木村天山旅日記

  ヤンゴンへ
  
平成21年3月 

 

第3話

ここでは、外国人が、何かして人が集まると、警察が来て、尋問されます。色々と、聞かれて、面倒なことになります。

皆、貧しいから、一斉に集まります。すると、混乱して、必ず警察が来ます。

 

延々として、くどい説明が終わらないのである。

 

要するに、ヤンゴンでの支援活動は、政府の気に入らないことなのであり、それをすることは、大変なことで、危ないことなのである。

 

だから、今、社長が、ミャンマーで、三本の指に入る、高僧に相談すると言う。

社長は、すぐに電話を掛けた。

 

長い電話である。

そして、今すぐに、行きましょうということになった。

その、高僧の寺に出向いて、指示を仰ぐということだ。

 

そんな、大袈裟な・・・

私は、ウーンと、考えたが、皆が立ち上がり、社長が車を出すと言う。

 

確かに、これは、何か知ることになり、また、勉強になると、流れに従った。

社長の車の、後部座席に、私とコータが座り、助手席に、僧侶が乗った。

 

15分くらいと言ったが、30分は、かかったと思う。

漸く、その寺に到着して、高僧のいるという、建物に、向かった。

社長と僧侶、私達が続く。

 

高僧の部屋は、広く、その中にも、仏を奉る祭壇がある。

まず、その仏に礼拝し、更に、高僧に、礼拝するという、礼儀である。

 

若い僧は、高僧の足元に、額をつけて、礼拝していた。

 

社長と、高僧が、真剣に話し合うのを、傍で、黙って聞いていた。

若い僧も、黙っている。

 

私は、テレビに目をやった。

その高僧が、写っている。

暫く、話し合いが続き、結果、政府の許可を取るということになった。

高僧が言ったのだ。

 

明日の朝、ここに来て、その許可書を持って、一番困っている村の、人々に、支援物資を渡すということになった。

 

すると、高僧が立ち上がり、テレビの傍に行き、画面を指して、なにやら言う。

多くの僧たちに、説教をしているようである。

 

自分の写された、テレビを、繰り返し流していたのである。

そして、私達に、自分の載った記事も、渡した。

 

高僧。

そのイメージとは、遠い。

申し訳ないが、ヤクザの雰囲気である。どうしても、そのように、感じてしまう。

僧侶というものに対する、イメージが、持てないのである。

しかし、若い僧は、ハッハーと、ひれ伏すように、言葉を聞いている。

これが、ミャンマーの高僧なのであろう、きっと。

私は、慣れていないだけだと、肯定的に、捉えることにした。

 

その時の、話は、翌朝、もう一度、ここに来て、政府の許可を受けた書を貰いに来るということで、終わった。

そして、その村に、僧侶を差し向けるとも言う。

ここのことろを、覚えておいて欲しい。

 

後で、段々と、話が違ってくるのである。

 

さて、高僧との、会見を終えて、再び、ホテルに戻ることになった。

 

その前に、小便がしたくなり、トイレを尋ねた。

若い僧が、案内してくれた。

 

真っ暗な場所に、トイレがあり、更に、トイレも、真っ暗である。

えっーーー

ここで、するの。

ウンコでないから、いいものの、暗くて、何も見えない。

外から光を、利用して、何とか、便器に目掛けて、小便をする。

コータも、一緒だった。

大丈夫、と、コータに声を掛けた。

コータも、絶句している。

 

後で、コータ曰く、ああして、小僧さんたちを集めて、指導している偉いお坊さんとして、皆の尊敬を受けているが、トイレに電気もつけていないようなら、程度が知れる。

 

私も、同感であった。

 

しかし、あれが、当たり前なのだろう、きっと。

それに、ミャンマーの僧たちは、午後を過ぎると、何も食べない。水を飲むことだけ、許されている。だから、糞も、あまりしないのだろうと、憶測した。

 

さて、ホテルに着いて、明日の朝、八時半に、寺に行くということで、社長は、私一人で、行ってもよいと言うが、ただ、黙って頷いたのみ。

 

事の次第を、十分に考えたいと思った。

 

若い僧も、朝に来ると言って、帰った。

 

部屋に戻り、シャワーを浴びるが、停電で、温シャワーにならず、水シャワーである。

 

私は、水シャワーが嫌いで、苦手である。

しかたなく、下半身から、徐々に、上半身に上げてゆく。

水の温度に慣れるまで、足元に、水をかけている。

 

冷たいというのが、嫌なのである。

体が、しき締まるという、問題ではない。

心臓に悪いのだ。

 

シャワーを浴びて、コータと、話し合った。

 

さて、どうするか。

しかし、どうするも何も、ここまで、話が進んだのである。

 

明日の朝、寺に行くかどうかを、話し合った。

私は、行きたくない。コータも、行きたくない。

それでは、タンブン、つまり布施を渡して、社長に、行って貰おうということになった。

 

あらかじめ私達も、スムーズ支援出来るとは、思っていなかったが、何となく、観光しているように見せて、手渡しで、渡して、すぐに、その場から、離れればいいと、思っていた。

 

ここまで、話が、大袈裟になると、戸惑う。

 

停電が長く続き、エアコンも、扇風機も、駄目。

部屋の中が、蒸し風呂のようになってゆく。

私は、部屋のドアを開け放した。

それしか、方法が無い。

 

ちなみに、窓は、廊下側にある部屋である。外に向かっての窓は無い。

 

兎に角、彼らの流れに沿って行こうということで、次は、夜の食事である。

若い僧を、食事に誘ったが、先に書いたように、午後からは、何も口にしない戒律であるから、遠慮した。

 

考えるのが、面倒で、ガイドブックを見て、近くにある、インドカレーの店にした。

地図を頭に入れて、ホテルを出た。

 

10分程歩いて、目指す店を見つけた。

インドカリーと、英語で、書いてある。

 

辛さと、塩気の効いた味で、美味しかった。

体が疲れているせいもあり、味が濃い目でよかった。

 

お代わりをして、二人で、7800チャットである。780円。200チャットのお釣りを、そこで働く、中学生くらいの少年に渡した。

 

後は、寝るだけである。

酒も飲みたくない。

私も、コータも、非常に疲れた。