歩いた。

コータは、タクシーを、呼んで貰えばと、言うが、何やら、私は、汗だくで歩く方を選んだ。

 

荷物が少ないといっても、荷物は、ある。

ようやく、通りに出て、タクシーを拾う。

今度も、メータをしっかりと、下ろした。

 

ねー、もしかして、前回、私が、怒鳴り散らしたからかなー

と、私が言うと、コータは、そんなことないと思うけどと、言う。

しかし、今回は、一度も、メータを下ろさないタクシーに乗らなかった。

皆々、メータを下ろして、その料金通りである。

だから、安い。

 

そんなことを、しているから、クタに人が来ないんだ

と、怒鳴ったことなど、思い出した。

嬉しいことだが、不思議な気持になった。

 

空港の行くまでの時間を、ジンバランの安宿にいることにした。

ジンバランの真ん中にある、一泊、一万ルピアの部屋を取った。

 

その間、タクシーの運転手さんと、話をした。

彼は、女の赤ん坊が、生まれたばかりだと言う。

でも、家族が多くて、大変だとも。

聞けば、大家族である。

 

両親の面倒から、他の兄弟の面倒を見ていると、言った。

運転手の、給料では、やってゆけないとだと。

ただ、家の田圃があり、それで、食べていかれる。

給料は、月によって、マチマチである。

少ない時は、30万ルピア、多いときは、その倍である。

 

日本円にすると、三千円から、六千円程度である。

 

私達の、予約した、安宿を探すのに、苦労していた。

目立たぬ、小さな割れ門のゲストハウスだった。