木村天山旅日記

  何故バリ島か
  
平成21年5月 

 

第7話 

夜の七時を過ぎた。

さて、どうするか。

 

最初に子供達に逢うか。

 

三人で、兎に角、通りに出ることにした。

その通りは、ここ、二、三年で、大きく変わった。

賑やかな、街になった。

 

実は、16年前、私が初めて、バリ島に出掛けた時に、その通り近くのホテルに泊まった。その当時は、荒地であり、何も無かったのである。

それが、今では、立派な繁華街になっている。

 

コータが、子供達と、約束した場所に、出たが、まだ、子供達が、来ていない。

 

そこで、近くのレストランで、食事をすることにした。

 

立ち並ぶレストランの中から、約束の場所に近い、レストランにしたのはいいが、値段が、やたらに、高いのである。

 

食事を止めて、ジュースを飲むことにした。

 

日本円で、計算すると、決して高くはないが、バリ島の現地感覚では、高いのである。

こんな高いところで、食べられないと、私は言う。

二人も、そうだ、そうだと、ジュースにするが、ジュースの値段も高い。

 

ケチケチ旅行であるから、価格には、敏感である。

 

兎に角、ジュースを決めて、注文。

それを、飲みつつ、子供達を待つ。

 

私は、バッグに、子供達の分だけを、取り除いていたものを、入れて持っていた。

もう、それで、支援物資は、最後である。

きれいさっぱりと、無くなった。

 

中々、子供達が、来ない。

子供の声がすると、コータが、見に出た。

 

ジュースを飲み終わる頃である、見つけたと、コータが言うので、早速店を出て、対面である。

 

三人といっていたが、男の子と、赤ん坊を抱いた、女の子の、二人である。

 

道端で、衣服を見せる。

丁度、三着づつ、渡すことが出来た。

男の子には、大き目のものもあったが、彼は、それでもいいと、受け取った。きっと、仲間に上げるのだろう。

 

男の子は、ワヤンという名で、9歳。女の子は、名前も、年齢も、解らない。赤ん坊は、兄弟なのか。

 

私は、衣服を渡すと、後は、コータに任せた。

 

写真を撮って、また、次に来るからと、日本語で言うと、二人が頷いた。

 

 

これで、今回の、すべての日程を終えた。

私と、辻友子は、先に、歩いた。

行く先は、地元のレストランで、行き着けの、安くて、美味しい店である。

 

クタの通りの、店で、ジュースを一杯飲む料金で、その店では、五杯分が、飲める。これで、おおよその、価格が理解出来ると、思う。

 

コータが、戻って、夕食である。

私は、ステーキを頼んだ。

28000ルピア、280円である。奮発したが、実は、辻友子の、おごりであるから、それにした。

今日は、私に任せてと、言うから、任せた。

 

しかし、辻友子は、多く、私に任せてと言った。

バリ島の暑さに、頭が、やられていたと思うし、気が大きくなってしまったのだろう。

何せ、一万円が、100万ルピアである。

何となく、金持ちになった気持ちになるのである。

 

これは、しめしめと、辻友子に、おごらせた。

 

なんで、私、こんなにお金があるのだろうと、感心していた。

三万円を、両替したと思う。つまり、300万ルピアである。

使い切れないわーーーであるから、なれない人を連れて行くのは、楽しい。

 

さて、私は、あの、二人の子供達に、非常に興味を持った。

何処に住んでいるのか。赤ん坊は、兄弟なのか。親は、どうしたのか・・・

 

コータは、女の子のことは、あまり解らないと、言った。女の子は、英語が出来ない。

男の子、ワヤンは、英語が、ペラペラである。

すべて、路上で、覚えたのである。

凄い。

必要に迫られると、覚えるのである。

 

翌日の、夜、私は、一人で、二人の所に出掛けた。

もう一度逢って話がしたいと思った。

 

ところが、同じ場所を、行ったり来たりして待ったが、現われない。

そこで、二人の、物売りの少年に、尋ねた。

小学生程度の、少年である。

 

赤ん坊を抱いた女の子は、どこかと、尋ねた。

彼らも、英語が達者である。

私の方が、怪しい。

 

知らないと言う。

いやいや、ユーフレンドよー

そう言うと、すぐに、あのホテルの道にいると、教えてくれた。

 

早速、早足で、向かった。

見つけた。

赤ん坊を抱いた女の子である。

 

向こうも、私に気づくと、笑った。

ボーイは・・

と、言うと、指差す。

屋台で、ラーメンのような物を、注文していた。

 

彼は、そのどんぶりを、持って私と、三人で、話し始めた。

私は、一日に、何度食事をするのと、聞いた。

一度、二度、三度と、言うと、首を振る。

一度の時も、二度の時もあると、理解した。

 

何処に住んでいるの・・・

クタに、住まいがある。皆で、住んでいる。

 

次に、女の子に、話し掛けた。

その子は、兄弟なの・・・

ワヤンが、答えた。

何と、彼女の子供だと言う。驚いた。

彼女は、いくつ・・・

17歳と、ワヤンが言う。

えっーーー

12歳程度にしか、見えない。栄養状態も悪く、そんな年に見えないのである。

 

ドゥユーニード フード

食べ物が必要かと、尋いた。

その英語は、思いついた言葉である。

 

うんと、頷くので、ここで、待っていてと、私は、コンビニに、走った。

 

パンや、ビスケットなど、5万ルピア分を買った。

そして、彼らの所に戻ると、二人で、ラーメンを食べていた。

一つの、お碗を、二人で食べている。

彼らは、フレンドである。しかし、ワヤンは、彼女の世話をしているようである。

 

コンビニの袋を渡し、それぞれに、2万ルピアを渡した。

これは、例外中の例外である。

決して、お金は、渡さないと、私は、決めている。

 

しかし、である。私は、後で、失敗したと思った。コンビニの食べ物は、普段彼らが、食べられるような物ではない、高価なものである。

屋台の、食べ物を買って、上げるべきだった。

 

後の祭り。

そして、してはいけない、僭越行為であった。

 

彼らの、傍にいた、おじさんが、次は、いつバリ島に来るのかと、尋くので、三ヵ月後と、言った。そんな予定はないが・・・

おじさんは、ありがとうと、言うのである。

 

二人にも、次も、逢いに来ると行った。

そして、さよなら、と言い、立ち去ると、後ろから、言葉が聞えた。

おじさんが、二人に、良かったなーと、言っているように、聞えたのである。

 

この、何とも言えない気分は、たまらない。

これは、私の自己満足である。

ただ、彼らが、人生には、突然、このようなことがあるものだと、おもってくれれば、いいと、思った。

 

石を蹴ったら、宝くじに当たることもあると、思えばよい。

 

そして、次の時に、また、逢う楽しみが増えた。

その時、彼らが、少しでも、幸せであればいい。

 

次の時、私は、彼らの住んでいる家を訪ねたいと思っている。

 

ストリートチルドレンたちの、溜まり場である。

 

ちなみに、彼らの売る、手首に巻く皮製の物の、卸し値段を聞いた。

実に、良心的な値段である。

ここでは、それを、バラす訳にはいかないので、書かない。

彼らは、それを、1000ルピア程度で、売る。10円である。

それも、レストランなどに入り、客に、跪いてである。

通りで、売る子は、実に、しつこいのである。生きるために、である。