木村天山旅日

  ヤンゴンへ
  
平成21年
  
3月 

 

第2話

空港からの道は、混んでいた。

考えていた以上に時間がかかったのである。

 

車内で、案内の女性と、話した。

彼女は、お寺で、日本語を無料で学んだ。

そして、この仕事に就いたという。

 

英語は、出来ない。しかし、丁寧な日本語を話す。

私は、ヤンゴンの地図を見せて、サイクロン被害の場所を聞いた。特に、酷い場所は、川沿いである。そして、そこは、とても貧しい人々が、暮らすという。

私は、その場所の人たちに、衣服が必要かと、尋ねた。すると、必要ですと答えた。

 

私は、特に、子供の服を持って来たことを、伝えると、それは、喜びますと言う。

そこで、支援する場所を、川沿いの、彼女の示した場所に、決めた。

 

ホテルは、中心街、ダウンタウンの真ん中辺りの、安いホテルである。

一泊、18ドルである。

ミャンマーは、ドル建てである。

街中の買い物は、チャットという、これまた、0の多い、紙幣である。

私は、0を一つ取って、日本円に換算した。

例えば、1000チャットは、100円である。

 

ホテルにて、5000円を、チャットに替えた。50000チャットである。

 

安いホテルは、中々見つからない。

漸く、沢山ある小道の一つに、目指すホテルがあった。

 

昼前の、チェックインである。

朝ご飯があるので、食べていいと、言われた。

部屋に荷物を置いて、上の階の食堂に上がった。

 

部屋は、何と四階である。

エレベーターは無い。実に、しんどいのである。

すべての、荷物を持って上がったから、汗だく。

 

兎に角、朝ご飯を、昼ご飯にして、食べた。

取りたい放題であるから、たらふく食べた。

 

部屋に戻り、ようやく、ホッとする。

すると、バタンと大きな音かした。

電気が止まった。停電である。この、停電は、実に、頻繁に起こった。

電気が止まると、自家発電の電気が点く。

 

その繰り返しである。

バタンという音が、実に嫌な音である。

慣れるまで、暫くかかった。

 

電気が止まると、エアコンも、扇風機も、役立たずである。部屋の中が、蒸し風呂になる。

バス、トイレも、真っ暗になる。

 

まず、停電で驚いた。

そして、それが、当たり前なのである。

 

水を買うために、ホテルの一角を歩いてみた。

下町風情である。

兎に角、埃っぽい。

道端には、物売りが沢山いた。

色々な物を、売っている。

 

後で知るが、私達のホテルは、インド人街の中であった。

その隣には、中華街が広がる。

要するに、インド人と、中国人が占領する街なのである。

 

地図にも、チャイナタウンと載っている。

 

一回りして、結局、ホテルの三件隣の、店で、水を買う。

300チャットを、二本。つまり、30円を二本である。

 

水だけは、どうしても、買わなければならない。

 

空港で、夜過ごしたので、眠気が襲い、ベッドに、体を横たえた。そのまま、寝た。

 

気づくと、二人とも、寝ていた。

そして、若い僧侶の来る時間になる。

その前に、コータが、近くを見てくると言い、ホテルを一度出た。

その間に、僧侶がやって来た。

 

ホテルの女の子が、四階まで、案内して来た。

 

いよいよ、ヤンゴンの道行きのはじまりである。

 

コータも、戻って、二人で、僧侶の話を聞いた。

 

彼は、ミャンマー南部の出身である。

タイ南部と、隣接している、タニンダーリ管区である。その田舎である。

ご両親の写真を見せてくれた。非常に老いた二人である。

 

彼は、その故郷のパゴダ、つまり、寺の再建を計画していて、そのために、活動していると言った。

海外に出掛けるのは、その資金を得るためだと言う。

 

海外といっても、アジアの貧しい国である。

日本などへは、当然、高くて、来ることは、出来ない。

 

その時に、また、停電である。

バタンという音。

 

いつも、こうです。ミャンマーは、本当に、めちゃくちゃな国です。

と、現政権の批判が始まった。

何もかもが、めちゃくちゃだと言う。

そして、昨年のデモの話になった。

多くの友人僧侶たちが、殺された。更に、タイに逃げた僧侶も多いという。

 

警察に、手錠を掛けられたまま、タイに逃げた僧侶もいるらしい。

そして、密告者の話である。

誰が、通報して、逮捕されるか、解らないのだ。

 

政権の批判は、ご法度なのである。

一通り、彼の話を聞いて、さてと、私は、彼を信じて、私達の活動を話した。

明日、彼は私達を連れて、ヤンゴン案内をするというので、実はと、話し始めた。

すると、大変に喜んだ。

そこで、川沿いの地区に行き、そこで、子供達中心に、衣服を上げたいと言うと、一緒に行きますと、言う。

 

それでは、朝八時半に来ますと、彼は言う。

それで、目出度しめでたしであった。

 

僧侶と共に行動出来るならば、安心である。

 

ところが、状況が、変化してしまうのだ。

 

僧侶が帰るのを、一階まで降りて、見送ろうと、私達も、一緒に降りた。

一階に降りると、そのホテルの経営者である、インド人が出て来た。

 

そして、インド人社長は、僧侶に、合掌する。

それは、当然の礼儀である。

ミャンマーでは、僧侶は尊敬を受けるのが、当然なのである。

 

そこで、きっと、である。社長が、わざわざ、訪ねて来た僧侶に、どうしたのですかと、問い掛けたのではないかと、思える。

 

僧侶から話したのか、社長から話したのかは、解らないのである、私には。

 

僧侶は、真剣な面持ちで、社長に話している。

すると、私達も共に、椅子に腰掛けるように、促された。

 

飲み物が、運ばれた。

そして、とんでもない、大事の話に発展するのである。

 

日本語が、出来る従業員がやって来た。

彼が、二人の話を私達に、通訳する。

何でも、日本で、十年働いていたようである。

奥さんは、日本人で、子供を連れて、日本に帰ったという。