第2話
空港からの道は、混んでいた。
考えていた以上に時間がかかったのである。
車内で、案内の女性と、話した。
彼女は、お寺で、日本語を無料で学んだ。
そして、この仕事に就いたという。
英語は、出来ない。しかし、丁寧な日本語を話す。
私は、ヤンゴンの地図を見せて、サイクロン被害の場所を聞いた。特に、酷い場所は、川沿いである。そして、そこは、とても貧しい人々が、暮らすという。
私は、その場所の人たちに、衣服が必要かと、尋ねた。すると、必要ですと答えた。
私は、特に、子供の服を持って来たことを、伝えると、それは、喜びますと言う。
そこで、支援する場所を、川沿いの、彼女の示した場所に、決めた。
ホテルは、中心街、ダウンタウンの真ん中辺りの、安いホテルである。
一泊、18ドルである。
ミャンマーは、ドル建てである。
街中の買い物は、チャットという、これまた、0の多い、紙幣である。
私は、0を一つ取って、日本円に換算した。
例えば、1000チャットは、100円である。
ホテルにて、5000円を、チャットに替えた。50000チャットである。
安いホテルは、中々見つからない。
漸く、沢山ある小道の一つに、目指すホテルがあった。
昼前の、チェックインである。
朝ご飯があるので、食べていいと、言われた。
部屋に荷物を置いて、上の階の食堂に上がった。
部屋は、何と四階である。
エレベーターは無い。実に、しんどいのである。
すべての、荷物を持って上がったから、汗だく。
兎に角、朝ご飯を、昼ご飯にして、食べた。
取りたい放題であるから、たらふく食べた。
部屋に戻り、ようやく、ホッとする。
すると、バタンと大きな音かした。
電気が止まった。停電である。この、停電は、実に、頻繁に起こった。
電気が止まると、自家発電の電気が点く。
その繰り返しである。
バタンという音が、実に嫌な音である。
慣れるまで、暫くかかった。
電気が止まると、エアコンも、扇風機も、役立たずである。部屋の中が、蒸し風呂になる。
バス、トイレも、真っ暗になる。
まず、停電で驚いた。
そして、それが、当たり前なのである。
水を買うために、ホテルの一角を歩いてみた。
下町風情である。
兎に角、埃っぽい。
道端には、物売りが沢山いた。
色々な物を、売っている。
後で知るが、私達のホテルは、インド人街の中であった。
その隣には、中華街が広がる。
要するに、インド人と、中国人が占領する街なのである。
地図にも、チャイナタウンと載っている。
一回りして、結局、ホテルの三件隣の、店で、水を買う。
300チャットを、二本。つまり、30円を二本である。
水だけは、どうしても、買わなければならない。
空港で、夜過ごしたので、眠気が襲い、ベッドに、体を横たえた。そのまま、寝た。
気づくと、二人とも、寝ていた。
そして、若い僧侶の来る時間になる。
その前に、コータが、近くを見てくると言い、ホテルを一度出た。
その間に、僧侶がやって来た。
ホテルの女の子が、四階まで、案内して来た。
いよいよ、ヤンゴンの道行きのはじまりである。
コータも、戻って、二人で、僧侶の話を聞いた。
彼は、ミャンマー南部の出身である。
タイ南部と、隣接している、タニンダーリ管区である。その田舎である。
ご両親の写真を見せてくれた。非常に老いた二人である。
彼は、その故郷のパゴダ、つまり、寺の再建を計画していて、そのために、活動していると言った。
海外に出掛けるのは、その資金を得るためだと言う。
海外といっても、アジアの貧しい国である。
日本などへは、当然、高くて、来ることは、出来ない。
その時に、また、停電である。
バタンという音。
いつも、こうです。ミャンマーは、本当に、めちゃくちゃな国です。
と、現政権の批判が始まった。
何もかもが、めちゃくちゃだと言う。
そして、昨年のデモの話になった。
多くの友人僧侶たちが、殺された。更に、タイに逃げた僧侶も多いという。
警察に、手錠を掛けられたまま、タイに逃げた僧侶もいるらしい。
そして、密告者の話である。
誰が、通報して、逮捕されるか、解らないのだ。
政権の批判は、ご法度なのである。
一通り、彼の話を聞いて、さてと、私は、彼を信じて、私達の活動を話した。
明日、彼は私達を連れて、ヤンゴン案内をするというので、実はと、話し始めた。
すると、大変に喜んだ。
そこで、川沿いの地区に行き、そこで、子供達中心に、衣服を上げたいと言うと、一緒に行きますと、言う。
それでは、朝八時半に来ますと、彼は言う。
それで、目出度しめでたしであった。
僧侶と共に行動出来るならば、安心である。
ところが、状況が、変化してしまうのだ。
僧侶が帰るのを、一階まで降りて、見送ろうと、私達も、一緒に降りた。
一階に降りると、そのホテルの経営者である、インド人が出て来た。
そして、インド人社長は、僧侶に、合掌する。
それは、当然の礼儀である。
ミャンマーでは、僧侶は尊敬を受けるのが、当然なのである。
そこで、きっと、である。社長が、わざわざ、訪ねて来た僧侶に、どうしたのですかと、問い掛けたのではないかと、思える。
僧侶から話したのか、社長から話したのかは、解らないのである、私には。
僧侶は、真剣な面持ちで、社長に話している。
すると、私達も共に、椅子に腰掛けるように、促された。
飲み物が、運ばれた。
そして、とんでもない、大事の話に発展するのである。
日本語が、出来る従業員がやって来た。
彼が、二人の話を私達に、通訳する。
何でも、日本で、十年働いていたようである。
奥さんは、日本人で、子供を連れて、日本に帰ったという。
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